交わる糸:07 茜
翌朝は霧吹きのような雨が残るのみで、晴れが近い予感を抱かせる明るさだった。
昨日のうちに確認したところによると朝一番の馬車は既に予約でいっぱいの様子だったので、昼前の便を狙うことになっている。ナヴェットが最後にもう一度みなさんに挨拶したいとのことだったので、少しゆっくり目に宿で過ごしたあと、三人は会館に移動した。
「出がけに宿の主人に聞いてきたのですが、ちょうどキャンセル客が出たそうで、狙い通り次の便に乗れそうです」
シャラがそつなく収集した情報を共有してくれる。
「今更ですけど、乗合馬車ってかなりお金かかりますよね?」
「ご心配なく、ナヴェット様に必要な事柄は経費で落ちます」
ナヴェットのふとした疑問に、シュロが答えた。
「そういうものですか」
「経費にけじめは必要ですが、経費に遠慮は無用です」
いつになく力強いシュロに、ナヴェットはそれ以上の疑問は差し控える。
「あらもう行っちゃうの? 残念ねえ、もっとゆっくりしてけばいいのに」
「これ良ければ持って行って、馬車の中でお食べなさい」
「気をつけてね、最近は馬車強盗の話をよく聞くから」
「狼を見たって人もいるらしいの、怖いわあ」
会館では初日と同じく、女性たちが手仕事を持ち寄っておしゃべりに興じていた。シャラは相変わらず事もなさげにそこに混ざり、会話の流れに乗っている。
ナヴェットは何とか挨拶をしようと思うものの、やはり思うように流れに口を挟みこめない。
シュロはその輪には加わらず、書斎に並べられている過去の祭儀の記録を手に取り楽しげだ。譜面を見ているのか、指先がリズムを刻んでいる。
「今日のご出立でしたか」
時間切れかと思われた頃、ナヴェットが待っていた声が聞こえた。
雨が止んだのを見計らってだろう、エニシダとその妹が手作業の道具を持って会館を訪れたのだ。
「あ、あの!」
喧噪の中、ナヴェットが勇気を振り絞って声を出す。
「一昨日はありがとうございました。本当に得難い経験でした」
美しい姿勢で礼を述べるナヴェットに、姉妹は少し驚いている様だった。
「その……何分旅の途中で手持ちの材料もなく、こんなものしか作れなかったのですが……良ければ受け取っていただけませんでしょうか」
ナヴェットが恥じらいながら差し出したのは、糸を指で編んで作ったと思われる、簡素なお守りだった。房の先に、革と木のビーズが揺れている。
「私のために、作ってくれたの?」
驚きながら、少女が受け取る。
「代わりにと言うのも図々しいのですが、ここで育てている茜の根を、少し分けていただけませんか?」
茜は家庭での染織に欠かせない植物だ。
根を煮詰めて糸を浸すことで、赤色に染めることができる。薬用としての価値もあるからか、聖堂の菜園で育てていることをナヴェットは先ほど確認済みだった。
「構わないけど……」
「いつか故郷に帰ったら、その根で糸を染めて、同じお守りを作りたいんです。何度でも、この気持ちを思い出せるかと思って」
周囲の女性たちがワッと湧いた。あまりに可愛らしい申し出だ。
乾燥させて貯蔵していた根を手早く麻布に包んで、シュロに持たせてくれた。
「ありがとう、遠くから来たお嬢さん。私もこれを、後で染めるね。おそろいだね! ずっと大事にする!」
少女はナヴェットが渡したお守りを、大切そうに握りしめる。
「喜んでいただけて良かったです。アカネさんの今後の人生のあらゆる時に、風がよく揺すられますように」
深々とお辞儀したナヴェットが顔を上げると、ちょうど雲の切れ目から滑り出しだ陽光が、少女の顔を明るく照らした。
***
「通名であれば教えても良かったのでは?」
シャラが御者と交渉するのを待ちながらシュロが訊いた。
少女がアカネと呼ばれていることは、一昨日の時点で知ってはいた。
女性たちの世間話で何度か名が出ていたからだが、たぶんシャラがそれとなく話題を誘導してくれていたのだろう。しかしナヴェットは一度も名乗っていないし、二人からは「お嬢様」としか呼ばれなかったので、街の人間でナヴェットの名を知る者はいないだろう。
「はい、教えても良かったのかもしれません。ただ、『私』という個人にと言うよりも、『どこへ行くのか分からない旅人』に祝福された、と言う思い出の方が、彼女の中で良い物語なのではと思って」
そんなものだろうか。シュロには判断がつかない。
「……なんて。本当は、まだ勇気が足りないだけです」
ナヴェットはシュロを見上げて誤魔化すように笑った。
「これが良いことなのか、正直まだ分かりません。糸を編んでいる間ずっと、色々な考えが浮かびました。でも人生長いですから、今はこれでやってみようかなって思ったんです。違うなって思ったらその時に変えようかと」
「……ビーズ、もっと作りましょうか?」
「ありがとうございます、昨日いただいた分がまだあるので大丈夫ですよ」
ナヴェットが自分の荷物を大切そうに撫でたところで、シャラが戻ってきた。
「話をつけてきました。ナヴェット様はどうぞ中へ」
後ろでシャラが何やら小声でシュロに耳打ちしている。聞いたシュロの眉間にしわが生まれたが、さらに続けられた言葉により満更でもない表情に変わった。




