迎える古巣:05 温泉
「私は過去の経緯や思いは存じ上げませんが……」
ナヴェットはゆっくり言葉を探した。
「今もちゃんと、別の美しい光景の中に二人はおられますよ。『この仕事をできて幸せだ』と、それは良い笑顔で仰っていました」
「そうか……そうなのですね……」
イヌワシが目頭を押さえる。
「あの頃のあの子たちは精神的に相当追い詰められていたようで…… 『いるだけでいい』と言いたかったのですが、それは私のエゴにしかなりません。ずっと雛鳥でいられるわけではない以上、己の存在を肯定するには成すべきことを見つけ、己の全力を以てそれを成すしかない」
「……お父様の教えだったのですね」
それは出会った初日に、己を卑下するナヴェットに二人がかけてくれた言葉だ。
「私も亡き妻も軍務の中にそれを見つけましたし、上の子たちも自然とそうなりました。その環境にいれば、自ずと周囲もそういう人間ばかりになる。あの子たちはそんな枠組みに収まる器ではなかったのですが、みな寄り添い方を見つけられませんでした」
「あの二人に合う枠組みなど、この世にそうそうありませんよ」
イヌワシは傍らのナヴェットに視線を向け、「ご存じなのですね」と小さく声を漏らした。
「せめて成人までは見守りたかったのですが、それ以上引き留めると何をしでかすか分からない様子だったので、身を引き裂かれる思いで送り出しました。だから成人の名も贈ってやれずじまいです」
史書で見た限り、この国の歴史長い一族は成人の際に通名を新たにする習慣がある様子だった。今イヌワシが呼んでいるのは幼名なのだろう。
「いつの時代も親御さんは皆『もっとああしてやりたかった』と思うものでしょうが、子は勝手に飛び立ち、親の知らぬ間に育つものです」
ナヴェットは空を飛ぶ鳥を見上げる。
「きっとイヌワシ様ご自身も覚えがあるのではありませんか」
ナヴェットの言葉に、少しの間イヌワシは視線を宙に上げ考えた後、ふっと吹き出した。
「仰る通り、私もロクなものでありませんでしたね」
クククク、としばらく一人で笑ったあと、改めてナヴェットを見つめる。
「ナヴェット殿は不思議な方ですね。“茉莉花”がわざわざ紹介しろと言うのですから、ただの方ではないだろうとは思っておりましたが。昔、似た方にお会いしたことがあるような気がします」
「え。それって……」
「あっもう起きておいでだ!」
ナヴェットはイヌワシの言葉にふと思うところがあったが、遠くからシャラたちが馬で駆け戻って来て会話が途切れた。
「父様! また余計なことをナヴェット様に話していないでしょうね」
「お前たちの話に余計なものなんて無いだろう」
「ダメだ絶対何か話してやがる!!」
「油断した」
二人は頭を抱えて嘆いているが、その表情には今朝とはまるで違う和やかさがあった。
***
「これが! 『王侯貴族じゃなきゃ無理ですよ』と仰っていた、『個人宅の温泉』!!」
帰宅後、仕事が残っているというイヌワシと別れ、厩舎の周りで馬の世話を一通り手伝わせてもらった後、ナヴェットは私邸の地下にある浴場に案内された。
「あの時はそんなつもりで言ったわけじゃなかったんですけど……結果的に、はいその通りです」
シャラは少しバツが悪そうに笑う。
各自事前に個室で汗と泥を落としてから、迎賓館に用意されていた厚手の入浴着を拝借して着こんでいる。
「天然の洞窟を整備して浴場にしたのですね」
見回しながら感嘆するナヴェットの声が、周囲に反響する。
壁面や床の周辺部は自然岩そのままの野趣溢れる様相でありながら、浴槽や手前の床は古めかしくも美しいタイルで舗装され、さらには飲泉用であろう小さな噴水まで設けられていた。
「きっとこの洞窟を見つけたからここに邸宅を建てたのでしょう、一族の昔の誰かが」
シュロは早速噴水から温泉水を杯に注ぎ、セラーから確保してきた葡萄酒を足している。
「シュロ、今日はオフ日扱いじゃないからね、まだ昼間だからね」
シャラが釘を差すのにシュロは無言で目を逸らした。
「あー…… 乗馬して温泉までなんて、贅沢すぎる……」
三人並んで湯に浸かり、天井を眺めながらシャラが呟く。
「家を出たことを後悔したことはありませんが、こればかりは」
「行政府の薄給では叶わぬことです」
二人が困ったように笑う。
温泉もそうだが、愛馬と過ごす先程の二人はナヴェットから見てもあまりに幸福そうだった。
よく決別する決断ができたものだ、とナヴェットは改めて当時の二人の心境に思いを馳せる。
「二人とも普段お仕事頑張ってらっしゃるのです、たまにはこんな役得があっても良いでしょう」
本当は「いつでも帰ればいいじゃないか」と言いたかった。でも恐らく、そういうものではないのだ。
「はは、そうですね、色々と腹立たしいですが、これは『役得』かもしれません。でも本来は要人警護も賓客接待も、調揺官の仕事じゃありませんしね」
「こんなの次があるかどうか」
「ではお二人がお仕事を頑張り続けたら、いずれどうなるのです?」
ナヴェットとしては何気なく投げた質問だったが、二人には痛いところだったらしい。見事なシンクロ具合で二人ともジャプンッとお湯に潜った。
「他の何にもなりたくない……どうすればいいんだ……」
しばらくぶくぶくした後、再び頭を出したシュロが真剣な顔で言う。
「キャリア計画とか訊かれますけどね……今は目の前のことで精いっぱいで」
少し遅れて頭を出したシャラも悩ましい顔だ。
「たぶんいわゆる花形は、補佐役として首座の祭儀に加わることなんだろうけどねえ」
「全然楽しそうじゃない」
つまらなさそうに言い切るシュロに、シャラもうなずく。
なにせ父親が「幼馴染」なのだ、見ていて思うところがあるのだろう。
「お二人がよく仰っている『長官』というのは、また違うのですか?」
「あんなんなったら、調揺なんて一切関われませんよ!」
「あれは政治屋がなるものです」
拒絶がすごい。
「一般的には、どこかの重要な祭壇の常駐になることをヨシとする、風かなあ」
「あちこち行ける方が楽しいのに」
「う~ん、社会で生きるって大変なんですね」
「「本当にそれなんですよ」」
数日前にもこんなやり取りをした気がする。




