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辺境の春は土の匂い

春――


 


長い冬が終わり。


 


辺境の空気は、

少しずつ柔らかさを取り戻していた。


 


雪解け水が、

大地へ染み込んでいく。


 


牛舎の牛たちも、

どこか嬉しそうだった。


 


そんなある朝。


 


公爵邸の厨房では、

妙な空気が流れていた。


 


料理長が、

深刻そうな顔で腕を組んでいる。


 


「……減っているんです」


 


向かいに座るクロヴィスが、

書類から目を上げた。


 


「何がだ」


 


「ミレイユ様のお食事です」


 


クロヴィスの眉が、

わずかに動く。


 


料理長は、

困ったように続けた。


 


「最近、

まともに食事を召し上がらないのです」


 


「その代わり」


 


一拍置く。


 


「さつまいもや野菜を、

部屋へ持ち帰っておられます」


 


沈黙。


 


クロヴィスは、

静かに書類を閉じた。


 


嫌な予感しかしなかった。


 


あの王女が、

静かにしている時ほど危険だ。


 


料理長が、

恐る恐る聞く。


 


「……何かご存知で?」


 


クロヴィスは、

深くため息を吐いた。


 


「いや」


 


低い声。


 


「だが、

どうせまた何か企んでいる」


 


確信に近かった。


 


料理長が、

なんとも言えない顔になる。


 


クロヴィスは、

こめかみを押さえた。


 


最初は、

ただの厄介な子供だと思っていた。


 


理想ばかり語る、

世間知らずの王女。


 


だが今は違う。


 


気づけば。


 


“今度は何をする気だ”

ではなく。


 


“今度は何を見せる気だ”

と思ってしまっている。


 


クロヴィスは、

小さく鼻を鳴らした。


 


「……随分と、

毒されたものだな」


 


誰に聞かせるでもない呟きだった。


 


 


その頃――


 


畑では。


 


ざくっ。


 


ざくっ。


 


土を耕す音が響いていた。


 


ミレイユが、

全力で鍬を振っている。


 


春の陽射しを浴びながら。


 


泥だらけで。


 


めちゃくちゃ楽しそうに。


 


そこへ、

木剣を背負ったジークが現れた。


 


「……何をしているんですか」


 


ミレイユが、

ぱっと顔を上げる。


 


「畑よ!」


 


元気いっぱいだった。


 


ジークは、

遠い目をした。


 


「今日、

僕は剣術の稽古なんです」


 


「奇遇ね!」


 


ミレイユが、

にっこり笑う。


 


「わたくしもお勉強よ?」


 


「じゃあ何故、

畑を耕しているんですか」


 


すると。


 


ミレイユは、

真顔になった。


 


そして。


 


当然みたいに言った。


 


「そこに畑があるからよ」


 


ジークが、

盛大にため息を吐く。


 


意味がわからない。


 


ミレイユは、

ずんずん土を耕していく。


 


「春は忙しいのよ〜」


 


「土づくりもありますし、

苗の準備もありますし」


 


「あと今年は試験的に

連作障害対策も――」


 


「待ってください」


 


ジークが、

頭を押さえた。


 


「本当に、

何者なんですかあなた」


 


ミレイユは、

ふふんっと胸を張る。


 


「隠し子です!」


 


「いや。王女でしょう」


 


「表向きは」


 


「裏があるみたいに言わないでください」


 


ジークは、

またため息を吐く。


 


そして。


 


ふと、

ミレイユを見る。


 


「……それより」


 


灰色の瞳が、

じっと細められる。


 


「また何かしました?」


 


ミレイユの動きが、

ぴたりと止まった。


 


「……なんのことかしら?」


 


露骨だった。


 


ジークが、

じっと見つめる。


 


「今朝、

お父様が怪訝な顔をされていたので」


 


ミレイユが、

ぱちぱちと瞬きをする。


 


それから。


 


首を傾げた。


 


「いつもじゃない?」


 


「違います」


 


即答だった。


 


ジークは、

真顔で言う。


 


「あれは

“ミレイユ様が何かした顔”です」


 


ミレイユが、

むっと頬を膨らませる。


 


「失礼ね!!」


 


「事実です」


 


「まだ何もしてません!!」


 


「“まだ”って言いましたね」


 


ミレイユが、

はっと口を押さえる。


 


ジークが、

じとっと見る。


 


沈黙。


 


そして次の瞬間。


 


ミレイユは、

勢いよく話を逸らした。


 


「春って素敵ね!!」


 


「逃げないでください」


 


「土が柔らかいわ!!」


 


「絶対何か企んでるじゃないですか」


 


だが。


 


そんな言い合いをしながら。


 


ジークはミレイユの横に行き畑を耕していた。


 


春風が吹く。


 


鳥が鳴く。


 


雪を越えた辺境の村には、

少しずつ笑い声が増えていた。


 


そしてその中心には、

いつも泥だらけの小さな王女がいた。

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