第6話
類以が出かけてから15分。長く伸びた髪をわざと靡かせながら、颯爽とリビングに入ってきた百井。身に纏う服はゆるふわのシャツと真っ白なスカートで、昔何かの絵本で見たお姫様のような格好だった。
「おはようございます」
「荻野さん、おはようございますっ! 今日もいい天気ですねぇ~」
昨日のことなど綺麗さっぱり忘れ去ったみたいな笑顔を浮かべる。そんな百井に対し、荻野は脳に冷静沈着の4文字を思い浮かべ、無理に言葉を返さなかった。
「あれっ、荻野さん、今日もしかして不機嫌ですか?」
「いえ。不機嫌っていうわけではないですよ」
「そうですか~? ならいいですけど」
髪の毛を両手でふわっとさせる。甘い香りがした。
「あの、百井さん。昨日の続き、話しませんか?」
「あのこと以外に、何か話すことあるんですか?」
「ありますよ。百井さんに認めてもらったわけではないですし、まだまだ話し足りていませんから」
「え~、まぁ、今日は仕事がお休みだからいいけど~、できるだけ端的に話してくださいね」
「ふぅ」
どこまでも無神経な百井。荻野の声にも音にもならない吐息。項垂れる荻野を見てか「じゃあ、話の続きを聞かせてください」と、どこか怒っているような口調の百井に言われ、荻野は首を縦に振った。
「まず、家事の話をさせていただきたくて」
「あのぉ昨日も言いましたけど、私は家事をやるつもりはありませんよ」
「分かっています。そこで提案させていただきたいことがありまして」
「提案?」
「私たちは数か月のうちにシェアハウスを出て行きます。それまでの間に、一緒に家事をするのはどうかと思いまして。できるようになれば、演技の役にも立つんじゃないかと・・・」
「え、役に立つ? 演技のこと何も知らないのに、そういうこと言わないでくださいよ~。あっ、もしかして、そういう理由で私に家事をさせようっていう魂胆ですか。ははぁ~ん」
「やらせるわけではありません。百井さんの今後のこ―」
「私の今後を? 何なの、その上から目線な感じで言ってきて。腹立つんだけど」
右足を上下に揺らし始める。床が軋む。
「そう聞こえてしまったのなら、ごめんなさい」
「私は別に、荻野さんに謝ってほしいわけじゃない」
「えっと、じゃあ―」
「私は、今は家事をやる必要性を感じないからやらないだけで、やろうと思えばできるんです。だって、私、一応結婚してたんですよ? 人妻だったんですよ? フフフ、できないわけないじゃないですかっ」
荻野の頭には、多くの疑問点が浮かび上がる。口は操られているように、あんぐりと開いたままで、自分の意思では閉じられない。目も見開かれたままで、瞬きも忘れる。
「あれ~、言ってませんでしたっけ? 結婚していたこと」
「えっと、お子さんがいるけど産まれてすぐに施設に預けた、という話は聞いていましたけど、結婚していたという話までは・・・、すみません。もしかしたら聞き逃ししていたのかもしれません」
「いやいや、荻野さんが聞き逃しをするわけないですよ~。あ~、そう言えば、子供がいるっていう話はしましたね。その時に結婚していたって言う話をしたものだと思ってました。私の勘違いですね。ハハッ」
何が面白いのか分からないが、荻野は愛想笑いでその場をやり過ごす。
初めて聞いた、百井が結婚していたという話。何となく、気になることがあって、「その、結婚していた方というのは・・・」と尋ねる。すると百井は馬鹿にしてくるような高い笑い声をあげながら、手を左右に揺る。
「何か勘違いされてます? 結婚相手は10歳年上の男性ですからね?」
「いや、それは・・・、はい。あの、そういうことじゃなくて、お相手の方は今どちらにいらっしゃるのかなって」
「どこにいるんでしょうね」
「え」
「実は、私も知らないんです」
洗濯機が電子音を鳴らす。朝1番の洗濯が終わったみたいだ。
「先に洗濯もの、干してきてもいいですか? 百井さんも、歯磨きをされるんですよね?」
「歯磨きしますよ~。あっ、そうだ。私の洗濯ものも回しておいてもらえます? 昨日着ていた服とか、ネットに入れて、カゴの中に置いてるので」
荻野はこのタイミングで、家事ができるのならば自分でやってくれ、と言えるほどの気力を持ち合わせていなかった。本当は断りたいところだったが、これ以上面倒なことに巻き込まれたくなくて、渋々「分かりました」と頷いておく。
サーキュレーターが首を上下左右に振るランドリールーム。すぐ近くの扉から中庭に出て、手短に家族3人と金子の洗濯ものを干していく。庭のネーブルオレンジの木に目を遣る。次の収穫時期には、類以とも楽しみを共有できることが、今から楽しみでしかない。
カゴいっぱいに入っていた百井の洗濯もの。自分や金子が着る服とは違って、レースやらリボンやらがあしらわれているから、扱いには特段の気を遣わなければならない。本当に家事ができるのであれば、自分から進んでやって欲しいものだと、深く長い息を吐いた。




