辺境の子
それから、
数ヶ月が経った――
辺境の朝は早い。
まだ空が薄暗いうちから、
牛舎には明かりが灯る。
藁の匂い。
温かな吐息。
牛たちの低い鳴き声。
そんな中。
「バルじいちゃん!
牛舎の掃除終わったよー!」
元気な声が響いた。
牛舎の奥で、
干し草を運んでいた老人――バルが振り返る。
「おぉー」
ぶっきらぼうな返事。
だが。
その声には、
もう最初の棘はなかった。
ミレイユは、
汗を拭いながら笑う。
作業服は、
もう完全に板についていた。
最初はぶかぶかだった長靴も、
今では泥だらけが当たり前。
頬には、
うっすら土までついている。
王女らしさなど、
どこにもなかった。
そして実際。
この村で、
ミレイユが王女だと知る者はほとんどいなかった。
知られているのは、
“公爵家に預けられた子供”
ということだけ。
いつしか村では、
こんな噂まで流れていた。
――バンディア公爵の隠し子らしい。
しかも。
「銀髪じゃないから愛人の子だろ」
「でも旦那様、顔だけはいいからなぁ」
「確かにミレイユちゃん可愛いしねぇ」
好き放題言われていた。
ちなみに。
クロヴィス本人は、
それを聞いて盛大に顔をしかめた。
ミレイユはというと――
「隠し子?」
きょとん。
「なんだか秘密組織みたいで格好いいですね!」
全然否定しなかった。
そのせいで、
噂はさらに加速した。
今ではもう、
村中の人間が普通に信じている。
そして。
ミレイユは、
村の人々から異常なほど可愛がられていた。
理由は単純。
毎日いるからだ。
朝は牛舎。
昼は畑。
夕方は搾乳。
空いた時間には、
子供達と走り回る。
気づけば、
完全に村の一員になっていた。
「ミレイユちゃん!
今日はどうするんだい?」
井戸端で野菜を洗っていたおばちゃんが、
笑いながら声をかける。
ミレイユは、
背負っていた籠を持ち直した。
「夕方の搾乳まで時間あるので!」
にこっ。
「ドークさんの畑の雑草取りを手伝う予定です!」
すると周囲から、
「あらまぁ」と笑い声が漏れる。
「いつもありがとねぇ」
「本当に働き者だわ」
「バル爺さん、
気難しいでしょうに」
その瞬間。
ミレイユが、
ぱちぱちと瞬きをした。
「え?」
不思議そうに首を傾げる。
「優しいですよ?」
沈黙。
おばちゃん達が、
顔を見合わせた。
いや。
優しくはない。
バルは村でも有名な頑固爺だ。
口は悪いし。
怒鳴るし。
子供なんて基本追い返す。
なのに。
ミレイユだけは、
毎日牛舎へいる。
おばちゃんの一人が、
思わず吹き出した。
「あははっ!
そりゃあんたにだけだよ!」
ミレイユが、
きょとんとする。
すると。
背後から、
低い怒鳴り声が飛んだ。
「おい餓鬼ぃ!!」
ミレイユが、
びくっと肩を揺らす。
牛舎の方から、
バルが睨んでいた。
「喋ってねぇで動け!!
干し草運ぶぞ!!」
「はーい!!」
ミレイユは、
ぱっと駆け出した。
その後ろ姿を見ながら、
おばちゃん達が笑う。
「ほんと懐かれてるねぇ」
「バル爺さんが、
あんな顔するなんてねぇ」
「まるで孫じゃない」
陽だまりみたいな笑い声が、
村へ広がっていく。
その中心で。
ミレイユだけが、
今日も泥だらけになって笑っていた。




