表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
58/113

十年の答え

夕暮れだった。


 


バンディア公爵邸の執務室には、

重たい静寂が落ちている。


 


窓の外では、

赤く染まった畑が風に揺れていた。


 


その中で。


 


一人の兵士が、

膝をついて頭を下げる。


 


「――王都より連絡です」


 


低い声が響く。


 


「明日、

騎士団が到着します」


 


その瞬間。


 


部屋の空気が、

静かに変わった。


 


クロヴィスは、

無言で目を閉じる。


 


灰色の瞳が、

ゆっくり伏せられた。


 


ジークもまた、

何も言わない。


 


ただ。


 


握った拳だけが、

僅かに強くなる。


 


そして。


 


ミレイユは、

静かに窓の外を見つめていた。


 


夕日に染まる辺境。


 


十年間、

見続けてきた景色。


 


土の匂い。


 


風の音。


 


遠くから聞こえる、

子供達の笑い声。


 


全部。


 


明日で、

変わってしまう。


 


長い沈黙の後。


 


ミレイユは、

小さく息を吐いた。


 


「……そうですか」


 


静かな声だった。


 


けれど。


 


その横顔は、

どこか寂しそうだった。


 


クロヴィスが、

低く口を開く。


 


「嫌なら断るか」


 


ジークが、

僅かに目を見開く。


 


だが。


 


ミレイユは、

小さく笑った。


 


「まさか」


 


金色の髪が、

夕風に揺れる。


 


「私は、

ヴェルディア王国第一王位継承者ですよ」


 


その声に、

迷いはなかった。


 


けれど。


 


ほんの少しだけ。


 


寂しそうに笑った。


 


そして。


 


ミレイユは、

ゆっくり振り返る。


 


「クロヴィス様」


 


真っ直ぐな瞳。


 


「人々を集めてください」


 


ジークの喉が、

小さく動く。


 


ミレイユは続けた。


 


「ちゃんと、

皆様へお話ししたいのです」


 


その声は、

王女の声だった。


 


もう。


 


泣いていた少女ではない。


 


この十年で。


 


土を知り。


 


民を知り。


 


痛みを知った。


 


辺境の黄金姫の声だった。






夜ーーー


 


辺境の広場には、

無数の灯りが揺れていた。


 


松明の火。


 


人々のざわめき。


 


仕事終わりの農民達。


 


商人。


 


職人。


 


子供を抱いた母親。


 


皆、

突然の招集に不安そうな顔をしている。


 


「領主様が話って……」


 


「何かあったのか?」


 


「まさか戦争じゃ……」


 


ざわつく空気。


 


その最前列に。


 


クロヴィスとジークが並んで立っていた。


 


二人とも、

静かな顔をしている。


 


そして。


 


その間を、

一人の女がゆっくり歩いた。


 


ざわめきが止まる。


 


長い金髪。


 


深い蒼を基調とした、

王族のドレス。


 


胸元には、

ヴェルディア王家の紋章。


 


普段、

土だらけで畑を歩いている少女とは、

まるで別人だった。


 


誰かが、

息を呑む。


 


「……え」


 


「ミレイユ様……?」


 


彼女は、

広場の中央へ立つ。


 


夜風が、

金色の髪を揺らした。


 


そして。


 


静かに口を開く。


 


「本日は、

お集まりいただきありがとうございます」


 


よく通る声だった。


 


いつもの柔らかな口調。


 


けれど今夜は、

どこか張り詰めている。


 


「皆様は長年、

わたくしのことを」


 


少しだけ、

困ったように笑う。


 


「“クロヴィス様の隠し子”だと思っていたそうですね」


 


広場に、

気まずそうな空気が流れた。


 


老人達が、

露骨に目を逸らす。


 


子供達まで、

「あっ……」みたいな顔をしている。


 


ミレイユは、

小さく吹き出した。


 


「えぇ、

知っておりました」


 


広場に、

少しだけ笑いが漏れる。


 


その後。


 


ミレイユは、

真っ直ぐ前を向いた。


 


金色の瞳が、

人々を映す。


 


「改めまして、

名乗らせていただきます」


 


静寂。


 


「わたくしは――」


 


風が吹く。


 


「ヴェルディア王国、

第一王位継承権を持つ王女」


 


その声は、

夜空へ真っ直ぐ響いた。


 


「ミレイユ・ヴェルディアと申します」


 


その瞬間。


 


広場が、

静まり返った。


 


誰も動かない。


 


誰も言葉を発せない。


 


ただ、

呆然と彼女を見つめている。


 


やがて。


 


「……は?」


 


誰かが、

間の抜けた声を漏らした。


 


「お、王女……?」


 


「えっ……?」


 


「うそだろ……?」


 


「え、じゃあ俺今まで、

王女様に畑作業手伝わせてたのかよ……」


 


「俺なんか怒鳴られたぞ!?」


 


「私は泥まみれにしました!!」


 


「俺塩盗みに付き合ったぞ!?」


 


「それ犯罪じゃねぇか!!」


 


広場が、

一気に騒がしくなる。


 


ミレイユは、

少しだけ笑った。


 


けれど。


 


その笑顔は、

どこか寂しかった。


 


「そして」


 


静かな声。


 


「明日、

わたくしはこの地を離れます」


 


ざわめきが止まる。


 


「王都へ戻ります」


 


沈黙。


 


風だけが吹いていた。


 


ミレイユは、

ゆっくり辺境を見渡す。


 


十年間。


 


泣いて。


 


笑って。


 


泥だらけになって。


 


皆と生きた場所。


 


「十年前、

この地へ来た時」


 


声が、

少しだけ震える。


 


「わたくしは、

何も知りませんでした」


 


脳裏に浮かぶ。



 


痩せた畑。


 


死が近かった人々。


 


「けれど皆様は、

そんなわたくしを受け入れてくださいました」


 


老人達が、

静かに目を伏せる。


 


「たくさん怒られました」


 


「たくさん笑われました」


 


「何度も失敗しました」


 


小さな笑いが漏れる。


 


ミレイユも、

少しだけ笑った。


 


「ですが」


 


真っ直ぐ前を向く。


 


「この十年間は、

わたくしの人生で」


 


胸へ手を当てる。


 


「何より大切な時間でした」


 


誰かが、

鼻を啜る音。


 


ミレイユは続ける。


 


「皆様のおかげで、

わたくしは変わることができました」


 


「民を知りました」


 


「土を知りました」


 


「生きることを知りました」


 


涙を堪えるように、

小さく息を吸う。


 


「本当に、

ありがとうございました」


 


そして。


 


ミレイユは、

深く頭を下げた。


 


王女が。


 


第一王位継承者が。


 


辺境の民へ向けて、

深く頭を下げている。


 


広場のあちこちで、

涙を拭う姿が見えた。


 


やがて。


 


ミレイユは、

ゆっくり顔を上げる。


 


その瞳には、

もう迷いはなかった。


 


「わたくしは、

王都へ戻ります」


 


夜風が吹く。


 


「この国を変えるために」


 


真っ直ぐな声だった。


 


「もう二度と、

飢えで泣く子供を出さないために、

人々を死なせないために」


 


「もう二度と、

明日を諦める民を作らないために」


 


金色の瞳が、

強く光る。


 


「わたくしは、

ヴェルディア王国第一王女として」


 


拳を握る。


 


「必ずこの国を変えてみせます」


 


静寂。


 


そして次の瞬間。


 


広場の奥から、

一人の老人が叫んだ。


 


「……っ頑張れぇぇぇぇっ!!」


 


その声をきっかけに。


 


「ミレイユ様ぁぁ!!」


 


「俺達忘れません!!」


 


「絶対帰ってきてください!!」


 


「王都ぶっ壊してください!!」


 


「それは駄目です!!」


 


涙と笑いが、

広場に溢れた。


 


ミレイユは、

泣きそうになるのを堪えながら笑う。


 


そして最後に。


 


辺境の景色を、

ゆっくり見渡した。


 


――大丈夫。


 


この土地は、

もう歩いていける。


 


だから今度は。


 


自分が、

国を変える番だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ