その冬、誰も死ななかった
冬の辺境は、
容赦がなかった。
吹雪。
吹雪。
また吹雪。
空は灰色に閉ざされ、
雪が世界を呑み込んでいく。
風の音が、
まるで獣の唸り声みたいだった。
窓の外では、
白い嵐が荒れ狂っている。
その光景を見ながら。
ミレイユは、
小さくため息を吐いた。
「……長いわね」
ぽつり、と零れる。
辺境へ来てから、
初めてだった。
ここまで何もできないのは。
村へ行くことも。
牛舎へ向かうことも。
外へ出ることすら危険。
そんなミレイユの背後で。
ぱたん、と本が置かれる音がした。
「現実逃避は終わりましたか?」
アンネだった。
机には、
分厚い本が積まれている。
歴史。
地理。
政治。
貴族学。
完全に勉強タイムだった。
ミレイユが、
むすっと頬を膨らませる。
「村のみんなが心配なんです」
アンネは、
静かに毛布を掛け直した。
「だからこそです」
落ち着いた声。
「今、殿下が倒れれば、
皆が困ります」
ミレイユが、
少しだけ黙る。
アンネは、
そっと窓の外を見た。
「信じましょう」
白い雪景色を見つめながら、
静かに言う。
「殿下が準備してきたものを」
ミレイユは、
小さく目を見開いた。
芋穴。
土中サイロ。
深沓。
干し肉。
干し葡萄。
牛衣。
全部。
“冬を越えるため”に、
積み重ねてきた。
ミレイユは、
ぎゅっと膝を抱える。
「……そうね」
小さな声だった。
そして。
吹雪は、
十日続いた。
やがて――
空が晴れた。
久しぶりの陽光が、
白銀の世界へ降り注ぐ。
ミレイユは、
ほとんど飛び出す勢いで屋敷を出た。
その後ろを、
ジークが追う。
「走ると滑ります!」
「滑ったら受け止めてください!」
「無茶苦茶言いますね!?」
雪を踏みしめながら、
二人は牛舎へ向かう。
扉を開けた瞬間。
温かな空気が、
ふわっと流れてきた。
「おぉ!」
バルが、
顔を上げる。
「お前さんか!」
ミレイユが、
息を切らしながら駆け寄った。
「牛さん達、大丈夫でした!?」
バルは、
にやりと笑う。
「あぁ!」
そして。
牛舎の奥から、
元気な鳴き声が響いた。
「モォ〜!!」
ミレイユの顔が、
ぱあっと明るくなる。
「よかったぁ……!!」
その場へ、
へなへなと座り込みそうになる。
牛たちは、
元気に餌を食べていた。
牛衣を着たまま。
もこもこだった。
ジークが、
思わず吹き出す。
「……なんだか、
以前より丸いですね」
「冬仕様です!」
ミレイユが、
得意げに胸を張る。
その後。
二人は、
村へ向かった。
雪はまだ深い。
だが。
村には、
煙が上がっていた。
人の声がする。
子供達が、
走っている。
その光景を見た瞬間。
ミレイユの目が、
大きく見開かれた。
生きてる。
皆、
ちゃんと生きてる。
その時だった。
「あっ!」
家から飛び出してきた老婆が、
ミレイユを見つける。
「ミレイユちゃん!!」
次々と、
村人達が顔を出した。
「この寒さなのに耐えられたよ!」
「芋穴のおかげだ!」
「野菜が腐らなかった!」
「子供達に腹いっぱい食べさせられた!」
口々に、
声が飛ぶ。
ミレイユは、
ぽかんと立ち尽くしていた。
やがて。
ゆっくり。
ゆっくりと。
その顔へ、
笑顔が広がっていく。
「……っ」
涙が、
滲んだ。
ジークが、
隣で小さく笑う。
その横顔は、
どこか誇らしそうだった。
そして――
春が来た。
雪解け水が、
大地を潤していく。
茶色だった畑から、
少しずつ緑が顔を出し始める。
柔らかな風が、
村を吹き抜けた。
その日。
村人達は、
静かに空を見上げていた。
長い冬が、
終わったのだ。
ぽつり、と。
老人が呟く。
「……今年は」
しゃがれた声。
けれど。
どこか信じられないように。
「死者がいなかったな」
その瞬間。
空気が、
静かに止まった。
誰かが、
目を見開く。
女が、
口元を押さえる。
辺境では。
冬に人が死ぬのは、
当たり前だった。
寒さで。
飢えで。
病で。
毎年、
誰かが消えていた。
けれど今年は。
誰も死ななかった。
子供達が笑っている。
牛たちが生きている。
皆、
春を迎えられた。
その中心で。
ミレイユは、
静かに立っていた。
春風が、
金色の髪を揺らしていく。
陽の光を浴びながら。
小さな王女は、
ゆっくり笑った。
その姿はまるで――
長い冬を終わらせる、
春そのものみたいだった。




