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第12話

 槙野が帰宅したのは、19時手前。金子が既に連絡していたこともあって、着替えと食事を早々に済ませ、時間になるのを待っていた。荻野は、槙野が食事中に、類以をお風呂に入れ、1分でも早く就寝させてあげられるようにと工夫をする。金子はスマートフォンを操作しながら時間を潰す。誰もがその時が来るのを待つ中、百井は自分の時間軸で動き、周りのことを気にすることなく過ごす。


「あの、百井さん。話って・・・」待ち続けることができず、槙野がポロっと口を開く。すると、髪の毛を触りながらに「はい、このあと話しますよ~ 」とわざとらしく語尾を伸ばして答える。


「このあと、まだやることが残っているので、よかったら早めにお話していただきたいんですが」

「え~、もうちょっと待ってくれません? まだ私のやることが終わってないんですよ」

「そうでしょうけど、話があると言って時間を取らせているのは、百井さんなんです。少しはこちらの事情も考えていただけませんか?」


「なにそれ、もしかして説教ですか?」逆上するように言う百井。そう言われた瞬間に、荻野は諦めと嘆きの溜息を吐いた。それを真似する類以。そばにいた金子は思わず、「これは真似しちゃダメだよ」と微笑みながら注意する。類以は「はーい」と言って、ニヤニヤして、手を挙げた。


「説教って。あの――」違うと言いかけたその瞬間に、突然立ち上がり、どすどすと足音を鳴らしながら歩き始める百井。「あぁ~、分かりました! 話しますよ。なので、これ以上怒らないでくださいね」と、両手を合わせ、そして小首を傾げる。いちいち言動が鼻に付くが、これ以上言っても無駄だと思っているために、誰も何も言わない。


 時刻は19時35分。類以は荻野に促される形で椅子に座り、あとを追って荻野と金子もダイニングチェアーに腰かける。最後に座った百井は、「じゃあ、お話しますね」と明るく発した。


「実は、私は皆さんに黙っていたことがあるんです」

「はい」

「え、何その感じ。ずっと黙ってたんですよ? 気になったりしないんですか?」

「気になりますよ」

「荻野さんとミサちゃんは?」

「私は、何となく分かるというか・・・、以前少しだけ聞いたことがある、あのことかと」

「私は全く見当がつかないので、気になります」

「ウフフ。そう言えばそうですね。荻野さんには、1度だけ伝えたことがありますね。途中まで」


この瞬間、子供を施設に預けた、という話の続きをするのだろうと、荻野は容易に想像できた。が、百井の口から言葉が発せられるまで、とりあえず黙っておくことにした。


「それでですね、話を戻しますとぉ~」

「はい」

「実は私、2年前の5月に男の子を産んだ経験があるんです」

「えっ、嘘でしょ」

「ミサちゃん、そんな驚かないで。嘘じゃないよっ、ほんとだよ!」

「そう、なんですね」

「私が子供産んでるようには見えなかった?」

「はい。そのままのビジュアルを保たれていたので」

「フフフ。マッサージとか筋トレとか頑張った甲斐があったなぁ。うふっ」


 金子は本当のことを言えなかった。とりあえず思いつきで、それっぽい感じで言うしかなかった。それもすべて面倒ごとから逃げるため。


「育てて無いから、そういう顔つきにならないだけでしょ」と、ボソッと呟く槙野。それが微かながらに聞こえた荻野は、「確かに」と言って相づちを打つ。


「荻野さん、今何か言いました~?」

「あ、いや、えっ・・・と、あれ? 6月じゃなくて5月なんですか?」


精一杯誤魔化す。槙野の発言は現実に百井を怒らせる。何としてでも本当の発言内容を隠す必要があった。


「はい。あれ~? 荻野さんに話した時に伝えてませんでしたっけ~?」

「あのときは6月と聞いていたんですが」

「あっ、あれ嘘です。6月じゃなくて、5月です。ウフフ」

「え、う、うそ、ですか?」

「はい。別に1か月ぐらいサバよんでたって、あんまり関係ないじゃないですか~」

「えっと、関係ないと言われればそうですけど・・・」

「本当のこと言って欲しかったんだ~、ごめんです」

「あ、いえ」


 これまで幾度となく嘘を言われてきたが、限界に近いものがあった。息を吐くようにして嘘を言う百井。その口から発せられる過去の出来事すべてが嘘に聞こえてしまい、何が本当のことなのか分からない。それに、話を盛る癖があるせいで、百井の口から聞かされた話で、脚色されていないものがあるのかすらも分からない。きっと今回の話にも嘘が含まれていたり、盛ったりしているはずだ。だから、そこまで本気になる必要はない・・・だろう。


そう思っていたときだった。槙野が「百井さん」と、何か思い当たる節があるかのように尋ねる。


「何ですかぁ?」

「お子さんを出産されたのは、2年前って言われましたよね?」

「はい」

「2年前の5月何日ですか?」

「17日です」


3人の声は意図せずとも揃ってしまう。何せ、類以の誕生日と全く同じ。いくら何でも偶然すぎないか、と。


「それで、相手に言われるがまま、私は子供に向けての手紙と、子供を預かってくれる方に向けての手紙を残して、とある施設に子供を預けに行きました。それが、5月19日の夕方から夜にかけての話です」


百井から流れるようにして発せられる話に、脳の処理速度が追い付かない槙野。荻野は真偽を確かめるために、「もしかして、百井さん―――?」と口にする。


 百井が頷く。そして、少しの沈黙があったのち、ハッキリとした口調でこう言った。


「類以を産んだのは、正真正銘、この私なんです」


動きはピタリと止まった。まさか。と誰もが思い、言いたかった。類以と百井はどう見ても親子ではない。血の繋がりが感じられない。顔のパーツも性格も、何一つとして似ていない、気がしたから。


「いつ、類以のことをお気づきに?」

「正確に言えば、そうですね~、引っ越してきたその日ですかね。内見のときは同姓同名の可愛い男の赤ちゃんがいるんだ~、なーんて呑気なことを思っていたんですけど、ふふっ、やっぱり私の子供ですね。目もパッチリなほうだし、親でもない人に愛想振りまいちゃって。将来は、キラッキラのアイドルになれるんじゃないかって思っちゃいましたよ~」


 椅子の上で静かに座っている類以に向けられる視線。母親というよりは、甘い誘惑に満ちた視線だった。自分の生みの親だと判明したのに、類以は空気を察することなく、自由気ままに、純粋無垢な瞳で、「まま!」と荻野のことを指して言う。そして、ニカッと太陽のような輝きで笑う。


「驚きましたよ。まさか、このシェアハウスで類以が育てられているなんて。だって、私は施設の敷地に息子を置いて行ったんですから」

「・・・」

「でも、つまりはこういうことですよね。私が類以を置いたのは、児童養護施設の敷地じゃなくて、このシェアハウスの敷地内だった。塀を挟んだ隣側に施設があるっていうのに、ハハハ」

「・・・・・・」

「あ~~あっ、とんだ勘違いしちゃったんだなぁ。何やってんだろ、私ったら。ま、でも、こうして1年振りに類以と会えることができたのは運命だし、最高に幸せなことなんですけどね~。でもなんか素直に喜べないって言うか~、あ~、やっぱり他の人の子供として育てられてるからだろうな~」

「あの―」

「あとで、手紙書き直しておけばな~。ちゃんと施設の場所を確認しておけばな~。こういうところ、私って意外とおっちょこちょいなんですよね~、フハハハ」


皮肉たっぷりに言う百井。こちらの話には一切耳を傾けないといった様子で睨んだ。


類以が百井夢花の息子。この事実を受け止めきれず、心の中ではモヤモヤとした感情が居残り続ける。もうすぐ3歳になる息子は、他人事のように「まま、あそぼ~」と口にする。その返事は、今すぐには出せなかった。

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