王女は川で魚を釣る
馬車が止まったのは、
昼を少し過ぎた頃だった。
街道脇。
乾いた草原の中。
騎士たちが、
手慣れた様子で周囲を確認し始める。
「十分ほど休憩を取ります」
隊長格の騎士が、
馬車へ向かって頭を下げた。
「食事もこちらで」
やがて。
ミレイユの前へ、
白い布が敷かれる。
その上に並べられたのは。
柔らかな白パン。
瑞々しい果物。
そして、
小さな焼き菓子。
王族用の食事だった。
ミレイユは、
それをじっと見つめる。
そして。
周囲で食事を始めた騎士たちへ、
視線を向けた。
そこにあったのは。
黒く硬いパン。
干し肉。
それだけだった。
ミレイユが、
ぱちぱちと瞬きをする。
「……あなた達は、それを食べるんですか?」
騎士たちの動きが止まる。
隊長が、
少し困ったように答えた。
「遠征中は、このような食事になります」
ミレイユは、
じっと硬いパンを見つめた。
石みたいだった。
これでは、
顎が疲れてしまいそうだ。
すると次の瞬間。
「一緒に食べませんか?」
その場が、
静まり返った。
騎士たちが、
一斉に顔を上げる。
隊長が眉を寄せた。
「いえ、そのようなことは――」
「どうしてです?」
ミレイユは、
本当に不思議そうだった。
「同じ貴族同士ではありませんか」
騎士たちが、
言葉を失う。
“同じ貴族”。
そんな風に言われたことなど、
ほとんどなかった。
隊長が、
困ったように息を吐く。
「我々は下級貴族ですので」
「?」
ミレイユは、
首を傾げた。
「貴族に上も下もあるんですか?」
騎士たちが、
完全に黙り込む。
しばらくの押し問答の末。
隊長は、
諦めたように硬いパンを差し出した。
ミレイユは、
それを受け取る。
かちかちだった。
思わず、
こんこんと指で叩く。
「……硬いですね」
騎士たちが、
なんとも言えない顔になる。
するとミレイユは、
ふと荷物の方を見た。
「この中にミルクはありますか?」
「え?」
隊長が瞬きをする。
「ありますが……」
「出してください」
「ですが、姫様――」
ミレイユは、
にこりと笑った。
「わたくし、今飲みたいのです」
その笑顔に。
騎士たちは、
「わがままだ」と悟った。
やはり子供だ。
そう思った。
だが。
ミレイユは、
次に鍋を要求した。
さらに。
「そのパンもください」
騎士たちがざわつく。
「これは我々の食事ですので――」
「私は姫です」
にこり。
圧が強かった。
隊長が、
静かに目を閉じる。
「……お渡ししろ」
数分後。
街道脇で、
小さな鍋へ火がかけられていた。
騎士たちは、
困惑した顔で見守っている。
ミレイユは、
慣れた手つきでミルクを温め始めた。
そこへ、
硬いパンをちぎって入れる。
さらに、
果物を細かく刻んで放り込む。
甘い香りが、
ふわりと広がった。
騎士たちの鼻が、
ぴくりと動く。
ミレイユは、
木べらで鍋をくるくる混ぜながら笑った。
「硬いパンは、煮れば柔らかくなるんです」
ぐつぐつ。
白い湯気が立ち上る。
やがて。
「出来ました!」
満面の笑み。
差し出された木皿には、
温かなミルク煮が盛られていた。
柔らかくなったパン。
甘く煮えた果物。
漂う優しい匂い。
騎士たちは、
戸惑いながら顔を見合わせる。
「……食べてください」
ミレイユが、
にこにこと笑う。
隊長が、
恐る恐る口へ運んだ。
その瞬間。
「…………っ」
目が、
見開かれる。
柔らかい。
温かい。
甘い。
硬いだけだったパンが、
まるで別物になっていた。
冷え切っていた身体へ、
じんわり熱が広がっていく。
ミレイユは、
そんな騎士たちを見て笑った。
「それだけでは栄養が偏ります」
木べらを持ったまま、
得意げに胸を張る。
「いざという時、倒れちゃいますよ?」
騎士たちが、
思わず黙り込む。
遠征中。
食事は、
“腹を満たすだけ”だった。
温かいものなど、
滅多に食べない。
まして。
誰かが、
自分たちのために作ってくれることなど。
なかった。
若い騎士の一人が、
ぽつりと呟く。
「……うまい」
その声をきっかけに。
次々と、
騎士たちが食べ始める。
無言だった。
けれど。
皆、
夢中で匙を動かしていた。
その光景を見ながらミレイユだけが、
どこか嬉しそうに笑っていた。
ーーー
「さぁ!食べましたし、洗いますか!」
食事を終えたミレイユは、
ぱっと立ち上がった。
その視線の先には、
街道脇を流れる小さな川。
陽の光を受けて、
水面がきらきらと輝いている。
ミレイユは、
当然のように鍋へ手を伸ばした。
「――お待ちください!」
思わず、
レオンが声を上げる。
ミレイユが、
きょとんと振り返った。
「そのようなこと、我々がやります」
するとミレイユは、
本当に不思議そうに首を傾げる。
「どうしてです?」
金色の瞳が、
ぱちぱちと瞬いた。
「だって、わたくしも食べましたよ?」
あまりにも自然な返答だった。
騎士たちが、
言葉を失う。
ミレイユは、
そのまま鍋を抱えて川へ向かってしまった。
「わぁ……!」
川辺へしゃがみ込んだ瞬間、
ぱっと顔が輝く。
「綺麗です!」
冷たい水へ指先を入れる。
びくりと肩を揺らした。
「つめたっ」
その反応が、
年相応すぎて。
騎士たちは、
なんとも言えない顔になる。
だがミレイユは気にしない。
流れる水を、
興味深そうに覗き込む。
「このくらい透明度の高い川が流れているということは、水質が安定している可能性がありますね」
ごしごしと鍋を洗いながら、
真面目な顔で呟く。
「上流に腐敗したものや、大規模な汚染源も少ないはずです」
騎士たちが、
静かに顔を見合わせた。
……何を言っている?
レオンが、
思わず眉を寄せる。
王女なのに。
急に、
学者みたいなことを話し始めた。
しかも。
鍋を洗う手つきが、
妙に慣れている。
やがて。
ミレイユは、
洗い終えた鍋を脇へ置いた。
そして次の瞬間。
近くの大きな石を、
よいしょ、と持ち上げる。
騎士たちがざわつく。
「姫様!?何を――」
ミレイユは、
石の下をじーっと覗き込んでいた。
真剣な顔。
まるで、
宝探しでもしているみたいだった。
そして。
「いました!」
ぱっと笑う。
次の瞬間。
指先で、
何か小さな虫を摘み上げた。
騎士たちが、
固まる。
「……え?」
レオンの顔が引き攣る。
ミレイユは、
嬉しそうに虫を見せた。
「水生昆虫です!」
完全に目が輝いていた。
「この子がいるということは、お魚がいる可能性高いですよ!」
騎士たちが、
ついていけない顔をする。
だがミレイユは止まらない。
近くの木へ向かうと、
細い枝を一本折った。
さらに、
荷物から糸を取り出し始める。
レオンが、
恐る恐る聞く。
「……何をしているんですか」
するとミレイユは、
満面の笑みで振り返った。
「釣りです!」
元気いっぱいだった。
「今日の夕飯は、お魚なんて素敵ですよね!」
枝を掲げる。
「皆さんの分も釣りますよー!」
沈黙。
風だけが吹き抜ける。
騎士たちは、
完全に固まっていた。
誰一人、
言葉を発せない。
王女が。
第一王位継承者が。
川辺で虫を捕まえ、
釣竿を作っている。
しかも、
ものすごく楽しそうに。
レオンは、
呆然とミレイユを見る。
……なんなんだ、この人。
革命家みたいなことを言ったかと思えば。
次の瞬間には、
子供みたいに笑って魚を釣ろうとしている。
理解が追いつかない。
けれど。
不思議と。
目が離せなかった。




