灯る篝火:04 話題
それは、中庭に生える樹の枝にロープを垂らし、手で掴んでふわりと自分の身体を持ち上げて見せたシュロだ。凄まじい腕力と体幹がそれを支えているはずだが、まったく力みを感じさせない。
みなの視線がシュロに集まったのを察して、ナヴェットは全ての輪を宙に投げてまとめてキャッチし、軽く礼をして脇へよけた。
シュロの動きがゆったり目に焼き付くようにと、シャラはいったん刻むリズムの速度を下げる。
柔らかく、まるで宙を泳ぐように、シュロの胴と両脚が何もない空間を舞う。速い動きでないからこそ、見る者の心がじわじわと奪われていく。
いつの間にかシュロの身体は上下反転しており、腕ではなく足先に絡めたロープがその身体を吊っていた。一体どうやって反力を得ているのか、不定型なはずのロープに立つかのように、その上半身と腕が弧を描いて舞い、誰もその指先から目が離せない。
木箱の打音に詞のない妖艶な歌声が乗り始め、ますます皆の心を異空間へ引きずり込む。次第にそのテンポが速くなっていくのに合わせ、シュロは次々と支点と重心を変えながら、ロープの上へ移動していく。
熱を帯びた緊張が最高潮になった所で、シャラが甲高い掛け声とともに一際強く箱を打ち、シュロがパッと全ての手足をロープから放した。
「落ちるっ!」
観客から悲鳴が上がる。
支えを失ったシュロの身体は地に引き寄せられ、激突する——かに思われた寸前で止まった。いつの間にか再び腕と足にからめ取られたロープが、その身体を支えている。
ワァァァァッと観客が沸いた。
今度こそ両足で地面に立ったシュロは、肩で息をしながら優雅に片足を引いてお辞儀をした。
「まさかナヴェット様にあんな特技があったとは」
「いやいやいや、それはシュロの方でしょう」
煽ったのは自分だが、予想を遙かに越えるものを差し出された。
「その細い身体のどこにそんな力が」
いつかのように汗まみれでペシャンコになっているシュロを、ナヴェットはついまじまじと見つめてしまう。傍らに脱いで置かれていた上着を、シャラがその肩に羽織らせた。
「よく見たら、昨日酒場にいた呑兵衛じゃねえか! いやーすごいモン見せてもらったわ」
いつの間にか、聖堂に暮らす人たちだけではなく街中からも観客が集まっていたようだ。そのうちの一人に声を掛けられ、シュロはバツが悪そうに片手だけ振って返事に代えた。
「あ、おひねりとかそういうアレじゃないです、それはどうか、聖堂の献金箱に」
何かを握らせようとしてくる人たちを、シャラが笑顔でかわしている。
「あれー? うまくできなーい」
「かんたんそうだったのにぃ」
子どもたちは早速、ナヴェットを真似ようと輪をくぐってはしゃいでいる。
「ほら、まずは腕で回してごらん」
その親だとおぼしき大人が数名、軽く回して見せている。その顔からは、一時であれ影が拭われているようだった。
「子どもたちが真似する前に、ロープは早めに外してくださいね」
聖堂のスタッフに釘を差され、ぐったりしていたシュロがパッと立ち上がった。
「すいません、勝手なことをしまして。お騒がせいたしました」
そそくさと樹の片づけに行ったシュロに代わり、シャラが頭を下げる。
それに対しスタッフは、困ったように笑った。
「いえ、不安なのは私たちも同じだったんです。でも、既に現実に困難に遭っている人たちの前でそんなこと、口が裂けても言えませんし」
聖堂側の人間も、微妙なわだかまりを感じていたようだ。
「しばらくは共通の話題に困らなさそうです。ありがとうございました」
そう言ってもらえて、ナヴェットは胸を撫でおろした。
これが何の解決にもなっていない、自己満足の一時しのぎに過ぎないことはよく理解している。「余計な事」でないのであれば、これ以上はない。
「気持ち程度しかできませんが、何かお礼を」
「いえそんな。本末転……」
「それなら林檎酒を分けていただけませんか?」
当然のごとく辞退しようとした所へ、いつの間に戻ってきたのかシュロが厚かましいことを口にし、シャラはビクッと振り返る。
「この街のリンゴはよく花篝が宿ると聞いて、気になって」
その目はじっと、地下の保管庫に続いているであろう扉を見つめている。
あの燃えるような花篝を見ながらそんなことを考えていたとは、相変わらずの図太さだ。
案の定、スタッフは可笑しそうに笑う。
「ええ、去年の収穫のものですけれど、よろしければお持ちください。確かに去年は、普通の花篝が見られましたよ」
「また来年は、『普通』になるよう願っています」
ナヴェットが真摯な目で言うと、スタッフもまた穏やかな顔でナヴェットを見つめる。
「はい。みなさまの旅路が、豊かなユラに恵まれますように」
***
「大変な思いしている街の人たちから物を恵んでもらうだなんて」
馬車の中で、シャラは小言を垂れる。
シュロの着替えも含め聖堂に思わぬ長居をしてしまったものの、ともあれその後、正規の護衛が乗る馬車に三人で乗り込めた。ようやくシュロも肩の荷が降りた思いだろう。
ちょうど今の区間は他に車内の乗客がいなかったため、会話も遠慮なくできる。
「まあまあ、昨日も今日もシュロは身体を張ってくれているのですから」
ナヴェットが取りなすのを良いことに、シュロは何も言わず窓の外を見ている。
「それは確かにそうなんですけれど」
シャラとて何もしていなかったわけでは勿論ないが、ここ二日は払った労力に差があることは否めない。
「あの子達が住んでいた村というのは、どの辺なのでしょうか」
二人のやりとりを意に介さず、窓の外を見ながらシュロが独り言のように漏らす。
「たぶん今日は、この先で竜巻が発生しています」
ギョッとしてシュロが眺める方を見ると、遠くの空に大きな積乱雲が見えた。ナヴェットの目にはそれ以上のことは分からなかったが、シュロには風の動きが見えているのだろう。
「進行方向からして、この街道は危険なさそうですが」
その声は今朝と同じく、いやそれ以上に、無理に感情を押し殺しているような淡々としたものだった。
「目をつぶって過ごすのはつらいことですが……しかし根本解決をせねばキリがないのも事実です」
そう言いながらも、ナヴェットの握る拳は色が変わるほどに力が入っている。
「各地の避難誘導や復旧支援には、うちだけでなく多くの役所や軍部も人手を割いて対応しています。今は、その人たちを信じましょう」
膝の上に置かれたその手を、シャラがそっと己の掌で包み込んだ。
そうして心に蓋をして、先を急ぐ決断をしたと言うのに。世の中はなぜか、その覚悟を試そうとしてくる。




