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辺境の朝

翌朝――



小鳥のさえずりで、

ミレイユは目を覚ました。


 


薄く開いた窓の向こう。


 


空は、

淡い桃色へ染まり始めている。


 


辺境の朝だった。


 


ミレイユは、

ぱちりと目を開ける。


 


次の瞬間。


 


勢いよく、

ベランダの窓を開け放った。


 


ひやり、と冷たい空気が流れ込む。


 


草の匂い。


 


湿った土の匂い。


 


朝露を含んだ、

生きた空気。


 


その瞬間。


 


ミレイユの顔が、

ぱあっと輝いた。


 


「はぁぁぁ……!!」


 


思い切り、

胸いっぱいに吸い込む。


 


「最高……!!」


 


王城では絶対に嗅げなかった匂いだった。


 


生きている土の匂い。


 


植物の匂い。


 


家畜の匂い。


 


全部混ざっている。


 


ミレイユは、

満面の笑みになった。


 


「辺境、最高じゃない……!」


 


数十分後。


 


身支度を終えたミレイユは、

廊下を軽やかに歩いていた。


 


すれ違う侍女たちへ、

にこにこと挨拶する。


 


「おはようございます!」


 


侍女たちが、

びくりと肩を揺らした。


 


「お、おはようございます……」


 


「今日はとても良い朝ですね!」


 


「え……?」


 


ミレイユは、

窓の外を見ながら笑う。


 


「空気が美味しいです!」


 


侍女たちは、

困惑した顔で互いを見た。


 


……王女様だよな?


 


しかも昨日来たばかりだよな?


 


なぜこんなに元気なんだ。


 


ミレイユは、

そのまま外へ飛び出した。


 


朝露に濡れた草が、

陽の光を反射してきらきら光っている。


 


畑には、

小さな芽。

風に揺れる葉。


 


ミレイユは、

しゃがみ込む。


 


「綺麗ねぇ……」


 


そっと葉へ触れる。


 


「大きくなるのよ」


 


優しく、

話しかけるみたいに笑った。


 


そのまま、てくてく歩く。


 


途中ですれ違った使用人へも、

元気よく挨拶した。


 


「おはようございます!」


 


「……お、おはようございます?」


 


「あら?嬢ちゃん、どこの子だい?」


 


畑仕事をしていた老婆が、思わず聞き返す。


 


ミレイユは、

きょとんと瞬きをした。


 


それから、

にっこり笑う。


 


「ミレイユです!」


 


元気いっぱいだった。


 


数分後。


 


ミレイユの足は、

自然と牛舎へ向かっていた。


 


乾いた藁の匂い。


 


温かな体温。


 


牛たちの低い鳴き声。


 


懐かしい。


 


ミレイユは、

そっと牛舎を覗き込んだ。


 


そこには。


 


一人の老人がいた。


 


大きな木桶を横へ置き、

黙々と牛の乳を搾っている。


 


無駄のない手つき。


 


慣れている。


 


ミレイユは、

しばらく無言で見つめていた。


 


すると。


 


老人が、

ちらりとこちらを見る。


 


「……なんだ、餓鬼」


 


低い声。


 


ミレイユは、

ぺこりと頭を下げた。


 


「おはようございます!」


 


「何しに来た」


 


「見ています」


 


「見てたって面白くねぇぞ」


 


老人は、

ぶっきらぼうに吐き捨てる。


 


「さっさと家に帰れ」


 


だが。


 


ミレイユは、

牛をじーっと見つめていた。


 


つやつやの毛並み。


 


健康そうな身体。


 


餌も悪くない。


 


「……あの」


 


「ん?」


 


「搾乳、手伝わせてくれませんか?」


 


老人の動きが止まる。


 


「はぁ?」


 


完全に嫌そうな顔だった。


 


「怪我しても知らねぇぞ」


 


「服も汚れる」


 


「牛に蹴られたら骨折れる」


 


だが。


 


ミレイユは、

もう聞いていなかった。


 


牛へ、

とことこと近づく。


 


「おはようございます」


 


ぺこり。


 


牛へ挨拶した。


 


老人が、

眉をひそめる。


 


ミレイユは、

そっと牛の身体を撫でる。


 


「この子、毛並み綺麗ですね」


 


「餌ちゃんと食べてる」


 


それから。


 


慣れた手つきで、

腰を落とした。


 


老人の目が、

ぴくりと動く。


 


ミレイユは、

何でもないことのように乳を搾り始めた。


 


とくとくとく――


 


白い乳が、

桶へ落ちる。


 


老人が、

完全に固まった。


 


……慣れてる。


 


しかも、

無駄がない。


 


ミレイユは、

楽しそうに笑った。


 


(前世では機械搾乳が当たり前だったけど、手搾りも好きなのよね)


 


「手搾りだと牛さんの体調わかりやすいのでいいですよね」


 


老人の眉間に、深い皺が寄る。


 


……なに言ってんだこの嬢ちゃん。


 


だがミレイユは止まらない。


 


「乳房熱持ってないですね」


 


「餌も悪くない」


 


「あと水綺麗です」


 


「素敵〜」


 


完全に、

酪農家のテンションだった。


 


老人は、

思わずミレイユの手元を見る。


 


搾乳速度。


 


指の使い方。


 


牛の触り方。


 


どれも、

初心者じゃない。


 


「お前……何者だ」


 


ぽつりと零れた声。


 


するとミレイユは、

にこっと笑った。


 


「ただの子供です!」


 


元気いっぱいだった。


 


老人が、

なんとも言えない顔になる。


 


意味がわからねぇ。


 


やがて。


 


搾乳を終えた牛たちが、

ゆっくり放牧へ出されていく。


 


朝日を浴びながら、

のんびり歩く牛たち。


 


ミレイユは、

その後ろ姿を嬉しそうに見送っていた。


 


その時だった。


 


「――ミレイユ殿下!!」


 


鋭い声が飛ぶ。


 


ミレイユが、

びくっと肩を揺らした。


 


牛舎の入り口。


 


そこには、

額へ青筋を浮かべたアンネが立っていた。


 


「何をなさっているのですか!!」


 


ミレイユが、

そっと目を逸らす。


 


「……散歩?」


 


「疑問形で返さないでください!!」


 


牛舎へ、

アンネの声が響き渡る。


 


「侍女総出で探していたのですよ!?」


 


「すみません……」


 


全然反省してなさそうだった。


 


アンネは、

ミレイユの泥だらけのスカートを見て絶句する。


 


「その格好で外へ……!」


 


ミレイユは、

えへへ、と笑った。


 


「牛さん可愛かったです」


 


「そういう問題ではありません!!」


 


怒られながら、

ずるずる引っ張られていく。


 


それでもミレイユは、

牛舎の方を振り返った。


 


「また明日来ますねー!」


 


老人が、

ぽかんと口を開ける。


 


朝日が差し込む牛舎の中。


 


しばらくの沈黙の後――


 


老人は、

ぽつりと呟いた。


 


「……なんだあの嬢ちゃん」

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