共振る煙:03 林檎酒
「おなか……減った……」
目覚めたシャラの第一声はそれだった。
「あれ。もう夜?」
改めて周りを見回すと、自分はいつの間にか着替えて寝台に横たわっていた。傍らに座るシュロが、控えめな明かりの中で眉をひそめて自分を見つめている。
「シュロだけ?」
「ナヴェットはさっきまで起きていたけど、そっちの寝台で寝てる」
小屋の反対側には、もう一つ寝台が備えてあった。見るとナヴェットが着の身着のまま、すやすやと寝息を立てている。
「技師の二人は、街から来た保安部の連中が保護して行った。ちゃんと怪我人運ぶ装備で来てくれて良かった」
「そっか、良かった」
シャラが安心した顔で笑みを浮かべるのを、シュロは複雑そうな顔で眺める。
「普段ヒトに向かって、情に流されすぎとか言うくせに」
「えぇ~だって祭壇の工匠だよ、すごく貴重な人材じゃない」
合理的な判断の結果だと言わんばかりのシャラに、シュロは諦めたように嘆息した。
目の前に現れてしまった怪我人が、そういう「建て前」が成り立つ相手であった。
そのことをシャラは幸運と捉え、誰より感謝していたことだろう。
有限の救済手段を持つ者は、残酷な選別を気まぐれに迫られ、その結果を「自分が選んだ」と背負わされる。
「保安部の連中が念のため持ってきてた食糧、ありがたくもらっておいた」
「やった! ……っと」
起きようとして目眩を起こしたシャラの上半身を、シュロが怒ったような顔のまま支える。
「シャラは共振が上手いだけで、素の体力そこまで無いんだから。もっと弁えろよ」
「いやさすがにシュロよりあるよ、体力そのものは」
シュロの方が身体の使い方が器用なだけだ。
「親父らみたいなのを参考にするなと言ってる」
「えぇ~参考にしてるつもりはないんだけど……心配かけたね、ごめんね」
シャラが謝ると、シュロは更に眉間の皺を深くして、鼻から荒く息を吐いた。
「ともかく補給しろ。林檎酒飲むか?」
差し出された酒瓶に、シャラは目を丸くした。シュロが己から酒を勧めるなんて、非常に珍しい。
「空きっ腹には毒か」
「シュロと血のつながった兄が、そんな常識的な身体してるわけないじゃない」
吹き出しながらシャラはマグを受け取る。
「ありがとう、糖分が沁みるわぁ」
一気に飲み干した林檎酒は、酸味と甘み、そして仄かな炭酸のバランスが絶妙で、絞りカスのようだった身体を優しく埋めてくれる。
「さすがシュロが目を付けてた林檎酒だ」
「あの派手な花篝なー。不謹慎かもしれんが、来年の林檎酒どうなるか気になるんだよなー」
「いや本当に不謹慎だな」
思わず真顔になってしまった。
「全部無事に鎮まったら、不謹慎と言われないだろ?」
「そうかな? まあそうかも?」
それが仕事のモチベーションにつながるなら、それで良いのかもしれない。
「来年この辺りに出張入らんかなー」
都合の良い妄想をしながら、シャラが寝台でそのまま食べられるよう、シュロは食材をパンに載せて並べてくれた。いつにない勢いで、シャラはそれを次々平らげる。
「あ、そうだ祭壇どうだった? シュロはもう見たよね?」
普段の夕飯の二倍近い量を一気に食べ、シャラはようやく人心地がついた。
「無事だった。あの人らの献身は無駄になってない」
「そっか、良かった」
先ほどよりさらに嬉しそうに笑うシャラ。
「もう待機状態になってる。内部処理は修繕前と変えない前提らしいから、前の譜面もらっておいた」
「え、見たい見たい」
キョロキョロと室内を見回すシャラに、シュロはまた苦い顔をする。
「今日はもう寝ろ、明日にしろ」
「さっきまでずっと寝てたし、しばらく眠れないよ」
食い下がるシャラを、シュロが下から睨みつける。
「シャラが寝ないと、こっちも寝られないんだよ」
「……その言い方はズルいなあ」
さすがにシャラも降参して、枕に頭を載せる。
「ウチだけ寝台使わせてもらってごめんね」
申し訳なく思う気持ちもあったが、この状況で譲ろうとしても受け入れられるはずがない。
「今更。よくあることだろ」
案の定シュロの返事は素っ気ない。周囲の荷物を片づけて、安眠の香を香炉で焚いてくれた。
「火が消えたらウチも寝るから。おやすみ」
「うん……ありがと……おやすみ……」
結果として「しばらく眠れない」なんてことは全然無く、良い香りと満腹の充足感に誘われるまま、シャラはあっという間に再び眠りに落ちた。
翌朝ナヴェットが目覚めると、既にシャラはいつも通りに身支度を整え、寝台に腰掛けていた。
手元で喫煙パイプの清掃をしながら、楽しそうな目で譜面を眺めている。
「シャラ! もう起きて大丈夫なのですか?」
「おはようございます、ナヴェット様。昨日はお恥ずかしい所をご覧に入れましたね。失礼いたしました」
気恥ずかしそうに笑うシャラの顔を、ナヴェットは近くからじっと見つめる。
「良かった、顔色も元通りですね」
「ただの一時的な疲労ですから、食べて寝れば問題ありませんよ」
シャラは軽く言うが共振での他者治癒は、見極めを誤れば共倒れに成りかねない、危険を伴うものだ。
恐らくシャラは、そのギリギリがどこにあるかよく見えてしまうが故に、限界まで踏み込んでしまうのだろう。
「ナヴェット様が朝食を召し上がったら、祭壇を稼働させましょう」
「お二人で祭儀を行うのですね」
蜂蜜を塗ったパンとチーズを交互にかじりながら、ナヴェットが目を輝かせる。
「はい。今回はあの技師たちに敬意を表して、残された譜面通りに執り行おうかと」
清掃が終わったパイプを道具鞄に戻し、シャラは祭服を羽織った。




