交わる糸:05 吉兆
「やはり本日も雨脚が強いですね。午前中は雷雨になるかもしれません」
シュロがいつも通りの優しい手つきで化粧を施しながら、時折空模様を見ている。
「私は常駐の調揺士と話をしたいので本日も聖堂へ行く予定ですが、午後にした方が良さそうですね。お昼までは宿でゆっくりしましょう」
午前中は、各自の荷物の手入れに費やすことにした。
ナヴェットも少しサイズが合わない所のあった古着の調整をしようと、二人の部屋へ針道具を持ち込んだ。
「急ぎの旅のはずですのに、もどかしいですね」
針に糸を通しながら、ナヴェットが呟く。
「いえ、旅にはこのような日も必要です。私とシュロは前の出張先からそのままここへ来ることになってしまったので、気になる綻びがあちこち溜まっていたのですよね」
「むしろ天の配剤でしょう」
さすがに飲みすぎて頭が重いし、という二人の秘められた意図はナヴェットにはバレていない。
雨の音と茶の香りの湯気に包まれながら、それぞれに黙々と作業する。
合間に小声で「ちょっとそこの糊とって」「ん」等と気やすいやり取りを漏らしている二人が、ナヴェットには新鮮で心地よかった。
確かにこうした時間は必要だ。無心で手を動かすと、余計な考えが取り払われ心が静まる気がする。
「こうしていると、昨日のマダムたちの集会のようですね」
ふふっ、とシャラが笑いながらふいにこぼした。
「ナヴェット様は針仕事がお好きなのですか? かなり手慣れておられますね」
シュロがナヴェットの手元を覗き込む。
「好きと申しますか……あ、いや、そうですね、やはり好きですね」
「なんですかそれは」
二人の緩んだ空気に感化されたのか、いつになくナヴェットも肩の力の抜けた返事をし、それを聞いて二人が吹き出す。
「うらやましいですねえ。私は必要に迫られてやっているだけですね。旅をしているとどうしたって必要になる作業ですけど、サボれるならサボりたいクチです」
「たまに取引して私がシャラの分も修繕したりしますね。私もナヴェット様と同じで、嫌いじゃない方です」
「まあ、それじゃあ私も今度シャラの分も引き受けて、ご褒美をもらいましょうか」
今までになく、話が弾んだ。なるほど、街の女性たちがああして集まる理由が理解できた気がする。
「そういえば昨日、刺繍を男性が刺しても構わないか事前に確認していましたね。お二人の地元では、男性の針はタブー視されているのですか?」
「刺繍そのものはタブーと言うほどではありません」
「ただ、ああいう特別な役割の飾りに男が刺すと、また違う意味が生まれたりしてややこしかったり」
シャラのため息には、実際に「ややこしい」ことになった過去が秘められていそうだ。
「あそこで『女性のみ』と言われていたらどうするおつもりだったのですか」
「普通に明かしますよ。積極的に誤解してもらおうとしているだけで、絶対の秘密にしているわけではありませんから」
「本当におズルい」
部屋が笑いに包まれる。
「おや、光り始めましたね。鳴っているのは遠そうですが」
シュロの予想通り、雨に雷が交じり始めた。
「稲妻は吉兆と申しますし、縁起が良いですね」
「そうですか、天の怒りと言われることも多いと思いますが」
ナヴェットの言葉に、意外そうにシャラが返す。
「吉兆とされるのは農業の重要性が高い土地に多いでしょうか。天の怒りという捉え方も、充分に理解できます。でもどちもあり得るなら、今日は吉兆と思っておこうかと」
「はは、ナヴェット様もおズルいじゃありませんか」
「そうですよ、私はズルいのです」
ひとしきり笑ったあと、唐突にナヴェットは何かが分かった気がした。
「そうだ。そうなんです。私は、本当に色々なことを知っているのです。たくさんたくさん、本を読んで資料を眺めてきたんです。知るのが楽しかったから」
ナヴェットが何かを己の中で捉え始めている。それを察し、シャラとシュロは黙ってうなずいた。
「でも……だから、昨日あの飾り帯を目の前にして、竦んでしまいました。私が針を刺すことで生まれ得る意味が、何種類も頭に浮かんでしまうのです。むしろ穢れと捉えられるような事例もいくつも知っていますから」
シャラが男性禁忌がないか確認しようとしたのと同じ類の思考が、一瞬で何倍もの本数で流れてしまうのだろう。
「こんな純粋な思いにそんなことを考えながら応えていいのだろうか、とか。ここに来る前は、本でしか知らなかった世界を体験してみたいと本当にワクワクしていたんです。でもいざその場に立つと……人の心に触れて自分が影響を与えることが、こんなに怖いことだったなんて」
考えすぎですよ、とは慰めでも言えなかった。
考えすぎることも含めて、この少女の思いやり深い人格が構成されているのだ。
「すごく、勇気がいることでした。でも、それをすごく喜んでもらえて……それが私も、素直に嬉しくて。とても、本当に嬉しい気持ちになって……」
考えながら、ひとつひとつ言葉を探しながら話すナヴェットを見ていると、鼻の奥が痛くなってくる。
「……今、分かったのはここまでです。これからどうするべきかは、まだよく分かりませんけど、でもだから、やっぱりお二人に心配いただくようなことではないのです」
少し照れ臭そうにナヴェットが顔を上げると、そこにはシャラとシュロの慈しむような目があった。
「ナヴェット様」
「良い経験ができましたね」
言葉は昨日と同じ。しかしその深さは異なる。
「はい。本当に良かったです」
ナヴェットも、昨日とは違い本心から返事をすることができた。




