地下牢の沈黙
処刑は、即座に中止となった。
王女自らの命令。
逆らえる者など、誰もいなかった。
だが――
「姫様!!」
ミレイユの視界が、大きく揺れる。
腹部から流れ続ける血。
無理に動いたせいで、
傷口は完全に開いていた。
「医者を呼べ!!」
「止血を急げ!!」
誰かの声が遠ざかっていく。
最後に見えたのは。
処刑台の上で、
目を見開くあの女の姿だった。
目を覚ましたのは――三日後だった。
「絶対安静です!!」
医師に泣きそうな顔で怒鳴られた。
それはそうだ。
腹を刺された直後に、
血を撒き散らしながら処刑場まで走ったのだから。
むしろ生きていた方が奇跡らしい。
「……」
ぼんやりと天井を見上げる。
薬草の匂い。
静かな部屋。
柔らかな天蓋。
なのに。
頭に浮かぶのは、
あの女の叫び声ばかりだった。
『どうして貴族だけ豪華な食事があるのよ』
胸が痛む。
目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは、
前世の記憶。
朝焼け前の牛舎。
泥だらけの長靴。
手のひらに残る土の感触。
『今年も頑張るべ』
笑っていた農家たち。
台風で畑が潰れても、
泣きながら笑っていた大人たち。
――命を繋ぐって、
綺麗なことじゃなかった。
あれから――一ヶ月が経っていた。
傷は塞がり、
ようやく歩けるようになった。
だが、
ミレイユの中で何かは、
まだずっと疼き続けていた。
だから。
彼女に、会いに来た。
王城地下牢。
湿った空気。
冷たい石壁。
薄暗い通路。
湿った藁と、
鉄錆の匂いが鼻を刺す。
思わず、
ミレイユは小さく息を呑んだ。
こんな場所に、
人が閉じ込められている。
それすら、
以前の自分は考えたこともなかった。
鉄格子の向こう側。
そこに、
彼女はいた。
メイド服はボロボロで、
頬は痩せている。
それでも、
ミレイユを見ることすらしなかった。
「……」
沈黙。
ミレイユは鉄格子の前に立つ。
「体調は……」
返事はない。
「食事はちゃんと――」
沈黙。
視線すら向けられない。
まるで、
存在そのものを拒絶されているみたいだった。
騎士が舌打ちする。
「貴様、姫様に向かってなんだその態度は!!」
怒声が地下牢に響く。
騎士が剣に手をかけた瞬間。
「やめてください」
ミレイユの声が、それを止めた。
騎士が驚いたように振り返る。
ミレイユは、
静かに鉄格子を見つめたまま続けた。
「私は……ただ、彼女の話が聞きたかっただけです」
返事はない。
それでもミレイユは、
責めるようなことは言わなかった。
「話したくない気分の時も……あるでしょう」
沈黙だけが返ってくる。
地下牢に落ちる水滴の音だけが、
やけに大きく響いていた。
ミレイユは、
小さく息を吐いた。
そして。
「また来ます」
そう言って、
地下牢を後にする。
その背中へ。
かすかに。
女の指先が、
ぴくりと動いた。
だが、
ミレイユは気づかない。
暗い通路を歩きながら、
ミレイユはぎゅっと拳を握る。
……当然だ。
昨日までの私は、
民を人だとも思っていなかった。
そんな王女を、
簡単に信じられるわけがない。
でも。
それでも私は。
知らなければならない。
この国のことを。
飢えのことを。
そして――
命を繋ぐということを。




