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第14話

 鳩が時刻を告げる。もうそろそろ類以を寝室に連れて行かなければ、というタイミングで、金子がそっと口を開く。


「あの、百井さん。最後に1つだけいいですか」

「はぁあ、なに? まだ訊き足りないわけ?」

「別れた旦那さんは、今どこで何をされているんですか?」

「・・・・・・」


百井はバツが悪そうに頭を掻く。ぐしゃぐしゃになった髪の毛。イヤリングが耳元で艶やかに揺れ動く。


「あのさ、ふつう別れた旦那のあとの話なんて、知るわけないでしょ。連絡だって取ってないんだし。どっかでかわいい女の子でも捕まえて伸び伸びと生きてるんじゃない?」


 伸びた髪をくるくると指に巻き付け、気怠そうにする百井。その横で、槙野はスマートフォンを操作し始める。


「その別れた旦那さんって、ご職業は何をされていたんですか?」

「チッ。あー、あの社長ね。蕎麦屋チェーンの」

「お名前は?」

「え、なに、私、いま職質受けてるの?」

「職質って・・・」


金子が半割りを浮かべていると、槙野が「あ」と、何かに気付いたような声を出す。


「どうしたの?」

「あのさ、これ」


槙野は徐にスマートフォンの画面を荻野に見せる。そして、荻野は目を凝らす。


「私に話訊くだけ訊いといて、あんたら何やってんの?」


類以は飽きてきたのか、自ら椅子を降り、バタバタと音を立てながら遊び場のサークル内を走り回る。荻野は「静かにして」と言うも、聞かずに無我夢中で走り回る。そのことに対して百井は苛立ち、再び足を上下に大きく揺らし始めた。


このままだと手が出されるかもしれないと思った荻野。類以に近づき、そして抱き上げ、「今は走ったら駄目」と、いつもより厳しめに注意をする。この瞬間だけは、百井に、触るな、などと叱られることはなかった。


「やだ!」

「遅い時間だからね、走ったら駄目なの」

「なんで?」


返答に困っていると、さり気ない感じで「よかったら、寝室に連れて行きましょうか」と、金子が声をかける。荻野は天使が現れた、と、金子のことが神々しく見えた。


「お願いしてもいい?」

「いいですよ。ちょっと行ってきますね」

「よろしくね」


「類以君、寝室行こ」と声を掛けると、素直に「いく!」と返事し、リビングを走って出て行った類以。そんな類以の背中を見ながら、百井はニヤニヤと気持ち悪いぐらいに笑っていた。


「ってかさ、類以って落ち着きないよね。あ、当たり前か。ハハハッ、私の血筋引いてるんだもんね。なら仕方ないわ」


何も言えない。


最近になって、類以は良く走り回るようになったと思っているが、これは子供ならではのことだと思っている。百井ほど慌ただしく走り回ったりはしていない。何よりも今は否定したかった。認めたくなかった。


 類以を産んだと主張する百井と、類以の親になった夫婦がいるリビングは、張り詰めた空気が漂っている。窓の外からは、隣の施設で暮らす子供数人の笑い声が聞こえてくる。それは、とても楽しそうなものだった。


誰が一番に口を開くか、と言う名かで、槙野は「あの、百井さん」と、囁くようにして言う。


「だから何」

「今調べたんですけど、百井さんの旦那さんって、この方ですか?」そう言って、スマートフォンで検索した顔写真と名前― 若狭大志わかさまさしと書かれてあるSNSのページを百井に見せる。


「・・・・・・」

「現在、行方不明になっているみたいですね。しかも約3年前に」

「だから何?」

「もしかして、百井さん、何か事情を知っているんじゃないですか」


そう槙野が何気なく言った一言で、百井の怒りのスイッチが押された。


「知るわけないでしょ。何言ってんの?私を容疑者にしたいわけ?」


言葉で煽る百井。


「そういうわけじゃないですが」


冷静沈着を保ち続ける槙野。荻野は黙って槙野のことを動向を追い続けた。


「へぇー、やっぱり槙野って性格悪いんだね。こんな人に類以のことを育てて欲しくないわ」

「今、そこで類以の話は―」

「あのさ、ずーっと思ってたんだけど、類以って気安く呼び捨てにしないでくれる? 私が名付けたの。せめて”くん”を付けるなりしてよね」

「すいません」


咄嗟に謝るも、なぜ謝らないといけないのか、よく分からなかった。自分の息子なのに。


「それで、事情は――?」

「だから、何も知らない。私はただ類以を産んですぐに、アイツに言われるがまま手紙を書いて、人目に付かない場所に立つ施設に預けた。それ以来、会ってないし連絡も取ってないんだから。もうこれ以上アイツのことを訊いてこないで。うざい」

「分かりました。じゃあ、別の話をさ―」

「は? まだ話したいわけ? いい加減にしてよ」


 食い下がろうとしない槙野に対し、百井は悪態をつく。背もたれに肘をかけ、右足を左ひざ辺りに乗せる。そしてじろっと睨む。


「いやいや、そもそもお話を振ってきたのは、百井さんのほうですよね」

「知らないよ。私は自分が産んだ子供が、ただただ返してほしいって言ってるだけ。それだけの話なのに、あっちこっちに広げて行ったのは、紛れもなくあんたたちでしょ? こっちのせいにしないでくれる?」

「親子であるかどうか証明できれば、それは手続きなりをして、類以をご自身で育てることができるでしょうけど、口だけでそうだと言われても、俺たちは信じません。類以を返して欲しいなら、ちゃんとした証拠を提出してください」

「・・・・・・」

「出せませんか?」

「・・・・・・」

「返して欲しいのなら、それぐらいしてもらわないと」

「・・・・・・」

「あの、何か言ってくれませんか?」


 槙野の問いかけに、一切答える素振りを見せない百井。ついにうるさい口が黙った。そう2人が思ったときだった。百井は一瞬にして豹変し、そして大声で叫ぶ。


「あぁぁぁ、もぉ嫌ッ! あんたらのこと、一生許さないから!」


と。


「もう話しかけんな! 類以だけを置いて、今すぐこの家から出て行け!」そう早口で言い残し、足音をうるさく響かせながら、リビングを出て行った。


 エネルギーがすっぽりなくなった槙野と荻野は、ふわりとその場に座り込んだ。三階から微かに聞こえてくる、類以がはしゃいでいる声。歪が産まれたリビングに、虚しいほどに響いていた。

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