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第16話

 午前9時半。フリルのブラウスとプリーツスカートを身に着けた百井が、何食わぬ顔でリビングに現われた。爪先には淡いピンク色のネイルが施され、耳元では真新しいイヤリングが、自然光に照らされて煌々と光っている。


「おはようございます」荻野は、普段と変わらないテンションで百井に挨拶をする。その挨拶に対する返事は暗く、ほとんど聞き取れなかった。ただ、それでも荻野は平然を装って、百井に話しかける。


「百井さんは、今日はお仕事に行かれるんですか?」

「いえ。今日は美容院に行くだけで」

「そうなんですね」


どっからどう見ても、美容院に行く格好には見えなかった。ネイルは所々剥がれていて、それを見ると、美容室というよりは、新たなネイルを施しに行くような格好にしか見えなくなってきていた。


「荻野は?」

「あぁ、ちょっと出てきます」

「ふーん」


百井に行先を事細かに伝える必要はない。そう、絶対に。


「な、いつ帰ってくんの?」

「お昼過ぎのつもりです」

「ふーん。あ、ところで類以は?」

「えっと・・・」


口籠る荻野。すると「チッ」と大きく舌打ちをした後に、態度を一変させ、わざと明るい声で「あ、そうだぁ」と言って、手をパチンと叩き、「例の友達に預けてるんですよねぇ~~」と、嫌味たっぷりに言う。見ているだけで、本当に腹が立つ。が、怖くて何も言えやしない。


「まあ、はい」

「そっか。会ってみたいなぁ~」

「えっと、」

「決まってるでしょ。私、一度も、その荻野の友達? と会ったことないから、ハハハ、今日は会えるかな」


何か企んでいることがあるかのような言い方をする百井。含み笑いが、どうも気に食わない。


「え」

「そのお友達と、その方のお子さんに、私の子供と、息子と仲良くしてくれてありがとう、ってお礼を伝えておかないと。それをしないと親として失格って言うか~」

「はあ、あ・・・」

「何? 文句でもあるの?」

「あ、いえ。文句はありません」

「ふーん。ならいいけど」


百井の機嫌は本当に読めない。いつ悪くなるかも、いつよくなるかも、何も分からない。ジェットコースター並みの感情の乱高下。もう付き合いたくないと思える。


 シャーという音をたてながら、ポットの中ではお湯が沸いていく。百井は怒りの感情が沸き上がり、荻野の心の中では妙な胸騒ぎがし始める。ただ、何が原因かは分からない。でも、今まで感じたことがないドキドキや心配、不安と言った感情が暴れ出す。


「ミサちゃんと槙野は?」

「金子ちゃんは用事で、猛は仕事で、それぞれ外出してます」

「帰宅の時間は?」

「金子ちゃんは用事が終わり次第、猛は部活での指導が終わり次第と言っていたので、お昼前か、過ぎるぐらいじゃないかと」

「じゃあ、私のほうが先に変える感じか。へへ、まあ、お昼はミサちゃんが帰って来るまで待ってよっと」


首を左右に傾ける。パキッという乾いた音が鳴る。


「荻野はお昼どうすんの?」

「叔母と食べてきます」

「ふーん、高級な料理食べてくるんだぁ、へぇぇ」


今日、荻野が昼食を食べに行く予定にしている店は、叔母宅の近くにあるファミリーレストラン。高級の2文字はどこにもない。百井の勝手な想像からの物言いには、辟易する。


「お気遣いありがとうございます」

「べつに。気遣ってねぇし」


悪ぶる百井。荻野は聞かれないように、静かに溜息を吐いた。


 百井と会話をしていると、あっという間に出発時間になっていた。荻野は、取り急ぎ、荷物でパンパンになっているリュックサックを背負う。そしてワンピースの皺を伸ばし、百井に話しかける。


「百井さん、すいません。先に出るので、戸締りよろしくお願いします」

「は~い。任せてくださぁい。フフフフッ」


何の笑みか分からない、どちらかと言えば不気味な雰囲気で笑われた荻野。少しだけ首を傾げ、そのまま何も言わず、「お先に」と言って家を出た。玄関には、金子が普段愛用しているシューズが置かれたままになっていた。


 

 シェアハウスに残った百井。あるイベントに向けての準備に取り掛かった。その間も、お湯は沸き続ける。


「そろそろ最後の仕上げといきますか」


ポットは怒りの頂点を迎えた。百井はその湯を残して、家を出た。荻野が出てから10分も経っていなかった。

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