張り詰める山:01 緊迫
「昨日のうちにシュロが聞いてきた話によると、山の中腹に古い山小屋があるらしいので本日はそこを目指します。そこで一泊し、明日はいよいよ祭壇に到着予定です」
ナヴェットたちがなかなか待ち合わせ場所に現れずやきもきしていたシャラと祭壇で落ち合い、手早く奉納を済ませてから一行は山道に足を踏み入れた。
「いよいよ異変の中心地へ足を踏み入れます。くれぐれもお気を付けください。……と、言いたいところなのですが」
妙なところでシャラが話を区切る。
「なぜかこの山、今まで通ってきた土地よりよほどユラが安定しているようなのです」
「安定ですか?」
予想外の言葉に驚くナヴェットに、シュロも隣からうなずく。
「実は昨日から妙だと思っていたのですが…… ユラが高度に活性化しているにも関わらず、安定しています。それこそ、普通ではないほどの精度で」
「念のためシュロに住民の声も集めてもらいましたが、山や街中自体は穏やかで変わりがないそうです。例の祭壇発見時の山崩れも、生活に影響があるような規模ではなかったそうで」
二人とも、解せないと言った表情だ。
「せいぜい、以前より温泉の湯温が少し下がった程度だとか」
「周辺の街道に危険が増えたことで、客足が減っていることの方が余程暮らしに影響が大きいらしいです」
「まるで台風の目ですね……」
ナヴェットから見ると、周囲は程良く生き物の気配がする、穏やかで静かな山だ。
しかししばらく歩いているうちに、シャラとシュロの表情が段々と冴えなくなってきた。
「なるほど、これは……」
時々頭や口元を押さえ込む。
「ちょっとユラが濃密すぎて……」
「酔うと申しますか、我々にはしんどいですね」
二人がナヴェットに弱音を吐くのは非常に珍しい。かなり辛いのかもしれない。
「大丈夫ですか? 少し休みましょうか?」
「いえ、気分だけの問題ですから先に進みましょう」
「ナヴェット様は疲れたら仰ってくださいね」
この二人はいつだってナヴェットを優先してくれる。こんなとき位、自分本位にしてくれてもいいのに、とナヴェットは思う。
「はぁ、しかしミズナギ……でしたか、まさか本人にも出身地が分からないとは」
気を紛らわせるためか、先ほどナヴェットたちが共有した話題をシャラが振り返る。
「通名を使わない土地、など聞いたことがありませんでしたが、故郷の手がかりになるのでしょうか」
「あちこち巡ってきたつもりでおりましたが、世界は広いものです」
シュロも顔色は冴えないものの、感慨深げに会話に交ざる。
「大昔はそういう土地も多かったと聞きますが、現代となると私も具体的にどことは知りませんね」
ナヴェットも宙を見上げて、考えを巡らせる。
「ただ『オリガ』と言う名と、訛りの傾向からすると……もしかすると、ラウヂワの中央付近か、東部の方からかもしれません」
ラウヂワの名に、シャラとシュロの間にピリッとした空気が走った。
ラウヂワは北東の国境に接する隣国で、東西に長い広大な国土を擁している。ユラに対する指針の違いなどもあり、二人が所属する国とはたびたび小競り合い……時にはそれ以上の争いを生んできた。
「ラウヂワの中でも奥地、となると確かに我々には未知の領域です」
少し尖ってしまった己の感情をなだめるように深呼吸をして、シャラが返した。
「しかしそんな遠くから本人の意思でなくこの地にいるなど……想像しがたいですね」
「あくまで名前からの推察なので、あまり気になさらないでください。すいません、配慮に欠けた発言でした」
文化や過去史には詳しいが、同時代の政治情勢やそれに伴う感情等には、ナヴェットは疎い。
ラウヂワとの諍いは二人にとって決して他人事でないのだと二人に走った緊張から察し、ナヴェットは己の浅慮を悔いた。
「いえ、私たちは問題ないのですが、その可能性を周囲に知られるのはミズナギにとって良いことにならないかもしれませんので」
シュロは心配そうに来た道を振り返る。
「返す返すも浅はかな発言でした。すいません、どうか忘れてください」
「もしそうであれば、早めに通名を持たせてやれて良かったです。私たちも聞いた名は忘れましょう」
萎れるナヴェットの肩に、シュロが優しく手を載せる。
ナヴェットはその温もりをありがたく思うと共に、やはり小さな違和感を抱いていた。
先ほどのシャラの表情の揺れは、いつかの馬車の中で見たものと似ていなかっただろうか、と。
***
目指していた山小屋には、想定より早めに着いた。シャラはまず山小屋の設備を確認する。
「雨風を凌げれば充分と思っていましたが、ストーブも井戸も残っていますね。ありがたい」
今は使っていないと聞いていたのであまり期待していなかったのだが、これなら比較的楽に過ごせそうだ。
「ナヴェット様は山道に慣れておられるのですね」
荷物を降ろしながらシュロが尋ねる。
山道の日程はナヴェットの足を考慮して時間にゆとりを持ったものだったのだが、二人の予想に反して山道のナヴェットは身軽だった。
体力そのものがないのはいつも通りだが、山道であってもその消費が平地とさほど変わらないように見えた。
「そうですね、山は日常でした」
心なしか、ナヴェットが普段より生き生きして見える。
「お二人はユラのせいでしょうか、しんどそうですね。たまには休んでいてください。私がお湯を沸かしましょう」




