踊る茶会:02 茶菓
「あのように動揺なさるクロツバキ様は、初めて見ました」
遠くに見える東屋を振り返りながシャラが困惑を漏らす。
クロツバキから発せられた感情は単なる驚きではなく、恐ろしく複雑だった。驚愕、怯えや苦悩、怒りといった負の感情が大半ではあるが、どうもそれだけではない。
「お加減悪くございませんか、ナヴェット様」
黙ったままのナヴェットをシュロが気遣う。
「はい……ありがとうございます」
薔薇園のベンチに腰掛けたナヴェットは、放心したような顔をしている。
今はそっとしておいた方が良さそうだ。無言で遠くを見るナヴェットに、シャラもシュロも黙ったまま寄り添う。
「薔薇、きれいですね」
しばらくそうした後、ぽつりとナヴェットが口にした。
「はい、ここの庭師はとても凝り性です」
シャラが静かに答える。
「それはお二人の後見人の方ですか?」
二人は一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに問いの意味を理解して笑った。
「あぁ。それはまた別です」
「そっちの『庭師』に連絡すると、父直轄の情報部員につながるはずです」
「お父様の愛が重いですね」
ナヴェットも小さく笑みを浮かべた。
「“アトリ”と言うのは、私たちの里長のことです」
ナヴェットが、唐突に話題を切り替える。
「里長が頼られたと言った『古い友人』は、クロツバキ様で間違いないでしょう」
今更ここで長官のことではあるまい、というのはシャラもシュロも同感だ。
「しかしクロツバキ様は、ナヴェット様がいらっしゃると思っていなかった様子ですが」
「里への相談は、内容に応じて派遣する者を里長が決めるのでそれ自体は自然なことです」
シャラの疑問にナヴェットが答える。
「問題は、何故クロツバキ様が私を一目見ただけで、『里の他の者と異なる』と認識したのか、です」
ナヴェットは、まとまっていない考えを人に話しながら考えることがよくある。今もそうなのだろう、と二人は黙って聞いている。
「すぐに思いつくことは二つです。私のこの擬態の装飾品を知っていたか。もしくは、私自身を知っていたか」
調揺の頂点に近い存在は伊達ではなく、クロツバキは人並外れて高い感度でユラを捉える。
しかしそうは言っても、シャラやシュロのように「視える」と表現するようなレベルではない。二人にも気づけなかったナヴェットの特異な在り様に、瞬時に気づいたとは思いづらい。
「いずれにせよ、私すら知らないことをご存じの様子でした。私は、クロツバキ様にお話を伺いたいです」
強い意志が、ナヴェットの表情から伺える。しかし二人は不安を拭えない。
「ですがクロツバキ様のあのご様子ですと……」
「はい、あまり私にとって、楽しい話ではないかもしれません」
ナヴェットは承知の上の様子だ。
「元より楽しい話であれば、里長たちが私に話さないはずがないのです」
「……ナヴェット様は、お強いですね」
問うのが、知るのが、怖くないはずはないのに。
「不安の裏返しですよ」
そう言うナヴェットの笑顔は、一見すると初日と同じく儚げにも見えたが、そこに宿る感情は少し違っているとシャラは感じた。
「改めて詫びを申す。先程は無礼をいたした」
しばらくしてイヌワシに呼ばれ、三人は東屋に戻った。
クロツバキは少なくとも表面上は、落ち着きを取り戻しているように見えた。しかしその表情は固い。
「マツリ姉様、顔色がお悪いです。ご無理をなさいませんよう」
改めて温めた茶のカップに手を添えながら、シャラが声をかける。
シャラとシュロには、クロツバキがまだ混沌とした葛藤を抱えたままであることが視えていた。
「まあみんな、せっかく用意したんだから茶菓でも食べながら」
さすがにイヌワシも気遣わしげな顔をしているが、それでも場を活気づけるように皆に茶菓子を勧め、率先して自分が皿に手を伸ばす。
「アトリの考えは承知した」
勧められた茶を一口飲んでから、重々しい顔つきでクロツバキが話し始める。
ナヴェットが神妙な面持ちで顎を引く。
「ヌシの探す答えの一片を、この方は確かに存じておる」
「それは……!」
「ではあるが」
ナヴェットが上げかけた期待の声を遮るように、クロツバキは続けた。
「それは恐らく、ヌシの求めるもののほんの一角に過ぎぬ。そしてアトリからの頼みは、ヌシが無事この地鎮めること叶うたら、その時伝えてやろうて欲しい、とのことであった」
「私への報酬、と言うことでしょうか」
「いや、いささか異なるであろうな」
イヌワシに勧められ、クロツバキは皿から取り分けられた果物を一切れ口に運ぶ。
「アトリも量っておるのであろう。ヌシが答えを受け止めるに足る器に成りなりておるか」
「私の器……」
ナヴェットは目を伏せて考え込む。
クロツバキは軽くうなずきつつ、別の取り皿にいくつかの菓子と果物を彩りよく並べた。
「時が来たらば、改めて覚悟を聞こう。それまでは、先のことは忘れるが良い」
言いながらクロツバキは、自分で寄り分けた皿をナヴェットの前にスーッと滑らせるように差し出した。
意図が分からず、ナヴェットはきょとんとした顔をする。
「非常に分かりづらいと思いますが、マツリはマツリなりに先ほど声を荒げたことを申し訳なく思っているのです」
イヌワシが、クロツバキが差し出した皿を手のひらで指し示す。
「あ、これ、私に、ですか?」
「ナヴェット殿が何もお口にされないのを、心配しているのかと」
「“熊啄木鳥”」
にこやかに語るイヌワシを、クロツバキは忌々しげに見る。
「何故ヌシは全てを言葉にするか」
「大抵の人はマツリのそれじゃ分からないって」
そのやりとりを聞いて、シャラとシュロがクスクスと笑う。
「ナヴェット様、父様とマツリ姉様はいつもこんな感じですので、どうかお気になさいませんよう」
「家政婦長たちが用意した茶と菓子です、どうぞご賞味ください」
ナヴェットのティーカップへ、シャラが砂糖を足して混ぜ合わせる。
ナヴェットはふいに視界が広がったような感覚を覚えた。
卓上に広がる彩り豊かな茶器や磨き上げられた銀器、見た目も美しい菓子や果物など、今まで何も目に入っていなかった。自分を見守る、みなの顔も。
「私としたことが、こんなにも素晴らしいおもてなしを頂いておきながら、不作法でございましたね」
甘くしてもらった茶のカップを両手で支え、ナヴェットは少し息で吹いて冷ましてから、ゆっくりと一口茶を飲んだ。
その様子を見守るクロツバキの目は、先ほどまでは冷たいと感じていたが、勘違いだったのかもしれないと今は思えた。
「ありがとうございます、とても美味しゅうございます」
「左様であろう。この家の者は新しき物を用いるを躊躇わぬ故」
「普通だよ、マツリの家が保守的過ぎるだけだって」
クロツバキに勧められた皿の焼き菓子はしっとりとした食感で甘く、次に飲む茶がさらに美味しく感じられるようだ。
「『忘れてくれ』だなんて身勝手だと思うかもしれませんが、どうか許してやってください。マツリには自分ではままならぬことが多いのです」
「クマ!」
イヌワシとクロツバキのやりとりに、とうとうナヴェットも笑い声をもらした。
「いえ、それは我が里長の意思とのこと、クロツバキ様が気に病まれることではございません」
笑いを茶と共に飲み込んでから、ナヴェットは改めてクロツバキの目を見つめた。
「そして、私のやるべきことは結局変わっていないのです。彼の地にて流れを乱している遺物を鎮めること。話はずっとシンプルなままです」
ナヴェットの言葉に、シャラとシュロも両脇でうなずく。
「私が山で見てきたことをお聞きいただけますか。クロツバキ様のご知見もお借りしたいのです」
「話すが良い。遺物はどのような態であったか」




