辺境の地
辺境の地へ到着したのは、
昼下がりだった。
馬車の窓から見えた景色に、
ミレイユは小さく瞬きをする。
広がっていたのは、
乾いた荒野ではなかった。
風に揺れる畑。
ゆっくり草を食む牛たち。
水路まで整備されている。
「……豊か」
思わず、
小さく呟く。
辺境。
もっと荒れた土地を、
想像していた。
だが実際は違う。
人が生きるために、
丁寧に守られ続けた土地だった。
やがて。
馬車がゆっくり止まる。
その先に聳え立っていたのは――
巨大な石造建築だった。
重厚な外壁。
高くそびえる塔。
まるで要塞のような、
威圧感。
「……こんな辺境に、
公爵邸?」
ミレイユが、
思わず呟く。
するとレオンが静かに答えた。
「この地は、
国境防衛を担う要です」
「つまり、
最前線ということですね」
ミレイユの声に、
レオンは少し目を見開いた。
六歳の王女が、
即座にそこへ辿り着くとは思わなかった。
馬車の扉が開く。
外には、
一列に並ぶ使用人たち。
空気が張り詰める。
そして。
その中央に立っていた男が、
静かに頭を下げた。
銀灰色の髪。
鋭い灰色の瞳。
一切の隙がない。
纏う空気は、
まるで剣そのものだった。
「現当主、
クロヴィス・バンディアです」
低く、
重い声。
「よくぞ、
この辺境の地へお越しくださいました」
その隣へ。
同じ銀髪の少年が、
静かに並ぶ。
真っ直ぐな背筋。
感情を見せない灰色の瞳。
まだ幼いのに、
騎士のようだった。
「息子の、
ジーク・バンディアです」
少年が、
丁寧に頭を下げる。
「お初にお目にかかります、
ミレイユ殿下」
完璧な礼儀。
ミレイユは、
ぱちぱちと瞬きをした。
……硬い。
すごく硬い。
けれど。
嫌な感じはしなかった。
ミレイユは、
スカートを摘む。
「ミレイユ・ヴェルディアです」
小さく、
微笑んだ。
「本日から、
よろしくお願いいたします」
その瞬間。
使用人たちの空気が、
わずかに揺れた。
王族なのに。
驚くほど、
柔らかい。
やがて、
屋敷へ案内される。
その途中。
ミレイユは、
ふと足を止めた。
振り返る。
そこには、
数日間旅を共にした騎士たち。
皆、
どこか寂しそうな顔をしていた。
ミレイユは、
ふわりと笑う。
「皆さん」
優しい声。
「この旅で、
たくさんのことを教えてくださって、
ありがとうございました」
騎士たちが、
静かに顔を上げる。
ミレイユは、
真っ直ぐ彼らを見た。
「次にお会いする時は」
金色の瞳が、
柔らかく細められる。
「もっと成長した皆さんと、
お話できるのを楽しみにしていますね」
その瞬間。
騎士たちの胸が、
熱くなった。
レオンは、
思わず目を伏せる。
……敵わない。
この王女は。
自然と、
人の心へ入ってくる。
やがて。
ミレイユは、
侍女に案内され屋敷の奥へ進む。
長い廊下。
高い天井。
磨き上げられた床。
そして辿り着いたのは――
三階にある、
広い一室だった。
大きな窓。
柔らかなソファ。
王城にも劣らない、
立派な部屋。
「こちらが、
ミレイユ殿下のお部屋になります」
侍女が、
丁寧に頭を下げる。
扉が閉まり。
部屋に静寂が落ちた。
ミレイユは、
そっとソファへ腰掛ける。
その瞬間。
こんこん、と扉が鳴った。
「失礼いたします」
入ってきたのは。
黒髪の女性だった。
長い髪。
涼やかな目元。
落ち着いた所作。
美しい人だ、とミレイユは思った。
女性は、
丁寧に膝を折る。
「本日より、
貴方様専属侍女として仕えます」
静かな声。
「アンネ・ルーベリアと申します」
ミレイユは、
ぱっと表情を明るくした。
「初めまして、アンネ」
にこりと笑う。
「わたくしは、
ミレイユ・ヴェルディアです」
アンネが、
ほんの少しだけ目を見開く。
王族が、
わざわざ名乗り返した。
その意味を、
彼女は知っていた。
ミレイユは、
大きな窓の外を見る。
畑。
牛舎。
広い空。
王城とは、
何もかも違う世界。
けれど。
不思議と、
胸は高鳴っていた。
ここから。
わたくしの十年が、
始まるのだ。




