行ってきます
出発の日――
王城・謁見の間は、
異様なほど静まり返っていた。
赤い絨毯。
巨大な柱。
豪奢なシャンデリア。
けれど今日だけは、
その煌びやかさすら冷たく見える。
広間の両脇には、
騎士や使用人たちが並んでいた。
誰一人、
口を開かない。
その中心で。
王妃だけが、
静かに涙を流していた。
「……ミレイユ」
震える声。
ミレイユは、
ゆっくり振り返る。
旅支度を終えた姿。
白いマント。
小さな革鞄。
まだ六歳の身体には、
あまりにも不釣り合いだった。
それでも。
その金色の瞳だけは、
少しも揺れていない。
ミレイユは、
そっと王妃へ微笑んだ。
「お母様」
その声は、
どこまでも穏やかだった。
「それでは、行って参ります」
王妃の肩が、
びくりと震える。
泣き崩れそうになるのを、
必死に堪えていた。
玉座の上では、
国王が静かにミレイユを見下ろしていた。
「……辺境で頭を冷やせ」
低い声が、
広間へ響く。
「その行き過ぎた思想を、改めることを願っている」
重たい沈黙。
けれど。
ミレイユは、
まっすぐ国王を見上げた。
「無理かもしれません」
ざわり――
空気が揺れる。
騎士たちが、
一斉に顔を上げた。
ミレイユは、
静かに続ける。
「私は、飢えた人を見ました」
脳裏に浮かぶ。
干上がった畑。
崩れた家。
骨の浮いた子供。
「泣きながら、“助けて”とも言えない人たちを見ました」
王妃が、
ぎゅっと胸元を押さえる。
ミレイユは、
小さな拳を握った。
「だから」
金色の瞳が、
真っ直ぐ王を射抜く。
「私は、変わりません」
広間が、
静まり返る。
六歳の少女とは思えなかった。
まるで。
何百もの命を背負って、
そこへ立っているみたいだった。
やがてミレイユは、
静かに一礼する。
そして。
扉へ向かいかけた、その時だった。
「――待て」
国王の声。
ミレイユが、
足を止める。
国王は、
ゆっくり口を開いた。
「あの女のことだが」
空気が張り詰める。
「まだ処刑はしていない」
ミレイユは、
静かに振り返った。
「処刑しないでくださいね」
その一言に、
広間の空気が凍る。
騎士たちの顔色が変わった。
王へ向かって。
追放される身でありながら。
まだ、
庶民の命を案じるのか。
国王の眉が、
ぴくりと動く。
「価値のない者を、生かす理由はない」
冷たい声だった。
だが。
ミレイユは、
一歩も引かなかった。
「価値のない命などありません」
静かな声。
なのに。
誰よりも強かった。
「……っ」
騎士の一人が、
思わず息を呑む。
ミレイユは、
真っ直ぐ国王を見据える。
「彼女は、自分の命を懸けてまで現実を訴えました」
脳裏に焼き付いている。
床に落ちたパンを、
見つめていたあの目。
「だからこそ」
小さな手が、
ぎゅっと握られる。
「価値のある人です」
沈黙。
誰も、
言葉を発せなかった。
王を前に。
一切怯まず。
真っ直ぐ信念を貫くその姿は――
あまりにも眩しかった。
そしてミレイユは、
ふわりと笑った。
「では、行ってきます」
くるりと背を向ける。
赤い絨毯の上を、
小さな靴音が響く。
コツ。
コツ。
コツ――
その背中は、
まだ幼い。
なのに。
誰よりも、
大きく見えた。
その瞬間。
広間の端に立っていた若い騎士が、
無意識に拳を握り締めていた。
――この人が、
未来の王になるのかもしれない。
なぜか、
そんな予感がした。




