国の未来図
夕暮れ時。
王都でも有数の名門貴族邸――
エヴァルド邸には、
静かな緊張感が漂っていた。
重厚な執務室。
壁一面の本棚。
積み上げられた書類。
その中心で。
宰相オズヴァルト・エヴァルドは、
静かに紅茶を口へ運んでいた。
その隣には、
金髪の青年。
ルシアン・エヴァルド。
ミレイユの婚約者であり、
宰相の息子だった。
そして。
向かい側のソファでは。
第一王女ミレイユが、
いつものように優雅に微笑んでいる。
「王都、
大騒ぎみたいですわね」
楽しそうな声。
宰相が、
ゆっくり息を吐く。
「えぇ」
疲れた声だった。
「干し果物は連日完売」
「王室製保存食は予約待ち」
「農民達からも感謝の声が上がっています」
そこで。
宰相が、
じっとミレイユを見る。
「使用人棟の食事まで変わったと聞きました」
ミレイユが、
にこりと笑った。
「働いていただいた分、
ちゃんとした対価は必要ですもの」
当然のように言う。
ルシアンが、
僅かに目を見開いた。
王族が。
“使用人への対価”を、
ここまで当然のように語る。
それ自体が異質だった。
だが。
ミレイユは、
まだ止まらない。
紅茶を置き。
静かに続ける。
「ですが、
これは始まりに過ぎません」
空気が変わる。
ミレイユの金色の瞳が、
ゆっくり細められる。
「利益が出た以上、
国民へ還元しなければ意味がありません」
その声には、
迷いがなかった。
「まずは食」
「誰もが、
毎日しっかり食事を取れる環境を作る」
「保存食の普及」
「地方への流通整備」
「孤児院への定期支援」
淡々と。
まるで、
既に決定事項みたいに話していく。
ルシアンが、
思わず息を呑む。
ミレイユは、
止まらない。
「次に教育」
「子供達へ、
平等な学びを」
「読み書き」
「計算」
「農業」
「保存技術」
「衛生管理」
「そして食事の提供」
「空腹では、
学べませんもの」
静かな声。
だが。
その場にいる誰より、
強い言葉だった。
宰相とルシアンが、
黙ってミレイユを見る。
この王女は。
どこまで先を見ているのか。
ミレイユは、
さらに続ける。
「医療支援も必要ですわね」
「地方医院への援助」
「薬草栽培の支援」
「子供への無料診療」
「巡回医師制度」
「栄養改善」
「病を治すことも大切です」
そこで。
ミレイユが、
静かに微笑む。
「ですが」
「病にならない身体を作ることは、
もっと大切でしょう?」
沈黙。
宰相の指先が、
ぴくりと止まった。
ミレイユは、
さらに続ける。
「栄養不足の子供は弱る」
「知識のない親は、
子供を守れない」
「働けない大人は、
薬を買えない」
「全部、
繋がっていますわ」
その声は、
あまりにも静かだった。
だからこそ。
重かった。
ミレイユは、
さらに淡々と話す。
「大人達にも働く場所が必要です」
「加工工場」
「流通管理」
「職業訓練校」
「仕事を求める人へ、
学ぶ場所と働く場所を与える」
「人は、
施され続ければ弱ります」
「ですが」
そこで。
ミレイユが、
ふわりと笑った。
「生きる術を与えられれば、
自分の足で立ち上がれます」
沈黙。
部屋が、
静まり返る。
そして。
宰相が、
ぽつりと呟いた。
「……夢物語だ」
低い声。
長年、
国を見続けてきた男の声だった。
理想だけでは、
国は回らない。
綺麗事だけでは、
人は救えない。
そんな現実を、
誰より知っている男の言葉。
だが。
ミレイユは、
笑った。
馬鹿にされたのに、
全く怒らない。
むしろ。
少しだけ、
寂しそうに笑った。
「いいえ」
静かな声。
「夢物語ではありません」
夕陽が、
金髪を照らす。
その姿は、
まるで光そのものみたいに美しかった。
ミレイユは、
ゆっくり二人を見る。
そして。
静かに言った。
「夢とは、
叶わないものを指す言葉ではありません」
「誰も本気で、
叶えようとしなかったものです」
沈黙。
ルシアンの目が、
大きく見開かれる。
宰相すら、
言葉を失った。
ミレイユは、
柔らかく微笑む。
「ですから」
金色の瞳が、
真っ直ぐ未来を見る。
「わたくしが、
叶えてみせますわ」
その瞬間。
ルシアンは、
理解してしまった。
この人は。
ただ優しい王女ではない。
国を変える人間だと。
⸻
帰り際。
夕陽は、
もうほとんど沈みかけていた。
エヴァルド邸の長い廊下を、
ミレイユは静かに歩いている。
後方には、
一定距離を保つレオン。
そして隣には、
ルシアン・エヴァルド。
しばらく、
静かな沈黙が続いた後。
ルシアンが、
ふと口を開いた。
「……殿下」
ミレイユが、
小さく首を傾げる。
ルシアンは、
少しだけ迷うように視線を伏せた。
だが。
やがて静かに言う。
「もしよろしければ」
「今度、
妹と会っていただけませんか」
ミレイユが、
ぱちりと瞬きをする。
「妹……?」
「ジンジャーです」
その名前が出た瞬間。
ミレイユの瞳が、
ぱっと輝いた。
「あの、トマトの花の刺繍の方!?」
即答だった。
ルシアンが、
僅かに目を見開く。
そんなところを覚えているのか。
ミレイユは、
少し身を乗り出す。
「えっ、
いいんですか?」
その声は、
先程まで国を語っていた王女とは思えないほど柔らかかった。
「是非、
お会いしたいです」
嬉しそうに笑う。
その瞬間。
ルシアンは、
静かに目を細めた。
――やはり。
この人は、
妹と似ている。
土を愛し。
人混みより、
植物の話で笑う人だ。




