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第2話

 久しぶりの実家は落ち着かなかった。母と父の雰囲気は相変わらずなのに、類以がいるだけで、ゆとりある心に邪魔が入る。


「夢ちゃん、お母さんから訊きたいことがあるの」


急須でお茶を入れる春江。目は穏やかそうなのに、厳しさを隠し持っている。そういうところに鈍感な父、百井忍ももいしのぶは、のんびりとした様子で縁側に腰かけ、競馬予想に熱中している。


「類以、ママ、今からおばあちゃんとお話してくるから、おじいちゃんと遊んでてくれる?」

「・・・・・・」

「おじいちゃんと、遊んで」

「・・・うん」


類以は、シェアハウスを出る直前で取ってきた車のおもちゃを握りしめたまま、1歩ずつ、まるで犯人のことを追跡している警察官かのように、忍に近づいて行く。忍は広げていた新聞を乱雑に畳み、類以を抱くために、既に両手を広げて待っていた。


「おーし」


忍が類以を抱いたタイミングで、視線を春江に向けて、「何?」と訊き返す。すると春江は真剣な眼差しで、「類以君は、本当に夢ちゃんと大志さんの子供なの?」そう言いながら、忍に視線を送り、類以を連れてここから離れるように、とジェスチャーで伝える。すると、鈍感ながらに気付いた忍は、「類以、おじいちゃんとお散歩行こうか」と言って、首を横に振る類以の手を引く。


「30分ぐらいしたら、戻って来るよ」

「はいはい。気を付けてね」


 リビングを出て行く2人の背中。歩くときに、左右に揺れ動くところが、どことなく似ていた。


類以は、玄関のほうから「いってきます」と元気のない声で、一応言ってきた。百井は「いってらっしゃい」と、母親らしい声を出して、見えない姿を見送った。


 母は椅子に深く座り直し、両手で淹れたてのお茶が入った湯呑を包む。言葉を発さず、じっと見つめられる。メイクが落ちかけている目尻。目は笑っていない。鼓動は無意識のうちに早くなって、外に聞こえてしまうんじゃないかという音を立てる。


「え、なに、どうしたの、いきなり」


沈黙に耐えられなくなった百井。得意の演技で動揺を隠しているつもりだった。が、口を開けば早口になっていて、耳が若干熱くなっているのを触らずとも感じる。


「夢ちゃん、類以君を産んだのはいつ?」

「いつって・・・、3年前の5月17日だよ。前にも言ったよね」

「それ、本当なの?」

「本当だよ。え、なに、私、何かおかしいことでも言ってる?」


今にも心臓が口から飛び出しそうなほど、早く脈打つ。背中には一筋の冷たい汗が流れる。


「類以君を産んだって証明できるものは持ってるの?」

「私が証言してるんだから」

「そうかもしれないけど、文脈としてはね、病院に通った記録とかのことを指してるの」

「あぁ。うん、ないよ、そんなの」

「ない? どうして?」

「だって、病院行かずに産んだから」


 炊飯器が荒ぶる音を鳴らし始める。今頃炊飯器が稼働するのかと、腹の底から笑ってしまう。


「何笑ってんの? お母さんは至って真剣に―」

「分かってるよ」

「はぁ。・・・・・・ねぇ、類以君のこと、どこで産んだの?」

「自宅」

「自宅って、大志さんはそのとき一緒にいたの?」

「いるわけないじゃん。仕事に行ってたんだから」

「そうなのね」

「でも、ちゃんと大志には報告したよ。大志が待望していた男の子だよって。そしたら、『いくら夢花との子供でも、跡継ぎになるかもしれない子供でも、俺には育てられない』って、そうハッキリ言われたの。だから私は大志と離婚した」


怒りの感情が爆発する寸前の百井。春江は一方で落ち着いた口調で語り出す。


「それで、離婚しちゃったから住む家もないし、相手は社長だからお金は持ってるけど、いざ離婚すると、子供と2人で暮らせるほどのお金もなかった。路頭に迷って、それで1人で息子のことを育てられなくなった。だから、夢ちゃんじゃない誰かに、代わりに類以君を育ててもらっていた。そういうことでしょ?」

「え」

「夢ちゃんの母親やって何年だと思う? 親の勘、ナメちゃ駄目だよ。それに、類以君ったら夢ちゃんに全然懐いてないから、何となく子育てに、直接的にはかかわってこなかったのかなって思ったのよ」


 母、春江の名推理に、百井の胸はまた違うドキドキという音を奏でる。こめかみのあたりを、小さな汗の雫が伝わっていく。


「で、どうなの? お母さんの予想当たってる?」まるで子供の用に、興味津々な様子で尋ねてきた春江に、百井は溜息交じりに「降参。当たってるよ」と、まるで罪を白状するかのように呟いた。春江はこれ以上、追及することはなかった。


 百井は俯いたまま、薄汚れたスリッパを見つめる。


「類以を産んで、話し合いをしたの。それで育てられないから施設に預けようってことになった。手紙を2枚書いて、類以と一緒に、籠の中に入れて、自宅から4キロぐらい離れた児童養護施設の庭に置いた」

「その手紙には、何て書いたの?」

「類以の名前と誕生日、あとは類以には二度と会いに来ないってことかな。もう1枚には、類以に対する謝罪の言葉を書いた。でも、書いたのは大志だから、詳しい内容までは知らないけどね」


春江はお茶を一口飲み、ゆっくりと頷く。


「大志が用意していた離婚届にサインをして、その日のうちに役所に提出して、私は大志と暮らした家を出た。それからは、漫画喫茶だったり、安価なホテルだったり、友達の家に転がり込んだり、とにかく色んな所を転々としながら生活してた。もちろん俳優として活動しながらだったけど」


 ここで1つ大きく息を吸って、再び百井は過去のことを語る。


「でも、どうしても類以のことが忘れられなくて、類以を預けた隣に経っていたシェアハウスに入居することにしたの。もしかしたら、施設で暮らす類以のことを見れるかなって、軽い気持ちで。それで、オーナーと一緒に内見しに行ったとき、そのシェアハウスに、ルイって呼ばれている男の子がいたの。で、その子が、少し垂れ目気味の二重瞼の眼で私のことをじっと見てきた。その瞬間に、あぁ、息子だって気が付いた」

「もしかして、養子にでもなっていたの?」

「そうみたい。詳しい経緯までは知らないけど」


馬鹿らしくなって、ハハハと笑う。


「だったら、類以君を育ててた夫婦に訊けばいいじゃないの。そしたら分かるんじゃないの?」

「ううん。真相は確かめられないんだ」

「どうして? 今からでも遅くないんじゃないの?」

「それは・・・、ごめん、今はちょっと言えない。明日はちゃんと伝えるから、その時まで待ってて欲しい」


春江は「分かった」とだけ言った。


 外から聞こえてくる、少し音が外れている男の子の歌声。その声の持ち主は、最近になって、誰かの影響で童話を歌うようになった類以。恥ずかしげもなく、いい歳をした忍と一緒に歌っていた。百井は、類以に対して残酷なことをしてしまったような気がして、人知れず胸が苦しみに耐えていた。

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