揺らぐ世界:01 祭儀
「最短ルートは山道が多く、最近の不安定な気候では却って足止めされて時間ロスになりかねないので、できるだけ安定した街道を通ろうと思います」
翌日の朝食後、地図を投影しながらシュロが修正した計画を説明する。
「この村には貸し馬等はない様子なので、まずは北西のルートを徒歩で……」
「それはそうと、昨夜は良く眠れましたか? ナヴェット様」
唐突に話を振られ、あくびをしていたナヴェットがハッとした様子で赤面する。
「す、すいません昨日は少しはしゃぎすぎたようで……」
「慣れない土地では無理のないことです」
宿に帰ってきた時のナヴェットの様子を思い出し、にやけそうになる顔をぐっと引き締める。
「一人部屋で良かったのですか? ご不便ございませんでしたでしょうか」
寂しくなかったかと訊きたい所を遠回しに尋ねた。
「いえ身の回りことは一通り教えていただきましたので、ご心配には及びません」
その真意を気づいてか気づかずか、ナヴェットはきっぱりと答えた。
昨夜、湯浴みや洗濯など施設の使い方だけは教えたが、同室の提案はかたくなに断られたのだ。やはり子ども扱いへの拒否感は強いらしい。
「まあ道案内はシュロに任せて出発しましょうか。寄りたい場所もありますし」
「寄り道ですか?」
「はい、せっかくならこの地域の祭壇をご覧に入れようかと」
***
その祭壇は、村から少し離れた丘の中腹に設えられていた。斜面を一部削り、小さな洞窟のようになっている。
「昨日のうちに少し村で話を聞いてきたのですが、この辺りの豊漁はここ最近、異常と言えるほどのようです」
祭壇を清掃しながら、シュロが語る。
「一連の異常現象の余波の可能性があります。この辺りまでは影響が及んでいないと考えられていたのですが」
「今は悪い影響でなくとも、偏りは放置すると危険ですものね」
ナヴェットも周囲の枯れ葉を片づけながら、神妙な顔つきになっている。
「村に常駐の調揺士はいるのですが、定型の恒例祭儀以上のことは手に余るようでしたので、我々で調律する旨を申し出たわけです」
「昨日のうちに、そこまで話をまとめてらしたのですか」
「根回しは大切ですからね。後々まで我々が面倒を見られるわけではないので、地元の担当者がその後に自力対応できる範囲をしっかり把握する必要があります」
それがシャラとシュロの本来の仕事だった。
各地の祭壇に問題が起きないよう、見て回りメンテナンスをする。今は別業務を任命されているのでここに寄る必要は本当はないのだが、ナヴェットに事前に祭儀を見せておくという観点でも恐らく有意義だ。
「私が物見遊山をしている間にそんなに働いてらしたとは……頭が下がります」
ナヴェットは関心している様子だが、シュロのこれは酒場で得てきた情報と承諾だ。
仕事に役立つ情報を得られれば堂々と呑み代を経費で落とせるので、シュロはいつも出張先で積極的に情報収集するのだ。ナヴェットとの外出にシュロが同行しなかったのはこのためもある。
渡された領収書の額が普段より多めであったのがシャラとしては気になる所であるが、そんなあれこれをナヴェットに明かす必要もない。
「いかがですかナヴェット様、この土地の祭壇を見るのは初めてでしょうか」
「はい、資料で見たことがあるだけで実物は初めてなのですが…… エノシガイオスの系譜に見えます。カサン朝後期あたりの建造でしょうか。外壁の構造は、ウニオス思想の影響が感じられます」
「さすがですね」
ここまで具体的な回答が返ってくるとは予想していなかった。
「ここもそうですが、よく海辺で見かける系譜ですね。制御力が強く汎用性も高いことから、多くの人々の支持を集めています」
「しかしそうした利点が活きるのは比較的単純な処理の場合であり、状況に合わせて緻密な調整をしたいときにはかえって複雑な手順が必要になると思っておりましたが」
「素晴らしいです、ナヴェット様。初見とは思えません」
世辞ではなく、シャラは素直に賞賛した。
今更ながら、本当にこの少女が正式な使者である可能性を感じ始めた。
「ナヴェット様のご理解の通り、平常時は手がかからない祭壇ですので、あの村の担当者の様に比較的水準の低い者が割り当てられる傾向にあります」
「なのでこうした特殊な事態に、自力で対応できないことも多いです」
「なるほど。資料からは知り得ないことですね」
ナヴェットはナヴェットで、二人の話から得るものがあるようだ。
「実際に見てみたところ、やはり少し深めに手を入れる必要がありそうですね。せっかくならナヴェット様にご参加いただくのも良いのですが、今はお疲れでしょう。我々で執り行いますので、どうぞナヴェット様は休んでいてください」
「この場で見ていても良いですか? 祭儀を見るのが好きなのです」
「もちろん構いません。少し時間がかかるかもしれないので、どうぞお茶など飲みながら」
水筒を手渡されたナヴェットは嬉しそうに少し離れた場所に座った。
額宛の帯からレンズのようなものを引き出し、目に当てている。髪飾りだと思っていたが、どうやら実用的な道具でもあるようだ。
「着替える?」
「上だけでいいだろ」
シャラとシュロは荷物から祭服の上着部分だけを取り出して、平服の上にかぶり帯を締めた。装身具は手足・首・耳とつけやすい部分だけにする。
儀礼用の杯に果実酒をなみなみ注ぎ、二人で一口ずつ口を付けた後、祭壇周囲の地面に振りまくように撒く。村で買っておいた新鮮な果物も合わせて供えた。
シュロはさらに手に打楽器のバチのようなものを持ち、ヒュンヒュンと空で素振りする。
「よし、だいたい視えた」
準備が整った様子を受け、シャラがうなずく。
「では参りましょう」
シャラがパッと手を振り上げ、手のひらから光る花びらのようなものを周囲に振りまいた。
——栄えあれ 大地揺する 千重波や 世に満ちて
シャラの透き通るのような声が響くと、あたりの空気が文字通り揺らいだ。
***
この世はユラに満ちている。
大地を育み、風を巡らせ、海を浄化するそのエネルギーを、人々は「波」や「揺らぎ」として認識した。ユラは恵みをもたらすが、時に災いの元ともなる。人々の暮らす場所には必ず祭壇があり、ユラを御すための祈りが捧げられた。
全ての生命はユラを内包しており、吸入と発散を繰り返す。
人はユラを新たに生み出すことはできないが、人の活用によりユラが失われることもない。ただ活性度と波の変動があるだけだ。
時代を経る内に新たな祭壇を作る技術は失われたが、ユラの重要性は変わらないどころか、暮らしの中で用いる術が発展しますます欠かせないものとなった。
だから大きな偏りが起きないよう、各地の祭壇で祭儀が執り行われる。
***
シャラの謡に呼応するように、ばら撒かれた光は地に落ちることなく、さざ波に似た音を立てながらゆっくりと空間を漂っている。
——示し賜ふ 揺らぐ諸相 十重や二十重や
頭の奥で直接響いているように錯覚させる抑揚。
シャラは自らの声に合わせて光の断片をさらに何度か振りまく。
さざ波の音が重なり合い、音の網目が聞くものの精神を泡立てる。
ッコオオオォォォォン……
ふいに硬い音が響く。
シュロの手にする笏杖が空を打ち、それが波紋と音を生んだのだ。
シュロは宙を舞うように跳ね回り、空間のあちこちを次々打つ。
その足取りは遊ぶ幼子の無邪気さでありながら、その手は正確無比に打つべき点を捉えた。さざ波音の網目に、硬い余韻が楔のように打ち込まれ、音の輪郭を作る。
周囲のユラが沸き立つ。
二人の作る緩やかな渦に吸い寄せられるように、流れが生まれる。
それは次第に大きなうねりとなっていき、やがては海にまでつながった。
——征きませり 風洗ひ 天に溶け 世を覆ふこと果てなければ
シャラが手を打ち合わせると、ジャンッと銅鑼のような音が鳴り響く。
それを合図に、うねりが天に向かって竜巻のように立ち上がった。空高くユラが吸い込まれていく様は、天の底に穴が開いたかのようだ。
轟々と渦巻くユラの中に、海神の偉躯が一瞬映ったようにナヴェットには感じられた。




