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王女は再び厨房に立つ

朝食を終えた頃だった。


 


長い食卓から、

ミレイユが静かに立ち上がる。


 


侍女が、

すぐに頭を下げた。


 


「ミレイユ様、どちらへ?」


 


ミレイユは、

にこりと笑う。


 


「少し散歩を」


 


柔らかな笑み。


 


完璧な王女の微笑みだった。


 


けれど。


 


その笑顔が、

“嘘”なのを。


 


レオンだけは、

すぐに理解した。


 


ミレイユは今。


 


笑っていない。


 


王城へ戻ってからずっと。


 


どこか、

息を殺している。


 


レオンは、

静かに立ち上がった。


 


「お供します」


 


その瞬間。


 


ミレイユの笑顔が、

ぴたりと止まる。


 


「……ついてこなくて結構です」


 


「いいえ」


 


即答だった。


 


ミレイユが、

じとっと睨む。


 


「レオン様」


 


「護衛ですので」


 


「散歩ですよ?」


 


「なおさらです」


 


「……むぅ」


 


ミレイユは、

露骨に嫌そうな顔をした。


 


だが。


 


レオンは一歩も引かない。


 


結局。


 


先に折れたのは、

ミレイユだった。


 


「……好きにしてください」


 


小さくため息を吐き、

歩き出す。


 


王城の長い廊下。


 


磨き上げられた床。


 


静かな空気。


 


ミレイユは、

迷いなく地下へ向かっていた。


 


レオンの眉が、

僅かに寄る。


 


そして。


 


辿り着いた先を見て、

完全に察した。


 


王城使用人棟。


 


侍女や下働き達が暮らす、

王城の裏側だった。


 


入口の使用人達が、

ぎょっと目を見開く。


 


「ミ、ミレイユ様!?」


 


「こちらへは――」


 


止めようとする。


 


だが。


 


ミレイユは、

静かに中へ入っていった。


 


薄暗い食堂。


 


小さな木の机。


 


そして。


 


並べられた、

質素な食事。


 


色の薄いスープ。


 


黒く硬いパン。


 


冷えた芋。


 


それだけ。


 


ミレイユは、

静かにそれを見つめる。


 


十年前と、

何も変わっていなかった。


 


金色の瞳が、

ゆっくり細められる。


 


そして。


 


ぽつりと呟いた。


 


「……相変わらず」


 


静かな声。


 


「こんなものを、

食べさせているのですね」


 


誰も、

声を出せなかった。


 


ミレイユは、

踵を返す。


 


そのまま向かった先は――


 


厨房だった。


 


扉が開く。


 


中にいた料理人達が、

一斉に振り返る。


 


そして次の瞬間。


 


料理長の目が、

大きく見開かれた。


 


「……ミレイユ様」


 


掠れた声。


 


十年前。


 


王城を騒がせた、

小さな王女。


 


忘れるはずがなかった。


 


ミレイユは、

ふわりと笑う。


 


「あら、料理長」


 


どこか嬉しそうに。


 


「お久しぶりです」


 


そして。


 


次の瞬間には。


 


「早速ですが、

厨房を貸してくださらない?」


 


料理長の顔が、

引き攣った。


 


隣で。


 


レオンが、

深く額を押さえる。


 


「待ってください」


 


低い声。


 


ミレイユが、

きょとんと振り返る。


 


レオンは、

真顔だった。


 


「貴方は、

それで辺境送りになったのでしょう」


 


厨房が、

静まり返る。


 


十年前の事件。


 


知らない者はいない。


 


王女が厨房へ立ち入り、

使用人達へ料理を振る舞った日。


 


そして。


 


その直後に、

辺境送りが決まった。


 


だが。


 


ミレイユは、

ぱちぱちと瞬きをした後。


 


ふっと笑った。


 


「私はもう十六です」


 


静かな声。


 


「今回やったところで、

父上はもう辺境送りにはできません」


 


料理人達が息を呑む。


 


ミレイユは、

さらりと続けた。


 


「それに」


 


少しだけ、

困ったように笑う。


 


「もうすぐ成人の儀と婚約発表です」


 


「さすがに父上も、

これ以上変なことはなさらないでしょう」


 


レオンが、

言葉を失う。


 


……変なこと。


 


国王への評価が、

辛辣すぎる。


 


だが。


 


ミレイユはもう、

止まらなかった。


 


「料理長」


 


にこり。


 


「お野菜、

切ってもよろしいですか?」


 


数十分後――


 


厨房には、

温かな香りが満ちていた。


 


辺境から運び込んだ、

保存野菜。


 


干したきのこ。


 


香草。


 


甘みの強い根菜。


 


ミレイユは、

慣れた手つきで鍋を混ぜていく。


 


トントントン――


 


包丁の音が響く。


 


料理人達が、

呆然と見つめていた。


 


速い。


 


正確。


 


無駄がない。


 


しかも。


 


使っているのは、

辺境で育てた食材ばかりだった。


 


やがて。


 


大鍋いっぱいのスープが完成する。


 


焼き上げたパン。


 


香草を使った温野菜。


 


甘く煮た果実。


 


食堂へ運ばれていく料理を見ながら、

使用人達がざわつき始めた。


 


「え……?」


 


「これ、

俺たちが食べていいのか……?」


 


恐る恐る、

侍女がスープを口へ運ぶ。


 


その瞬間。


 


「……っ」


 


目が見開かれる。


 


温かい。


 


優しい。


 


じんわり、

身体へ染み込んでいく。


 


「おいしい……」


 


ぽろり、と涙が落ちた。


 


それをきっかけに。


 


次々と、

皆が料理へ手を伸ばしていく。


 


笑う者。


 


泣く者。


 


夢中でパンを頬張る下働き達。


 


その光景を。


 


ミレイユは、

静かに見つめていた。


 


そして。


 


ゆっくり口を開く。


 


「この野菜は」


 


静かな声。


 


「わたくしが、

辺境の民達と一緒に育てました」


 


皆が、

顔を上げる。


 


ミレイユは、

優しく笑った。


 


「土を耕して」


 


「水を引いて」


 


「虫に泣かされながら」


 


少しだけ、

困ったように笑う。


 


「皆で育てたんです」


 


そして。


 


真っ直ぐ前を向く。


 


金色の瞳が、

強く光った。


 


「わたくしは」


 


静かな声。


 


けれど。


 


誰よりも強かった。


 


「同じ歩幅で、

皆が歩いていける国を作りたい」


 


静まり返る。


 


ミレイユは、

小さく頭を下げた。


 


「きっと、

これから皆様へ苦労をかけます」


 


「面倒な王女だと、

思われるかもしれません」


 


少しだけ笑う。


 


辺境にいた頃みたいに。


 


「それでも」


 


金色の瞳が、

優しく細められる。


 


「どうか、

よろしくお願いいたします」


 


沈黙。


 


そして。


 


誰より先に。


 


年老いた料理長が、

深く頭を下げた。


 


まるで。


 


未来の王へ、

忠誠を誓うみたいに。

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