第17話
金子が帰宅したのは、百井が外出先から戻って来て30分後のことだった。百井は、荻野に話しかけるときとは違って、昨日までの通り、年下の女の子と会話するテンションで接する。
「おかえり」
「ただいまです。あ、百井さん、髪切りましたね」
「そうなの~。次の作品に向けてね」
「あ、なるほど」
「でも、よく気付いたね~、毛足をちょっと整えてもらっただけなんだけど」
「敏感なもんで、へへ」
毛足を整えただけで、前髪もそのまま、染め直しもしていない明るめの茶髪。手でふわっとさせると、シャンプーの爽快な香りが辺り一面に漂う。
「ねぇ、ミサちゃん」
「はい」
「お昼って、もう食べた?」
「いえ、これから作って食べる予定です」
「じゃあさぁ、私の分も作ってくれないかなぁ? ミサちゃんの料理が食べたい気分なんだ~」
「いいですよ。15分ぐらい待ってもらえますか? 着替えたらパパっと作るので」
「うん。待ってるね」
お洒落着から普段着の、毛玉があちことに見受けられる服に着替えて、冷蔵庫を見る。残っている具材から、チャーハンぐらいなら作れそうだと言って、百井に確認を取る。もちろん、オッケーだと言って了承する。食べれるなら何でもよかったから。
金子が料理する姿を、まるで彼女の目線に立って見守る百井。整えたばかりのネイルの飾りを1つ取って床に捨てる。
「ねぇ、ミサちゃん」
「はい、どうしました?」
「そのまま、じっとしててくれる?」
「えっ」
「背中にゴミが付いちゃってるの。取ってあげるから、そのままで」
「あ、ありがとうございます」
背中に伸びていく百井の指。尖った爪先で触れる。
「いたっ・・・、あ」
「あ、ごめん、ネイルが当たっちゃった」
「大丈夫です。こちらこそ、ごめんなさい。せっかく取ってもらったのに痛がっちゃって」
「ううん。ほら、服の糸くずかな? フフッ」
「あ、ほんとですね」
青色の糸くずを床に捨てて、だらしなく歩いてそのままソファに寝転ぶ百井。テレビの電源が入ると同時に、昼の情報バラエティ番組が、愉快な音楽とともに流れてきたていた。
金子の得意料理ということもあって、ものの10分ほどで完成したチャーハン。金子は自分用の皿と百井用の皿に、同じぐらいの量を盛り付けていく。そして、インスタントの中華スープを2皿分作り、ダイニングテーブルへと運ぶ。
「できました」
「おぉっ、美味しそう!」
「スープはインスタントなんですけど」
「全然いいよ。チャーハンを作ってくれただけで嬉しい」
「早速食べちゃってください。先に後片付けしてくるので」
「1人で食べるの寂しいからさ、一緒に食べようよ。温かいうちに」
「・・・、分かりました」
昨日と態度が一変している百井の振る舞いに困惑しつつ、手を洗い直してから椅子に腰かけた金子。胸が早く脈を打っていく。
「いただきます」
湯気が出るチャーハンをスプーンいっぱいに掬い、頬張る。
「うん、美味しいっ! ちょうどいいパラパラ加減だし、お母さんと同じ作り方してるから、なんだか安心しちゃう」
「よかったです」
「ねえ、ミサちゃん」
「はい」
「昨日はあんな言い方しちゃって、ほんとごめんね」
「あ、いえ。事実ですから」
「でもでも、少し言い過ぎたよね。何もできない荻野と槙野に代わって、類以の面倒を積極的に見てくれてたのに・・・」
「・・・・・・」
金子は返答に困った。言い過ぎたと言っているものの、金子からしてみれば少しどころではなく、心はだいぶダメージを受けた。それに、荻野と槙野は類以の両親として、一生懸命子育てを頑張っている。何にもできないのは百井のほうじゃないか、と言ってやりたいところだったが、これ以上喧嘩になることを避けたいがために、結局は「いえ」と曖昧な感じで答えてしまう。
「でもさ~、ほんとに思ってるの。ミサちゃんがいてくれてよかったなって」
「どういうことですか?」
「だってさ、ミサちゃんは弟や妹の世話をしてきた経験があるからこそ、類以の世話も難なくこなせたわけじゃん。多分・・・、というか絶対だけど、荻野と槙野だけだと、類以はここまで育ってなかった。ミサちゃんがいてくれたからこそ、類以は特に大きな怪我や病気とかもなく、もうすぐ3歳を迎えられる。親としては嬉しいんだ。えへへ、ありがとね」
「あ、いえ」
謙遜して誤魔化した。金子は思っていた、自分がこの空間に居られて良かったと。それは、引っ越してしまったが、飯田と柄本、荻野と槙野、類以という親子と共に楽しく暮らすことができたから。そして、それ以上に、荻野と槙野、そして類以が百井とのトラブルに巻き込まれることを、この口で防ぐことができたから。
百井は、昨日のことなど綺麗に忘れたかのように、金子とワイワイ楽しく昼食の時間を楽しんだ。金子は百井のことも、そうかと言って槙野家族のことも擁護することができず、どうしても第三者の立場からでしか返答することができなかった。本当は百井なんかよりも、夫婦や子供のことを守ってあげたかった。でも、そうすると自分の身に危険が及ぶのではないかと思って、その一歩の勇気が出なかった。
昼食を食べ終わると、いつも通り金子は百井の分も含めて食器を片付けていく。百井は手伝う気など更々なく、再びソファの背もたれに身体を預け、変な姿勢でテレビを観続ける。
片付けも終わり、ひと段落つこうとした途端、「ふあぁ」と大きな欠伸をした金子。
「大丈夫?」
「今日の朝が早かったので、眠くなっちゃったみたいで」
「そっか」
「普段なら、朝早くてもあんまり眠たくなることが、ないんですけどね」
「それさ、多分だけど普段の疲労が蓄積してるのも、関係してるんじゃない? ほら、私が言うのも変だけどさ、まぁまぁな喧嘩になったし」
「いや、昨日のことは関―」
「気付いていないだけで、ミサちゃんなりに気を遣ってるんだよ」
頷きたくはなかった。眠たいのは、あくまでも睡眠不足のせいだ、と――
「そう・・・、かもしれないですね。仕事も忙しかったので」
口にした言葉は、百井の発言に賛成する内容だった。
「でしょ~、フフッ。だからさ、ソファで寝なよ」
「でも、百井さんはどこに座られるんですか?」
「私はどこでも、ほら、部屋に行ってもいいし。とりあえず、ね、退いてあげるから、寝なよ。邪魔しないから」
「すいません。ありがとうございます」
その瞬間だった。全身の力がみるみるうちに抜けていき、金子はその場で倒れ込んだ。床の冷たさが頬に伝わり、やがて全身にまわっていく。意に反して重たく閉じていく瞼。あ、あんなところに類以君のおもちゃが―――




