第5話
軽い言い争いになった翌日。空は昨日の出来事を知らないみたいに、晴れ渡っている。そんな天気の下で、金子と槙野は普段通りの時間に仕事へ向かった。まだその時間、百井は起きていなかった。子供の類以よりもお気楽に生活している百井。シェアハウスのルールを壊すわけではないが、引っ越してきてからは確実に生活のリズムは崩されていった。
いつものように家に残った荻野は、類以に朝食を食べさせている間に、自分の朝食を手短に作り始める。今日のメニューは、全粒粉の食パンとインスタントのミネストローネ、余っていたカット野菜を使ったサラダという、とても楽をしたものだった。
その分、類以の朝食には少しの拘りを持っている。おにぎりも味を3種類用意し、一口大にまるめて、プレートに乗せた。そして、できたてを提供するために、しかも美味しいものを提供するために、産市で購入した野菜を使って、1からミネストローネを作った。自分がここまで息子のために頑張れているのは、摩訶不思議だった。ここに来るまで、一切料理をしたことがなかったから。
完成したのは、15分後のことだった。プレートを類以の前に差し出すと、手をぱちぱちと叩いて大喜び。食べる気満々な様子を見せた。
「いただきます!」
「いただきっ!」
類以は手作りしたミネストローネを「うまっ!」と言って、口いっぱいに頬張る。それを見る荻野も、幸せに満ちた表情を浮かべる。このちょっとした、何気ない食事風景も、荻野にとっては息子と過ごす最高の時間だ。
類以も荻野も朝食を食べ終え、類以に着替えさせていた午前8時過ぎ。玄関のほうから、来客を告げるドアフォンが鳴った。
「あ!」
指差して、玄関めがけてゆっくりと歩く類以よりも先に、荻野は小走りで向かい、玄関のドアを開けた。そこには、身の丈に合った清楚系の服を纏う日和と、ベビーカーの中で大人しく座っている律の姿があった。
「おはよう」
「おはよう。今日は大切な時間奪っちゃってごめんね」
「いいのいいの。どうせ錦は仕事だし、類以君と遊べて楽しいから、気にしないで」
「ありがとう。あ、類以に持たせる荷物取って来るから、ちょっと待ってて」
「分かった」
そう言い残し、荻野は急ぎ足でリビングに置いてあるオレンジ色の小さなリュックサックを手に取り、靴を履こうとしていた類以の手を一度止めさせ、そして背負わせる。その様子を日和は、律の頭を撫でながら微笑ましく見ていた。
「類以、歩いて行ける?」荻野の問いに、首を横に振る類以。つい5分前までは歩いて行くと意気込んでいたのに、とやり場のない笑いを浮かべる。
「日和ちゃん、ベビーカーが2台になっても大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ」
「ごめんね。急なお願いしちゃって」
「いいよ。どうせ2人目が産まれたら2台押すことになるだろうから、練習も兼ねてってことで。ふふ」
「ありがとう。助かるよ」
日和は可愛らしい笑みを浮かべた。
「類以君が歩きたいって言ったら、歩かせてもいいの?」
「うん。あ、着てる服だけど、お出かけ用で、汚れちゃってもいいやつだから、気にしないでね」
「はーい」
「あと、一応何かあった時用のものは、類以のリュックサックの中に入れてあるから。あと、いつでも電話してね」
「うん。遠慮なく電話しちゃうかも。現状報告もしたいから」
「フフッ、待ってるね」
類以は荻野の目を盗んで、1人で靴を履こうと頑張っていた。が、左右ともまだ上手に履くことができず、苦戦。荻野がしゃがんで、類以の頑張りを褒めながら履く作業を手伝った。
「できた」
「たっ!」
「よーし、類以君、そろそろ行こうか」
「いく!」
「類以、日和ちゃんの言うこと、ちゃんと聞くんだよ」
「はーい!」
「交通ルールはちゃんと守ってね」
「うん!」
元気よく返事をし、右手を上げる類以。荻野は「乗せるね」と言って、座っていた類以をベビーカーに乗せ、背負っていたリュックサックをフックに引っ掛ける。
「じゃあ、気を付けてね」
「うん。また送りに来るね」
「ありがとう。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
「行ってき!」
日和は色も形も違うベビーカーを器用に押しながら、出かけて行った。その背中は逞しく、これからも日和と一緒に、可愛い子供たちの成長を見守っていくのだろうと思える。明るい未来が訪れることを信じた瞬間だった。




