十年かけて育てたもの
夕暮れ前の牛舎。
乾いた藁の匂いと、
牛達の穏やかな鳴き声が響いていた。
「バルじいさん、
今日は体調が良さそうね」
ミレイユが藁をまとめながら声をかける。
すると。
牛舎の奥から、
杖をついた老人が姿を現した。
「おぉ」
しゃがれた声。
腰は曲がっている。
だが目だけは、
昔と変わらず頑固だった。
その隣では、
若い青年が頭を抱えている。
「だから家にいてくださいって、
あれほど言ったじゃないですか……!」
「うるせぇ」
バルが鼻を鳴らす。
「俺ぁ生涯現役なんだよ」
「昨日だって倒れかけたでしょう!?」
「転びそうになっただけだ!」
「倒れかけたんです!!」
ミレイユは、
思わず小さく吹き出した。
「ふふっ」
二人が同時に振り返る。
ミレイユは、
箒を抱えたまま笑った。
「可愛いお孫さんに、
そんなこと言っては駄目ですよ」
その瞬間。
バルが、
ぴたりと黙る。
孫の青年が、
深いため息を吐いた。
「……ほら。
ミレイユ様にも言われた」
「うるせぇ」
口ではそう言うのに。
バルは、
少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
ミレイユは、
そんな二人を見ながら微笑む。
昔。
この牛舎には、
沈んだ空気が漂っていた。
けれど今は違う。
牛達は丸々と太り。
若者達が働き。
笑い声がある。
そして何より。
バルの家業を継ぐ者が、
ちゃんとここにいる。
ミレイユは、
静かに牛舎を後にした。
外へ出る。
夕風が、
金色の髪を揺らした。
広がる畑。
青々と育つ作物。
遠くでは、
子供達が笑いながら走っている。
「ミレイユ様ー!!」
畑仕事をしていた女が、
大きく手を振った。
「北側の芋畑、
今年も豊作ですよー!」
「えぇ、見ればわかります」
ミレイユが笑う。
別の男も声を上げる。
「今年は去年より保存庫が上手く回ってます!」
「湿度管理を変えたのが正解でしたね!」
「南側の新しい畑も、
かなり良い土になってきましたよ!」
次々に飛ぶ報告。
誇らしげな顔。
活気のある声。
もう、
大丈夫だ。
ミレイユは、
静かに目を細めた。
十年前。
冬を越える事が不安な人々がいた。
泣いている子供がいた。
死が当たり前の村があった。
けれど今。
ここには、
生きようとする人達がいる。
自分で考え。
自分で育て。
自分で守ろうとしている。
もう。
自分がいなくても、
この土地は歩いていける。
――わかっている。
ミレイユは、
ぎゅっと拳を握った。
私は、
王位継承権第一位。
本来なら。
もっと多くの民を救わなければならない。
王都へ戻り。
この国全体を変えなければならない。
辺境だけで満足してはいけない。
わかっている。
ちゃんと、
わかっているのだ。
けれど。
夕日に染まる畑を見つめながら。
ミレイユは、
小さく唇を噛む。
……帰りたくない。
胸の奥が、
静かに痛んだ。
土の匂い。
牛達の鳴き声。
笑い合う村人達。
十年間、
積み上げてきた場所。
自分が初めて自分らしくいられた場所。
ミレイユは、
夕焼けを見上げる。
泣きそうになるのを、
必死に堪えながら。
「……困りましたね」
誰にも聞こえないほど、
小さな声だった。
「こんなに、
大切になってしまいました」




