表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
80/111

王女と温室

数日後。


 


再び、

ミレイユの姿はエヴァルド邸にあった。


 


王都屈指の名門貴族邸。


 


広大な庭園。


 


磨き上げられた白い廊下。


 


そして。


 


どこか張り詰めた空気。


 


使用人達が、

静かに頭を下げていく中。


 


ミレイユは、

きょろきょろと辺りを見回していた。


 


あの日以来。


 


頭から離れないのだ。


 


トマトの花の刺繍。


 


じゃがいもの押し花。


 


そして。


 


土の話で、

楽しそうに笑っていた少女の顔が。


 


その時だった。


 


廊下の奥から、

静かな足音が響く。


 


「殿下」


 


低く落ち着いた声。


 


ミレイユが顔を上げる。


 


そこに立っていたのは、

ルシアン・エヴァルドだった。


 


今日も隙のない佇まいだった。


 


整った金髪。


 


深緑の瞳。


 


完璧な貴公子。


 


けれど。


 


ミレイユを見ると、

どこか少しだけ表情が柔らかくなる。


 


「本日はどうされました?」


 


穏やかな声。


 


ミレイユは、

少しだけ視線を揺らした。


 


そして。


 


ほんの少し迷った後。


 


「あの……」


 


静かな声。


 


「本日、

ジンジャー様はいらっしゃいますか?」


 


その瞬間。


 


ルシアンが、

僅かに目を見開いた。


 


数秒の沈黙。


 


そして。


 


ふっと、

小さく笑う。


 


「えぇ」


 


どこか優しい声だった。


 


「恐らく、

温室にいるかと」


 


その瞬間。


 


ミレイユの瞳が、

ぱっと輝いた。


 


「温室!」


 


完全に反応した。


 


ルシアンが、

静かに目を細める。


 


……本当に、

植物がお好きなんだな。


 


ミレイユは、

少しだけ身を乗り出す。


 


「行っても、

よろしいですか?」


 


その声は。


 


先日、

大議場で貴族達を沈黙させていた王女と、

同一人物とは思えないほど柔らかかった。


 


ルシアンは、

小さく息を吐く。


 


そして。


 


「もちろんです」


 


静かに微笑んだ。


 


「ジンジャーも、

きっと喜びます」


 


その言葉に。


 


ミレイユが、

少しだけ嬉しそうに笑った。


 


まるで。


 


これから秘密基地へ向かう子供みたいな顔だった。


 


やがて。


 


庭園奥の温室前へ辿り着く。


 


すると。


 


ガラス越しに、

小さく動く影が見えた。


 


オレンジ色の髪。


 


土で少し汚れた白い手袋。


 


しゃがみ込み、

夢中で苗を見ている少女。


 


ルシアンが、

静かに声をかける。


 


「ジンジャー様」


 


その瞬間。


 


少女が、

はっと顔を上げた。


 


そして。


 


「み、ミレイユ殿下……!?」


 


ぱっと顔が赤くなる。


 


慌てて立ち上がった拍子に、

持っていた小さなスコップを落としかけた。


 


「だ、大丈夫ですか!?」


 


ミレイユが、

思わず駆け寄る。


 


「す、すみません……!」


 


ジンジャーは、

完全に混乱していた。


 


憧れの人。


 


あの日、

庭園で出会った王女。


 


まさか本当に、

自分へ会いに来てくれるなんて。


 


「お久しぶりです」


 


ミレイユが、

ふわりと笑う。


 


その瞬間。


 


ジンジャーの頬が、

さらに赤く染まった。


 


「あ、あの……!」


 


そわそわと視線を揺らす。


 


そして。


 


少しだけ勇気を出すように、

温室の奥を振り返った。


 


「もしよろしければ……」


 


小さな声。


 


「中、

見ていかれますか?」


 


その瞬間。


 


ミレイユの瞳が、

きらっと輝いた。


 


数秒後。


 


温室へ入った瞬間。


 


ミレイユが、

完全に足を止めた。


 


「…………」


 


沈黙。


 


そして次の瞬間。


 


「うわぁぁぁ……!!」


 


歓声だった。


 


王女らしからぬ、

完全に素の声。


 


後方で控えていたレオンが、

そっと目を閉じる。


 


……あぁ、

始まった。


 


そんな顔だった。


 


ミレイユは、

温室の中を見回す。


 


青々とした葉。


 


吊るされた支柱。


 


赤く色づき始めた実。


 


「こ、これは……!」


 


興奮した声。


 


「茄子ではありませんか!?」


 


「こちらトマト……!」


 


「ピーマンまで……!」


 


完全に大興奮だった。


 


ジンジャーが、

嬉しそうに笑う。


 


「ぜひ、

殿下に見ていただきたくて……!」


 


ミレイユが、

勢いよく振り返る。


 


「素晴らしいですわ!!」


 


目が、

きらきらしていた。


 


「温度管理はどうしているんですか!?」


 


「水やり頻度は!?」


 


「土は配合されていますよね!?」


 


質問が止まらない。


 


ジンジャーも、

頬を赤くしながら答える。


 


「は、はい……!」


 


「最初は普通の土だったんですけど、

水捌けが悪くて……!」


 


「だから砂を混ぜたら、

少し元気になって……!」


 


「わかります!」


 


ミレイユが、

ぶんぶん頷く。


 


その光景を。


 


少し離れた場所から、

ルシアンは静かに見ていた。


 


不思議だった。


 


先日の会議室で見た彼女とは、

まるで別人だった。


 


国を語り。


 


市場を動かし。


 


大臣達すら沈黙させた王女。


 


あの時の彼女は、

まるで光そのものだった。


 


けれど今。


 


野菜を前に、

目を輝かせている。


 


土に触れ。


 


笑い。


 


楽しそうに語っている。


 


その姿は、

どこまでも年相応の少女だった。


 


そして何より。


 


――心底、

楽しそうだった。


 


その時だった。


 


ジンジャーが、

少し困ったように眉を下げる。


 


「でも……」


 


ミレイユが、

首を傾げる。


 


ジンジャーは、

そっと茄子を指差した。


 


「最近、

あまり実がつかなくて……」


 


「花は咲くんですけど、

途中で落ちてしまうんです」


 


その瞬間。


 


ミレイユの目が、

すっと細くなる。


 


さっきまでの、

はしゃいだ空気が消えた。


 


真剣な目。


 


ミレイユは、

そっと花へ触れる。


 


そして。


 


めしべをじっと見た。


 


数秒の沈黙。


 


次の瞬間。


 


「これ、

肥料切れですわね」


 


即答だった。


 


ジンジャーが、

ぱちりと瞬きをする。


 


ミレイユは、

楽しそうに笑った。


 


「茄子って、

すごく肥料食いなんです」


 


「実をつけ始めると、

一気に栄養を持っていかれるので」


 


「今の時期なら、

追肥した方がいいですわ!」


 


その声は、

本当に嬉しそうだった。


 


ルシアンは、

静かに目を細める。


 


――あぁ。


 


この人は。


 


国を変えようとしている時も。


 


野菜を前に笑っている時も。


 


きっと、

何一つ変わっていない。


 


ただ。


 


誰より真っ直ぐに、

“生きる”を見ているだけなのだと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ