帰りたい
十日後――
王都へ到着した馬車は、
静かに王城の門をくぐった。
巨大な白亜の城。
磨き上げられた石畳。
整然と並ぶ騎士達。
辺境とは違う。
土の匂いはしない。
牛の鳴き声も。
風に揺れる麦もない。
あるのは。
張り詰めた空気だけだった。
王城――謁見の間。
静寂が、
重たく広がっている。
赤い絨毯。
巨大な柱。
玉座の上には国王。
その隣には王妃。
十年ぶりに帰還した、
第一王女を。
そして。
広間の中央に立つ少女は、
まるで人形みたいだった。
深い蒼のドレス。
長い金髪。
整った姿勢。
感情を見せない金色の瞳。
辺境で笑っていた少女は、
そこにはいなかった。
「……顔を上げなさい」
国王の声が響く。
ミレイユは、
静かに顔を上げる。
完璧な所作。
一分の隙もない。
それが逆に。
王妃の胸を締め付けた。
……違う。
こんな子ではなかった。
辺境から届く報告書の中で。
泥だらけで畑を耕し。
牛舎へ泊まり込み。
村人達と笑っていた少女。
その姿を知っている。
なのに今のミレイユは。
まるで。
感情を閉じ込めてしまったみたいだった。
国王が、
静かに口を開く。
「表向き、
お前は病気療養のため辺境へ送られていた」
淡々とした声。
「辺境での件は、
必要以上に話すな」
「貴族達には、
刺激が強すぎる」
ミレイユは、
微動だにしない。
ただ。
機械みたいに答える。
「……かしこまりました」
その声に、
感情はなかった。
王妃の指先が、
小さく震える。
国王は続ける。
「五日後、
成人の儀を行う」
静かな声。
「そこで、
婚約も正式に発表する」
その瞬間。
ミレイユの睫毛が、
ほんの僅かに揺れた。
だが。
それだけだった。
「……承知いたしました」
静かな返事。
完璧な王女の声。
けれど。
王妃だけは、
気づいてしまった。
この子は今。
必死に息を殺している。
夜。
与えられた部屋は、
昔と何も変わっていなかった。
豪奢な天蓋付きベッド。
大きな窓。
美しい調度品。
完璧な部屋。
なのに。
息が詰まりそうだった。
ミレイユは、
静かに床へ座り込む。
広すぎる部屋。
静かすぎる空間。
耳が痛かった。
辺境では。
夜になれば、
牛の鳴き声が聞こえた。
風の音がした。
誰かの笑い声がした。
ジークの呆れた声がした。
『また寝ておられないのでしょう』
思い出した瞬間。
胸が、
ぎゅうっと痛くなる。
ミレイユは、
小さく膝を抱えた。
帰りたかった。
土の匂いがする場所へ。
牛舎へ。
畑へ。
夕焼けの辺境へ。
“ミレイユ様”じゃなく。
ただの自分でいられた場所へ。
ぽつり。
小さな声が、
静かな部屋へ落ちる。
「……帰りたい」
誰にも届かない声だった。
金色の瞳から、
一粒だけ涙が落ちる。
王城へ帰ってきたはずなのに。
ミレイユには、
ここがまるで他人の家みたいに感じていた。




