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十年分のわがまま

夕暮れだった。


 


応接室の窓から、

赤い光が差し込んでいる。


 


机の上には、

一通の封書。


 


王家の紋章。


 


見慣れたそれを、

ミレイユは無言で見つめていた。


 


向かい側では、

クロヴィスが静かに紅茶を置く。


 


「……国王陛下からですか」


 


ジークが低く呟く。


 


クロヴィスは、

短く頷いた。


 


「先程届いた」


 


静かな空気。


 


ミレイユは、

ゆっくり封を切る。


 


紙を開く。


 


そこに書かれていたのは――


 


『三ヶ月後、

王都より騎士団を派遣する』


 


『第一王女ミレイユ・ヴェルディアを迎え入れる』


 


その文字を見た瞬間。


 


ミレイユの指先が、

ぴたりと止まった。


 


十年。


 


『辺境の地で反省してこい』


 


そう言われ、

この地へ送られてから。


 


本当に、

十年が経っていた。


 


ミレイユは、

黙ったまま手紙をジークへ渡す。


 


ジークも目を通し、

静かに目を伏せた。


 


沈黙。


 


やがて。


 


ミレイユが、

ぽつりと呟く。


 


「……なによ、今更」


 


少しだけ、

拗ねたような声だった。


 


クロヴィスが、

静かに紅茶を口へ運ぶ。


 


「もう十年か」


 


低い声。


 


灰色の瞳が、

夕焼けへ細められる。


 


「はじめの頃お前は牛舎へ消えた」


 


ミレイユが、

ぴくりと肩を揺らす。


 


「泥だらけで戻ってきた時は、

頭が痛くなったものだ」


 


「……牛は大事です」


 


「知っている」


 


短い返答だった。


 


クロヴィスは、

机の上の書類へ視線を落とす。


 


「農地開発」


 


「交易路整備」


 


「食糧備蓄改革」


 


「飢餓報告ゼロ」


 


淡々と読み上げられる言葉。


 


「移住者も増えた」


 


「辺境は、

もはや小さな村ではない」


 


静かな声。


 


「お前が変えた」


 


ミレイユは、

何も言わなかった。


 


クロヴィスは、

ゆっくり顔を上げる。


 


灰色の瞳が、

真っ直ぐミレイユを見た。


 


「……立派になったな」


 


その一言だけだった。


 


けれど。


 


ミレイユは、

少しだけ困ったように眉を下げる。


 


「褒めても何も出ませんよ

 あ……塩ぐらいなら出るかもしれません」


 


「没収します」


 


ジークが即答した。


 


ミレイユが、

露骨に嫌そうな顔をする。


 


だが。


 


胸の奥が、

少しだけ苦しかった。


 


……帰るのか。


 


王都へ。


 


ミレイユは、

静かに立ち上がる。


 


そのまま応接室を出て、

外へ向かった。


 


夕風が吹く。


 


広がる畑。


 


揺れる麦。


 


牛舎から聞こえる鳴き声。


 


土の匂い。


 


十年間、

見続けてきた景色だった。


 


夕日に照らされながら、

ミレイユは小さく息を吐く。


 


「……帰りたくないって言ったら」


 


風が髪を揺らす。


 


「わがままよね」


 


隣へ、

ゆっくりジークが立つ。


 


銀髪が夕焼けに染まっていた。


 


しばらく沈黙が落ちる。


 


やがて。


 


ジークは、

真っ直ぐ前を見たまま言った。


 


「そうでしょうか」


 


ミレイユが、

小さく目を見開く。


 


ジークは続ける。


 


「貴方が望むなら」


 


夕風が吹く。


 


「一生ここにいてもいいのですよ」


 


その声は、

あまりにも自然だった。


 


まるで。


 


最初から、

そうするつもりだったみたいに。




ミレイユは、

ゆっくり瞬きをする。


 


胸の奥が、

じわりと熱くなった。


 


そして。


 


困ったように、

小さく笑う。


 


「……冗談ですよね?」


 


掠れた声だった。


 


「本気にしてしまいますよ?」


 


沈黙。


 


夕風だけが、

二人の間を通り抜けていく。


 


やがて。


 


ジークは、

静かに口を開いた。


 


「私は、

いつでも本気ですよ」


 


その瞬間。


 


ミレイユの呼吸が、

ぴたりと止まる。


 


言葉が出ない。


 


胸が痛い。


 


苦しいくらいに。


 


ミレイユは、

逃げるように視線を逸らした。


 


揺れる麦畑。


 


夕日に染まる辺境。


 


十年間、

見続けてきた景色。


 


そして。


 


いつも隣にいた人。


 


ミレイユは、

小さく唇を噛む。


 


「……この土地に、

あなたが必要なのはわかっています」


 


ぽつりと、

零れる声。


 


「辺境騎士団」


 


「国境防衛」


 


「バンディア公爵家」


 


「あなたには、

背負うものがたくさんある」


 


ジークは、

何も言わない。


 


ミレイユは続ける。


 


「そしてわたくしは、

王位継承権第一位として」


 


夕風が吹く。


 


「ここに残れないのも、

わかっています」


 


苦しかった。


 


言葉にするたび、

現実になっていく。


 


ミレイユは、

ぎゅっと拳を握る。


 


「……でも」


 


小さな声だった。


 


「この十年、

あなたがずっと隣にいてくれた」


 


脳裏に浮かぶ。


 


怒られた日。


 


泣いた日。


 


笑った日。


 


泥だらけになった日。


 


国境を守った夜。


 


全部。


 


隣には、

ジークがいた。


 


ミレイユは、

夕焼けを見つめたまま呟く。


 


「許されるなら」


 


風が、

金色の髪を揺らす。


 


「……ずっと、

いてほしいって願ってしまいます」


 


沈黙。


 


ジークは、

何も言わなかった。


 


言えなかった。


 


夕焼けだけが、

静かに二人を染めている。


 


やがて。


 


ミレイユは、

ふっと笑った。


 


けれどその笑顔は。


 


少しだけ、

無理をしていた。


 


「……なーんて」


 


明るく言う。


 


「忘れてください」


 


そう言って笑うのに。


 


声だけが、

少し震えていた。

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