営む暮らし:A03 写本
「あと一応アドバイスなんすけど。金紅墨ケチって基準よりだいぶ薄めてますよね? 今は支障起きてないっすけど、近々トラブルになりそうな気配なんで、標準品使った方がいっすよ」
真顔のまま指摘するシュロに、親方は豪快に笑う。
「お見通しかい、大した若造だな。あんがとよ、管理見直すわ」
気を悪くする風でもなく、親方はシュロの肩を嬉しそうに叩いた。
「コウエンがたまに得意気に言ってる『持ち込みの細工師』ってお前さんだろ? うちで最近新しい加工を試してみたんだけどよ、販促用に何か作ってくれねえか? もちろん色をつけて買い取るぜ」
「自分別に本業あるんで、納期決まってる仕事だとちょっと……」
「出来たときで構わんさ、あくまで営業の足しだからよ。でも作例あると無いとじゃ買い手の反応も違うんでね、とりあえずサンプル渡しとくからさ。大丈夫、コウエンにはオレからちゃんと義理通しとっから」
親方はシュロの返事も聞かず、立派な革のロールをいくつもシュロに押しつけた。
「さすがにこのまま出張に持って行けん……」
シュロは小さい声で漏らしたが、材料費の大半が浮くのはだいぶ美味しい。
コウエンの親切心およびシュロの下心は、大いに実った。
***
「ナヴェット様を連れてそんなことしてたの?」
宿の近所の異国情緒あふれる食堂で夕飯をとりながら、シャラが驚いた顔をした。
「この地域の大規模な活揺具を見てみたかったものですから」
コリアンダーの良く効いた酸っぱ辛いスープの麺を頬張りながら、ナヴェットが満足げに言う。
「ここは衛生には補助を惜しまないと聞いておりましたが、素晴らしかったです。とても効率的に生産された設備だと感じました。やはり大事なのは、一律でやりきるという強い意思ですね」
「そうですか、楽しかったなら何よりです」
ナヴェットの饒舌さから本気で楽しかったことが伺われ、シャラは深追いをやめた。
「それであの大量の半裁ってわけね。ケーブル不調を指摘しただけにしては、申し訳ないくらいの量だったねえ」
いったん宿の部屋に置いているが、どこかで時間を見つけて自宅へ置きに帰る必要がありそうだ。
旅に持っていくなら、作るものを決めて裁断しなくてはならない。
「譜の欠損とか出力エラーとかでなくて良かったわ。もしそうならナヴェット様に見てもらおうかと思ってた」
店と同じく異国情緒あふれるラベルが貼られた麦酒のボトルに、シュロは直接口をつけて飲んでいる。
「そんなことしたら、親方さんがビックリしてしまいますよ」
ナヴェットがまんざらでもない様子で笑う。
「あとコウエンのおっさんが、シャラによろしくってよ」
その言伝を聞いて、シャラはあまり嬉しくなさそうな顔をした。
「そういえばあの工房長さん、シャラのこともご存知なのですね」
シャラのことを「兄」と表現する人に出会ったのは、ナヴェットはあの別邸以外では初だった。
「入庁するより前から世話になってますから。その頃はシャラはもう少し違った装いでした」
ナヴェットの言わんとすることを察してシュロが説明する。
つまりは、男性らしさを意図的に隠していなかった頃を知っている、ということだろう。
「いいんだけどさーマジマジと見つめてくるから面倒なんだよねー」
ぶつぶつ言いながらつつくシャラの皿は、揚げた白身魚に魚醤やスパイスをふんだんに載せた、やはり近隣地域では見かけない一品だ。
「でも相変わらず親切価格で買ってくれるわ。これシャラが図案描いたやつの取り分な」
シュロが幾ばくかの現金をシャラに手渡す。以前ならナヴェットの前では見せなかったやりとりだ。
「シャラも協力しているのですね」
「流行りを抑えるのは、シャラの方が得意なんで」
「シュロのは独創性があって、いわゆる『贔屓客』にはたぶんそっちの方がウケてると思いますが」
良い感じに分担ができているらしい。
「シュロの内職、うらやましいんですよねー。革細工の装飾はいい値段になるけどかさばらないから、旅中にもちょうど良くて」
「シャラが得意なのは、重いのばっかだもんな」
「そうなんですよ、翻訳とか稀覯本の写本とかよくやってて、それも割といい収入源だったんですけどね。どうしても大量の紙を扱う必要があって、出張が多くなってからは難しいです」
「そろそろ何か別の内職考えるか」
この、節約術と小金を得る手段に知恵を絞る若者たちが、昨日あらゆる最高級の品で飾り立てられていた名家の子女と本当に同一人物なのだろうか。
あれは夢だったのでは、とナヴェットには思えてくる。
「あ、そうそう。まさにその写本の練習に作ったやつが家にあったんです」
シャラが自分の荷物から紙束を取り出した。それを見てシュロが「うわっ懐かし」と漏らす。
「環樹にまつわる叙事詩の絵本を写したものなんですけど、ナヴェット様はこういうのお好きかなと思いまして」
「親族内で子どもから子どもへおさがりで渡ってた絵本だから、たぶん一般に流通していない版だと思います」
「はい!そういうの!大好きです!!」
ナヴェットが大興奮で紙束を受け取る。
「旅に紙はかさばると言ったばかりで恐縮なんですが、良ければお持ちください。子ども向けなので、そんなに枚数もないので」
「すごいですね、挿し絵まで丁寧に写して、彩色して」
「そこはシュロに手伝ってもらいました」
「最初だから、どこまでやればいいのかよく分からなくて」
軽くペラペラとめくるだけでも、構成の美しさ、そして写本としての出来の良さにうっとりする。
「ありがとうございます、本当に嬉しいです。大切にしますね」
ナヴェットはその紙束をそっと抱きしめた。




