吊橋
耳鳴りがしていた。
キィィィン――……
白い煙。
焼けた木材の匂い。
崩れた倉庫。
ミレイユは、
ゆっくり目を開けた。
熱い。
息苦しい。
視界が揺れる。
だが。
――生きている。
周囲を見る。
吹き飛ばされた騎士達が、
苦しそうに呻いていた。
血は流れている。
だが。
致命傷ではない。
ミレイユの瞳が、
静かに細まる。
爆薬が少ない。
殺すためじゃない。
これは。
“混乱を作るため”の爆発。
そして。
グラディウス・ベルモルトが、
逃げるための時間稼ぎ。
ミレイユは、
ふらつきながら立ち上がった。
額から血が伝う。
だが。
金色の瞳だけは、
恐ろしいほど冷静だった。
「レオン様」
静かな声。
レオンが、
咳き込みながら顔を上げる。
「敵が来ます」
その瞬間。
外から怒号が響いた。
「いたぞ!!」
「王女を逃がすな!!」
足音。
剣の音。
賊だ。
ミレイユは、
即座に叫ぶ。
「皆さん逃げてください!!」
だが。
騎士達は動かなかった。
むしろ。
ざっ――
一斉にミレイユの前へ出る。
剣を抜き。
盾を構え。
王女を囲むように陣形を作った。
ミレイユの瞳が、
大きく揺れる。
「何をしているの!!」
叫ぶ。
「わたくしを守る必要はありません!!」
だが。
誰も退かない。
レオンが、
静かに剣を抜いた。
「それは不可能です」
低い声。
「貴女は、
第一王女です」
その瞬間。
ミレイユは、
理解してしまう。
自分がいる限り。
この人達は、
命を捨ててでも戦う。
胸が、
ぎりっと痛んだ。
その時だった。
煙の奥から、
賊達が雪崩れ込んでくる。
数が多い。
完全に待ち伏せされていた。
ミレイユは、
奥歯を噛み締める。
――グラディウス・ベルモルト。
よくもここまでやった。
一国の王女相手に。
だが同時に、
感心すらした。
ここまで徹底できるなら、
最初から殺す気だったのだ。
ミレイユは、
静かに周囲を見た。
崩れた倉庫。
煙。
裏門。
崖道。
細い林道。
全部、
頭へ入っている。
そして。
一つの答えへ辿り着く。
――自分がいるから、
騎士達は逃げない。
なら。
自分が囮になるしかない。
次の瞬間。
ミレイユは、
勢いよく走り出した。
「殿下!?」
レオンの声が響く。
ミレイユは、
振り返らない。
崩れた木材を飛び越え。
煙を抜け。
一直線に厩舎へ向かう。
そして。
迷わず馬へ飛び乗った。
スカートが裂ける。
構わない。
手綱を掴み、
振り返る。
金色の瞳が、
真っ直ぐ騎士達を見る。
「逃げますよ!!」
その声に。
騎士達が、
反射で動いた。
ミレイユは、
馬を走らせる。
裏道。
細い山道。
崖沿い。
後方から、
賊達が追ってくる。
矢が飛ぶ。
怒号が響く。
だが。
ミレイユは、
止まらない。
「左です!!」
「次は橋!!」
「崖側へ寄らないで!!」
的確な指示。
騎士達が、
息を呑む。
この王女。
逃げ方を知っている。
やがて。
崖上の吊橋が見えた。
古い橋。
幅は狭い。
一度に大人数は渡れない。
ミレイユの瞳が、
静かに細まる。
そして。
馬を止めた。
「……殿下?」
レオンの声。
ミレイユは、
ゆっくり振り返る。
後方。
迫る賊。
数が多い。
このままでは、
橋を渡る前に追いつかれる。
ミレイユは、
静かに笑った。
「先に行ってください」
空気が凍る。
レオンの顔色が変わった。
「何を――」
「あなたたちが欲しいのは」
ミレイユは、
ゆっくり賊達を見る。
風が吹く。
金色の髪が揺れた。
そして。
静かに言った。
「ーーわたくしの命でしょう?」
賊達の動きが、
僅かに止まる。
ミレイユは、
馬の向きを変えた。
騎士達ではなく。
賊達の方へ。
真正面へ。
レオンが、
目を見開く。
「おやめください!!」
だが。
ミレイユは、
静かに笑った。
少しだけ。
泣きそうな顔で。
「……今度は、
死者を出したくないの」
その瞬間。
レオンの呼吸が止まる。
過去辺境が賊に襲われたと聞いたことがある。
死者が多く出たと。
この王女は、
まだ背負っている。
「命令です。
全員橋を渡りなさい」
静かな声だった。
だが。
レオンは、
一歩も動かなかった。
「……できません」
低い声。
ミレイユの瞳が、
静かに細まる。
そして。
次の瞬間。
彼女は、
近くにいた騎士の腰から剣を抜いた。
ざわり――
空気が揺れる。
騎士達の顔色が変わった。
ミレイユは、
何の迷いもなく。
その切っ先を、
自分の喉元へ向ける。
風が吹いた。
金色の髪が揺れる。
「……従わないのであれば」
静かな声。
けれど。
誰より恐ろしい声だった。
「わたくしは、
ここで自害します」
空気が凍る。
レオンの目が、
大きく見開かれた。
ミレイユは、
微笑んでいた。
泣きそうなほど、
綺麗な笑顔で。
「そうすれば」
「この無駄な戦いも、
終わるでしょう?」
沈黙。
レオンの拳が、
震える。
だが。
誰も、
逆らえなかった。
ミレイユの目が、
本気だと分かってしまったからだ。
レオンは、
拳が滲むほど強く握り締める。
だが。
やがて。
ゆっくり橋へ馬を向けた。
「……総員、
橋を渡れ」
掠れた声だった。
騎士達が、
歯を食いしばる。
「ですが……!」
「命令だ!!」
レオンの怒声が響く。
その声には、
怒りより。
苦しさが滲んでいた。
騎士達は、
次々橋を渡っていく。
ミレイユは、
静かにそれを見送っていた。
後方では、
賊達が迫ってくる。
怒号。
足音。
剣を打ち鳴らす音。
距離が近い。
もうすぐ来る。
それでも。
ミレイユは、
動かなかった。
やがて。
最後の一人が、
橋を渡り切る。
その瞬間。
ミレイユは、
静かに剣を構えた。
狙うのは、
吊橋を支える太い縄。
風が吹く。
金色の髪が揺れる。
迫る賊達の怒号。
もう距離は近い。
だが。
ミレイユは、
笑った。
そして。
躊躇なく、
剣を振り下ろす。
ザンッ――!!
縄が切れる。
次の瞬間。
吊橋が、
大きな音を立てて崩れ落ちた。
「殿下ぁぁぁっ!!」
対岸で、
レオンの叫びが響く。
崩れた橋。
深い谷。
完全な分断。
騎士達の顔が、
絶望に染まる。
だが。
ミレイユは、
ゆっくり振り返った。
迫る賊達を見る。
数十人。
剣。
殺意。
全部を前にして。
第一王女は、
ふわりと笑った。
血で汚れた頬。
乱れた金髪。
それでもなお。
ぞくりとするほど、
美しかった。
ミレイユは、
剣を構える。
そして。
静かに口を開いた。
「――さぁ」
金色の瞳が、
獰猛に細められる。
「踊り狂いましょう?」




