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第18話

 槙野が帰宅したのは、午後0時40分過ぎ。指導終わり、何事もなく家に帰って来れた。


「ただいま」


そう玄関から声をかける。しかし、誰からも声が返ってこない。視線を下に移すと、金子の普段履いているスニーカーと、その隣には見慣れない女性ものの靴が置かれてある。変だな、なんてことを思いつつ、万が一のことも考えて、ゆっくりとリビングへと足を踏み入れる。


「あ、槙野」


リビングにいたのは金子ではなく、百井だった。ソファに腰かけ、大音量でテレビを視聴している。


「百井さん」

「ねぇ、類以は?」

「あっ、えっと、まだお友達の家にいるかと」

「なんだ、一緒じゃないんだ。チェッ。つまんないの」


リビングにも金子の姿が見当たらない。もしかして部屋に籠って仕事でもしているのか。


「百井さん、お昼は食べられました?」

「ミサちゃんが作ってくれたチャーハンを食べました。あ、槙野も食べれば? 少しだけ余っててさ、このまま忘れ去られるのも可哀想だし」

「あ、じゃあ、シャワーを浴びた後にでも食べさせてもらいます」

「ふーん。まあいいや」


適当な相づちをされつつも、槙野は気にしない、と自分に言い聞かせ、荷物をリビングに置いたまま、風呂場へと向かう。このとき、槙野はまだ金子がソファで眠っていることに、気付いていなかった。


 10分足らずでお風呂場から出てきた槙野。上下だらっとした部屋着に身を包み、何かの販促で貰った白色のタオルで短い髪の毛を乾かしていく。


「チャーハンは・・・、あ、これか」


調理台に置かれている、チャーハンが盛られている皿。ラップで全体が覆われていた。


「全部食べろよ。中途半端に残されても困るから」

「あ、はい」


百井の言動は、昨夜とあまり変わっていない。以前から百井には丁寧語を使うように気を付けていたが、今はさらに気を遣わなければならない。1日でも早く、このシェアハウスから、百井と言う存在からは慣れたい。その思いが、より一層強くなっていた。


 少し温め過ぎたチャーハンを食べていく。金子が作るいつもの味付けで、今日はいつにも増して玉子がふわっとしていて、細かく刻まれたキノコが入っている。チャーハンにキノコか、と少しだけ嫌悪感を抱いたが、良いアクセントになっていた。食べる前までは、1人では食べきれるか不安な量だったが、いざ食べてみると、たったの15分ほどで食べ終えていた。久しぶりに食べた金子手作りのチャーハン。次は出来立てを味わいたい。そう思った。


「ごちそうさまでした」


 食事中も、そして食後の片づけをしている間も、槙野は百井のことを見張っていた。何か変な行動をするんじゃないかと予想していたが、そんなことはなく、長く伸びた髪の毛で顔周りを隠しながら、ソファに座ってスマートフォンを触り続けていた。


 鳩が午後1時を告げる。もうこんな時間か、そう呟いて、槙野は自室に戻って仕事用のノートパソコンと教科書を持ち、再びリビングに戻る。その途中、金子が使用している部屋を覗きに行ったが、部屋の電気は消され、中に金子がいる気配はなかった。


どこかに出かけたのか、そんなことを考えながらダイニングテーブルに仕事用品一式を広げ、仕事に取り掛かる。本当は、百井のことを考えなくても済むように、見なくてもすむように、自室に籠って仕事をしたかったが、まだ荻野と類以がそれぞれ帰宅していないために、とりあえずはリビングで待つことにしたのだ。


 それから10分、20分とどんどん時間は進んでいく。そして、あっという間に、当初訊いていた帰宅時間を迎えてしまった。でも、2人とも未だに帰ってきていない。スマートフォンにも、荻野からの連絡は入っていない。いつも遅れたりする場合には、何かしらの連絡があるのに。何かがおかしい。色々と考えを巡らせていると、百井がダルそうな声を発した。


「なぁ槙野」

「はい」

「ミサちゃんが、今どこにいるか知ってる?」

「えっと・・・、リビングにも、部屋にもいなかったので、どこかへお出かけに―」

「やっぱ槙野って鈍感だね。な~んにも知らないんだぁ~」


百井は嫌な奴を演じる。いや、演じているわけではない。これは素の百井だ。


「ミサちゃんなら、ここだよ」


ソファを指差す百井。寝ている邪魔はできない、そう思って、忍び足で一歩ずつ歩みを進めて・・・、


その時だった。急に身体がふらつき、そのまま前に倒れる。まるで酩酊状態にでも陥っているかのような状態。


「なんだ、ここにいたのか・・・」


ぐるぐると視線が動き回る中、瞳に映ったのは、ソファで、身を縮める形で眠っている金子の姿。腕にはソファが抱きかかえられていて、全身を覆うようにして毛布が掛けられている。


昨日今日のことだから、金子も相当疲れが溜まっているのだろう。


ごめん、金子ちゃん。俺は金子ちゃんのことを守ってあげられない。それに、妻と子供のことも・・・。だから、俺の代わりに、3人のことを、よろしく頼んだよ―――


言葉ではなく心で伝え、槙野は酔いを醒ますために、ふらつきながらリビングを後にした。百井は出て行く槙野の姿を横目で見ながら、フンッ、と馬鹿にするように鼻で笑った。


 槙野が外に出て行ってから数分後、鈍い音だけがシェアハウス内に響き渡った。

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