表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/72

第13話

 時計は当たり前のように時を刻み続ける。類以はテーブルの上に用意された画用紙に、青のクレヨンで丸ばかり描いていく。お気に入りの動きだった。


「百井さんは、どうして類以のことを施設に預けようって思われたんですか?」

「それは、事情があるからに決まってるじゃないですか~」

「そうでしょうけど、でも離婚とはまた別というか、次元が違うと思ったんですが」

「確かに、っていうか、無駄だと思いますよ」

「いや、そんなこと無―」

「時間の無駄。訊いても何の意味もない。何の得もない。何の役にも立たない」


台詞のように、饒舌にぺらぺらと単調に言う百井。演技は下手だ。


そんなことはないと、改めて否定しようとしたときだった。


「知らないほうが幸せなことだってある」


ぴしゃりと言い放った百井。再び時間が止まる。軽々しい態度から一転、重々しい雰囲気を纏い始める。暗闇に包まれた目の奥をギラリと光らせる。何か企んでいることがあるかのようだった。


「槙野さんも荻野さんも、理由を知ってどうするんですか。可哀想だけど仕方ないですねって同情するんですか? それとも、そんな奴は許さない的な、正義の塊みたいな人物を演じるんですか?」

「それは」

「私は同情も何もいらない。今の私に必要なのは類以だけなの。お金も自由も権力もいらない。愛する息子だけがいればいいの!」


 自分の気持ちの留まるところを知らないみたいに、どんどんとヒートアップしていく百井。場の空気を読んだ金子が、「百井さん、落ち着きましょうよ」と穏やかに、そして宥めるようにして声をかけるも、「あのさ、ミサちゃんがこの中で一番の部外者なの、分かってる?」と、今までとは180度変わった態度を取る。


「ミサちゃんってさ、そもそも何で類以の世話にかかわってんの? 槙野さんや荻野さんの代わりに子育てを手伝って、いい気分になってるだけ? あ~、違うかあ~、あれでしょ、自分が後々子供を産んだときに困らないように、類以で色々試してるんでしょ? あのさ、そんなことに私の息子を利用しないでくれる? おもちゃじゃないんだから」


散々なまでに言われてしまった金子は、喋る言葉を失い、俯いた。荻野と槙野もかける言葉が見つからず、ついつい目線を逸らす。


そんな中、ぽつんと1人椅子に座らされている類以は、荻野のことを「まま」、槙野のことを「ぱぱ」と呼び続ける。反応したくてもできないもどかしさ。何の罪もないその無邪気さが、今は凶器として胸を突き刺してくる。


「なぁ、荻野」百井はついに、呼び捨てにした。眉毛も目も吊り上がり、鬼の形相と化した思いの表情を見て、類以はごくりと唾を飲み込む。そして、瞳から涙を流し始め、遂には顔をぐしゃぐしゃにして泣き出してしまった。


「類以、大丈夫だよ」荻野は椅子の上で暴れる類以を抱き上げようとするも、百井が「私の大事な息子に触るな!」と叫ぶ。その声に反応して、さらに大きな声を上げて涙を流す類以。リビングは収集のつかない状況へと変わってしまった。


「触ったらただじゃおかないから」


 百井の手には、小さなカッターナイフが握られていた。


「類以~、ごめんね~。この人たちが怖かったんだよね~。泣かせるなんて、酷い人たちだね~」


髪の毛をぐしゃぐしゃにしながら、類以に触る百井。慣れない手つきで、しかも雑に撫でる。爪の飾りが当たるのか、若干痛がっている様子の類以。見るに堪えなかった。


「百井さん。類以を泣かせたのは、あなたですよ」

「いやいや、どう考えたって泣かせたは荻野でしょ。そんな大きな声出されたら、類以だって怖いに決まってるじゃない」

「あの、私見てたんですけど、類以君は百井さんの顔を見てから泣き出しましたよ」

「は、何? ミサまで荻野と槙野の味方するつもり? ふざけるのも体外にしろよ」

「ふざけてませんよ。いたって正気です」

「相手になんないわ。なぁ、槙野。お前も何か喋れよ。そんなとこで座ってないで、言いたいことがあるなら、言ってみろよ」


類以は椅子の上で手足をバタバタとさせて泣きじゃくる。荻野は興奮する百井の手前、類以のことを抱くに抱けず、棒立ち状態。金子は放心状態で、ずっと頭を下げ続けている。


「あの、百井さん。俺から言わせてもらいますけど、類以は俺たちの息子です。金子ちゃんは住人として、子育てに不慣れな俺たちのサポートをしてくれたまでです。金子ちゃんは決して類以のことをおもちゃとして扱っていません。1人の人間として、ちゃんと接してくれています。それなのに、どうして百井さんは金子ちゃんに対して、あんなひどい言い方ができるんですか」

「・・・・・・」

「百井さんだって、自分が産んだ子供だと分かっているのに、それでも類以の世話には介入しようとしなかった。そうですよね?」

「それは、あんたたちが私のことを類以に近づけてくれなかったからじゃない。私だってね、親として類以の世話がしたかった。可愛い時期を一緒に過ごしたかった。なのに、あんたらが勝手に育てやがって」


百井は感情の赴くままに、堂々と罵倒する。それでも槙野は百井と向き合おうと懸命に言葉をかける。


「勝手ではありません。類以を捨てたのは百井さんです。もし誰も類以のことを見つけていなかったら、もうすでに死んでいたかもしれないんですよ?」

「私は類以のことを、施設の人じゃない誰かに育ててって頼んだ覚えはない」

「そうでしょうね。施設の敷地内に置いたつもりだったんですからね。でも、置かれた場所はどこであれ、類以が生きたいと言って泣き声をあげてくれたから、こうして一緒にいられるんです。勝手なことを言っているのは、百井さんのほうじゃないですか?」


 槙野の反論に黙り、そして拳に力を込めて震わせる百井。怒りに満ちた表情。もう誰も、百井のことを止められない。


類以は奇声に近い声を出し、暴れる。落ち着く素振りもなかった。


その声に耐えられなかったのか、バンッ、とダイニングテーブルを豪快に叩いた百井。何気ない光景なはずなのに、百井はいつにも増して怒気に満ちている。椅子からゆっくりと立ち上がるなり、荻野の腕を力強く握り、「触ってんじゃねーよ」と言って睨む。


「離してください」

「触るのをやめれば離す」


泣き止まない類以。もう少し撫でていたかったが、これ以上締められたくはなくて、手を放してしまった。握られたところが、段々と赤らんでいく。


「なぁ荻野」

「はい」

「なぁ槙野」

「・・・はい」

「私に類以を返して。お願いだから」

「すみません。できません」

「お願いって言ってるだろ? 返せ、返せよ!」

「すみません。類以を百井さんにお返しすることはできません」


丁寧な言葉で断固拒否する槙野と荻野。百井はその場で貧乏ゆすりをし始める。軋む床板はミシミシと音を立てる。


「は? ふざけんなよ。何言ってんの? 類以は私の息子なの。あんたらの息子じゃない」

「そうですよ。私は類以を産んでいませんから。でも、特別養子縁組という形で繋がっているんです。だから、私と猛の息子です」


言ってしまってから気付いた。荻野は、自分がこんなにもハッキリと人にものを言ったのは初めてのことだと。


「ふざけたこと言わないで! 類以は私と別れた彼との間の子供なの! 養親のあんたらとは違って血も繋がってる! DNAで繋がってるの!」

「でも、それをどうやって証明しますか?」

「証明も何も、私が産んだって言ってるんだから、間違いないでしょ」

「お子さんを産んでるんなら、何かしらの記録が残っているはずですよね?」

「記録? そんなおのあるわけないでしょ」

「産婦人科に通った記録とか、色々あると思うんですけど」

「ないって言ってるでしょ。何回言ったら分かるの? 理解力なさすぎ、子供かよ」


 反抗的な態度を見せる百井。荻野と槙野は冷静な態度を取り続ける。類以は未だ泣き止まず、頻りに洟を啜る。金子は類以の隣に立ち、見えないように、その小さな手を優しく握っていた。


「類以のこと、お独りで出産されたんですか」

「そうですよ~。私が子供を産んだことを知っているのは、別れた夫と、気心知れたマネージャーだけ。親にも知らせてない」

「どうして」

「どうして? それは、安い気持ちで助けられるのが嫌だから。私はね旦那と2人で類以のことを育てるつもりだったの。だけど、アイツのせいで・・・。だから施設に預けることにした。最初は彼の目の前で、息子と一緒に死んでやろうって考えた。血しぶきを浴びせたかった。でも、怖くてやめた。ハハハ、バカだよね。いっそ死んでたほうが良かったのかも。類以のために」


死んでいたらよかった。そんな無責任なことをよく息子の前で言えるなと、逆に関心してしまった。馬鹿らしいが。


「子供を残して死ぬなんて、そんなことしないで」

「は? あんたに何が分かるの?」

「もし死にきれずに子供だけが、もしくは百井さんだけが生き残った場合、どちらもその苦しさや後悔、やるせない気持ちを一生抱いたまま生き続けることになるんです」

「フンッ、馬鹿馬鹿しい」

「何が馬鹿馬鹿しいんですか? 私はただ―」

「あーあ、もういい。もう飽きた。これ以上話しても意味ないや」

「あの百井さ―」

「はいはい。終わり終わり。ごめんなさいね、私のくだらない話に長く付き合わせてしまって」


手をぱちぱちと叩いて、中途半端なところで話を終わらせようとする百井。その行為を、ただただ純粋な気持ちで真似をする類以。荻野は思わず「やめて」と言いたくなったが、そもそも類以は大人の真似をしたい年頃なだけで、悪気はない。ザワザワする気持ちをぐっと押し殺し、微笑んでおいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ