揺らがぬ身体:02 自己認識
結果として、シュロは山小屋で待っていなかった。
シャラの叫び声が聞こえて飛び出してきたのだろう、二人が来た道を戻り始めていくらもしないうちに、蒼白な顔をして駆けてきたシュロと鉢合わせた。
ナヴェットの装飾品をまとめて抱えるシャラは、遠くから見たシュロにはぐったりした(場合によってはバラバラな)ナヴェットを抱えているように見えたに違いない。
胸ぐらを掴まん勢いでシャラに飛びついてから、その傍らに佇む人影に気づき――己に視えるもののあまりの不可解さに、シャラ同様言葉を失った。
しかし健気に笑うナヴェットを見て何かを感じたらしく、何も言わないままその肩を抱いて山小屋への道を歩いた。
「まず最初になのですが、私自身もいったい自分が何者なのか、知らないのです」
濡れた髪が乾くようにとナヴェットをストーブの前に座らせ、あらかじめ沸かしておいた湯でいつもの茶を淹れてから、二人はナヴェットの話を聞き始めた。さすがのシュロも、茶に酒を足すような余裕はないようだった。
「だから今からお話するのは、『私がどう自分を認識しているか』という話になります。そしてお話できるのは、私にまつわる部分だけです。ここに至っても話せないことばかりで、申し訳ありません」
「謝らないでください、ナヴェット様」
目を伏せたまま、シュロが掠れた声を出す。
「私自身から見れば、私は他の人と何も変わらないのです。食べて飲んで寝て、しゃべって動いて息をして。互いに触れれば暖かいですし、無理をすれば体調を崩します。悲しいことや嬉しいことがあれば涙が出ます」
そう、シャラもシュロも、そういうナヴェットを見てきた。何ら自分たちと変わらなかった。しかし。
「ですが周りが言うには、私は『誰にでもあるはずのもの』がないのだそうです。そして、私には分からないものを皆は見たり感じたりしているらしいのです」
全ての生命はユラを内包しており、吸入と発散を繰り返す。それがこの世の理であるはずだ。生命どころか、無機物であっても多少はユラと双方向に影響をし合うというのに。
「皆が感じている世界を知りたくて、あらゆる手段で学びました。周りの人をよく見て真似をしました。でも、みなの意識によって起きる事象を、私には決して起こせないのです」
「そんなことはなかったじゃありませんか」
ここに来るまで、いくつもの祭壇でナヴェットが祈るのを見てきた。確かにその結果起きる活性化は多少弱々しくはあったが、一般的にありふれている範疇だ。
「里には古くから伝わるという装身具がありまして、里長はそれを私に授けてくれました。それを纏うと、私の状態や行動を反映してわずかにではありますが周囲のユラが動くのだそうです」
今までナヴェットのものだと思っていたユラは、頑なに外そうとしなかった装飾品が発していたと言うのか。
そんな道具の存在は二人とも聞いたことがなかったが、しかし現に目の前にある以上、信じざるを得ない。
「でもどれだけの精度で擬態してくれているのか私には分からないので、お二人が揺らぎをハッキリと視認していると知った時には震えました。お二人ほどではなくともユラに敏感な人と言うのは世の中にいるもので、そういう人は大抵、素の私のことを怪異を見る目で見ましたから」
先ほどの自分たちがいったいどんな表情をしていたか。自分で見ることは出来なくても自覚はある。
二人は後悔に押しつぶされそうになった。それはかつて自分たちが、散々他人から投げつけられてきたものだったというのに。
「あ、違うのです、すいませんあの時私が怖れていたのは……はい、自分の異質さを見抜かれることが怖かったのはもちろんなのですが、それは二の次で…… ごめんなさい、そちらについては今はまだ」
ここまで来ても二人に気を遣ってくれる姿に、胸が詰まる。
「しかしあれほど正確にユラを追える二人に今までバレなかったのですから、この装身具は大したものですね。見直しました」
そう言ってまじまじと己の帯を見つめるナヴェットは、急にいつも通りの顔に見えて、この場に不釣り合いに可笑しかった。
「便利な道具も色々ありまして、ユラを視覚化してくれるレンズだとか、活性度を測れる計測具だとか。そうしたもののおかげで、何とか祭儀で起きていることを把握することは出来るようになりました。だから、祭壇の解析に多少のお役に立つ自信は本当にあるのです」
そう、ナヴェットは自分たちの祭儀や奉納の結果で起きたことを、正確に把握していた。場合によっては、感覚で捉えがちな自分たち以上に正確に。
「そういう面もあり、今は里にまったく居場所がないということはないのですが……それでも私はやはり知りたかったのです。自分がなぜ人が持つものを持たないのか。なぜいつまでたっても子どもの身体のままなのか」
――ん?
シャラはナヴェットの言葉に引っかかりを覚えた。
「だから本当に、今回ここに来れたのが本当に嬉しくて……」
ナヴェットが話を続けているというのに、違和感が邪魔して頭に入ってこない。先ほど、今までの流れと違う情報が唐突に差し込まれなかったか。
「外の世界で、手がかりを自分の足で探してみたいと、ずっと思っていたので」
「すいませんナヴェット様、先ほどの所、もう一度伺っても良いですか?」
今そんな所ではないだろと自分で思いつつ、我慢できなかった。
シャラが恐る恐る、という体で質問をすると、ナヴェットは分かっていたようでバツが悪そうに笑った。
「最初に言いましたよね。『私は実年齢より下に見られがちですけど』と」
言っていただろうか。言っていたかもしれない。
「私はお二人より長く生きています。もしかしたら親御さんの方が近いくらいかもしれません」
シャラとシュロは、耳鳴りと共に、突如世界が別物に差し替えられたような感覚を味わった。




