静かな恐怖
夜。
第一王女ミレイユの私室には、
乾いた音が響いていた。
――ガッ!!
木剣が、
勢いよく壁際の人形へ叩き込まれる。
鋭い音。
重たい呼吸。
そして。
再び。
――ガンッ!!
ミレイユは、
無言で木剣を振っていた。
額には汗。
金色の髪が乱れ、
呼吸も荒い。
いつもの優雅な王女の姿ではない。
まるで。
何かに追われるように。
何かを振り払うように。
その時だった。
コンコン。
扉が叩かれる。
「……入ります」
低い声。
レオンだった。
部屋へ入った瞬間。
彼は、
静かに目を細める。
床には、
何本もの折れた木剣。
壁際には、
分厚い視察書類。
そして。
机の上には、周辺地図。
赤い印。
逃走経路。
街道。
妙に細かく書き込まれていた。
完全に、
有事を想定している。
ミレイユは、
木剣を肩へ担いだまま振り返る。
「まだ、
バンディア領から荷物届かないの?」
息を切らしながら言う。
レオンは、
じっとミレイユを見る。
そして。
静かに口を開いた。
「騎士団武器庫へ忍び込み、
盗んだ武器が帰ってくるんですか?」
ミレイユの眉が、
ぴくりと動く。
「人聞き悪いこと言わないでくださる?」
真顔だった。
「あれは、
わたくしが貰ったんです」
「誰からです」
「気持ち的には国です」
「盗みです」
即答だった。
レオンは、
深くため息を吐く。
本当に頭が痛い。
「あれでどれだけ怒られたと思ってるんですか」
低い声。
「騎士団長が顔真っ赤でしたよ」
ミレイユが、
ふいっと視線を逸らす。
「……それは、
悪いと思っています」
「でも欲しかったんです」
ぽつり。
静かな声だった。
レオンは、
一瞬だけ黙る。
わかっていた。
なぜ欲しがったのか。
視察。
伯爵家。
危険。
ミレイユは、
表向きこそ笑っている。
けれど。
あの日から、
明らかに様子がおかしかった。
夜遅くまで木剣を振り続け。
一人で地図を睨み。
突然武器庫へ現れたかと思えば。
――ドォンッ!!!
轟音と共に、銃を試射した。
騎士達が凍りつく中。
ミレイユだけが、
火薬の匂いの中で静かに呟いた。
「……駄目ね」
そして。
深くため息を吐きながら、
そのまま銃を持ち帰った。
完全に異常だった。
だが。
レオンは知っている。
これは恐怖だ。
ミレイユは、
怯えている。
自分が死ぬことではない。
“誰かが自分のせいで死ぬ未来”を。
だから。
備えている。
必死に。
一人で。
その時だった。
ミレイユが、
静かに木剣を下ろす。
「……ねぇ、
レオン様」
「はい」
ミレイユは、
少しだけ迷うように視線を伏せた。
そして。
ぽつりと呟く。
「わたくし、
嫌な予感って結構当たるのよね」
部屋が静まる。
レオンは、
何も言わない。
ミレイユは、
乾いた笑みを浮かべた。
「だから今、
すごく嫌なの」
その声は。
今まで聞いたどんな言葉より、
弱々しかった。
レオンの指先が、
僅かに動く。
ミレイユは、
また木剣を握り直した。
震える手で。
まるで。
立ち止まったら、
怖さに飲まれてしまうみたいに。
――ガンッ!!
再び、
木剣が振り下ろされる。
乾いた音が、
静かな部屋へ響いた。
その姿を見ながら。
レオンは、
静かに目を伏せる。
……本当に。
誰より怖がっているのは、
この人なのだろうと。




