視察
視察当日。
結局。
バンディア領からの荷物は、
最後まで届かなかった。
第一王女ミレイユの周囲には、
異様な緊張感が漂っていた。
護衛騎士は増員。
総勢三十名。
王女視察としては、
明らかに過剰だった。
だが。
誰一人、
異議を唱えなかった。
馬車の中。
ミレイユは、
静かに窓の外を眺めていた。
表情がない。
金色の瞳だけが、
妙に静かだった。
いつものように笑わない。
冗談も言わない。
その姿はまるで。
綺麗な人形みたいだった。
向かい側に座るレオンは、
何度か口を開きかけた。
だが。
結局、
何も言えなかった。
空気が重い。
ミレイユは、
ずっと地図を見ていた。
逃走経路。
街道。
地形。
視線だけが、
静かに動いている。
やがて。
馬車は、
細い山道へ入った。
崖沿い。
眼下には、
深い谷が広がっている。
そして。
前方には、
一本しかない古い橋。
ギシ…………
重たい音を立てながら、
馬車が橋を渡る。
レオンの眉が、
僅かに寄る。
嫌な地形だった。
逃げ場がない。
橋を落とされれば終わる。
その時だった。
ミレイユが、
ぽつりと呟く。
「……やっぱり嫌ね」
小さな声。
だが。
レオンの背筋を、
冷たいものが走った。
やがて。
馬車は、
伯爵邸へ到着する。
巨大な屋敷。
豪華な装飾。
だがどこか、
成金じみた下品さがあった。
玄関前には、
大量の使用人達。
そして。
中央で待っていた男が、
ゆっくり笑う。
グラディウス・ベルモルト。
肥え太った身体。
脂ぎった顔。
指には、
これ見よがしな宝石。
そして。
張り付いたような笑み。
「これはこれは!!」
粘つく声。
「第一王女殿下自らお越しいただけるとは!!」
深々と頭を下げる。
だが。
その目だけは、
全く笑っていなかった。
ミレイユは、
静かに伯爵を見る。
無表情。
感情が読めない。
そして。
完璧な王女の笑みを浮かべた。
「本日は、
よろしくお願いいたしますわ」
綺麗な声だった。
あまりにも綺麗すぎて。
逆に、
怖かった。
レオンは、
静かに目を細める。
……駄目だ。
殿下が完全に、
“戦闘態勢”へ入っている。
その後。
視察は、
異様なほど順調に進んだ。
穀物庫。
加工場。
保存庫。
どこも綺麗だった。
綺麗すぎた。
まるで。
最初から、
見せるためだけに整えられていたみたいに。
ミレイユは、
一言も余計なことを言わない。
ただ。
静かに見ている。
観察している。
その金色の瞳だけが、
妙に冷たかった。
やがて。
一行は、
最後の倉庫へ案内される。
重たい扉。
暗い室内。
積み上げられた木箱。
その瞬間だった。
ミレイユの足が、
ぴたりと止まる。
風が吹く。
鼻腔を掠める、
微かな匂い。
火薬。
一瞬でミレイユの瞳が、
大きく見開かれる。
次の瞬間。
「総員退避!!!!」
凄まじい声だった。
空気が凍る。
騎士達が、
反射で振り返る。
レオンの目が、
鋭く細まった。
ミレイユは、
叫ぶ。
「今すぐ離れて!!」
その瞬間。
グラディウス・ベルモルトが、
ゆっくり笑った。
粘つくような笑み。
目だけが、
醜く歪む。
「……もう遅い」
次の瞬間。
――ドゴォォォォンッ!!!!!!
世界が、
吹き飛んだ。




