辺境を語る時
夜だった。
王城の一室。
静かな灯りだけが、
薄暗い空間を照らしている。
窓の外では、
夜風が木々を揺らしていた。
ソファへ腰掛けたミレイユが、
小さくため息を吐く。
「……成人の儀まで謹慎ですって」
どこか、
呆れたような声だった。
向かい側に立っていたレオンは、
静かに目を伏せる。
「それで済んだことが、
奇跡のようですね」
低い声。
実際そうだった。
十年前なら。
国王はもっと強引に、
ミレイユを封じ込めていたはずだ。
だが今は違う。
もう簡単には、
排除できない。
ミレイユは、
困ったように笑った。
「父上も、
だいぶ丸くなられましたね」
「……そうでしょうか」
レオンが、
真顔で返す。
その時だった。
トントン――。
小さなノック。
次の瞬間。
勢いよく扉が開いた。
「お姉様!」
金色の髪を揺らしながら、
小さな少年が駆け込んでくる。
エリアスだった。
後ろでは、
侍女が青ざめている。
「エリアス様!
勝手に入ってはいけませんと――」
だが。
エリアスは、
そんな声など聞いていなかった。
真っ直ぐミレイユへ駆け寄る。
「お父様に怒られたそうですね!」
大きな蒼い瞳が、
不安そうに揺れる。
「大丈夫ですか?」
ミレイユは、
思わず小さく笑った。
そして。
そっとエリアスの頭を撫でる。
「えぇ」
柔らかな声。
「心配してくれて、
ありがとう」
エリアスの顔が、
ぱっと明るくなる。
そして次の瞬間。
身を乗り出すように聞いた。
「お姉様は、
辺境の地へ行かれていたのでしょう?」
瞳が、
きらきら輝いている。
「お話を聞きたいです!」
その瞬間。
レオンが、
僅かに目を細めた。
ミレイユもまた、
少しだけ目を丸くする。
それから。
ふっと笑った。
辺境にいた頃みたいに。
「もちろんいいわよ」
その声は、
どこか嬉しそうだった。
やがて。
ミレイユは、
ゆっくり話し始める。
雪深い冬の話。
畑を耕した話。
牛舎で生まれた子牛の話。
村人達と囲んだ鍋。
大失敗した保存食。
害虫に泣かされた芋畑。
ジークと穴をひたすら掘った話。
水路を引くため、
皆で泥だらけになった話。
そして。
泣いていた子供達が、
笑うようになった話。
エリアスは、
一言も口を挟まなかった。
ただ。
夢を見る子供みたいな顔で、
ミレイユを見つめている。
それは。
王城育ちの少年にとって、
知らない世界だった。
土の匂い。
命を育てること。
誰かと一緒に生きること。
ミレイユが語る辺境は、
まるで物語みたいだった。
けれど。
何よりエリアスの心を奪ったのは。
話をしている時の、
ミレイユの顔だった。
王城へ戻ってから。
彼女はずっと、
綺麗に笑っていた。
完璧な王女として。
けれど今。
辺境を語るミレイユは、
違った。
本当に楽しそうだった。
本当に、
幸せそうだった。
その姿は。
まるで。
人々へ光を与える、
物語の中の神様みたいに見えた。
エリアスは、
呆然と姉を見つめる。
胸の奥が、
じんわり熱かった。
――すごい。
ただ、
その言葉しか出てこない。
そして。
部屋の隅で控えていた近衛騎士達もまた、
静かに息を呑んでいた。
ミレイユが語るのは、
武勇伝ではない。
誰かを支えた話。
皆で笑った話。
食べ物を育てた話。
それなのに。
どうしてこんなにも、
胸を打つのだろう。
レオンは、
静かに目を伏せる。
十年前。
焚き火の前で、
未来を語っていた小さな王女。
あの日から。
彼女は、
本当に変えてしまったのだ。
辺境を。
人を。
そしてきっと。
これから国すらも。




