表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
115/119

それが王です。

「ルシアン様」


 


ミレイユが、

小さく笑った。


 


「面白いことを仰るのですね」


 


金色の瞳が細められる。


 


「もしわたくしなら」


 


「今こうして、

ルシアン様とお話しておりません」


 


「なるほど」


 


ルシアンは頷いた。


 


否定しない。


 


怒らない。


 


ただ。


 


静かに紅茶を置いた。


 


それだけで。


 


空気が変わる。


 


「確かに」


 


深緑の瞳が、

真っ直ぐミレイユを見る。


 


「貴方は強い」


 


「剣も」


 


「知識も」


 


「胆力も」


 


「同年代とは比較にならないでしょう」


 


ミレイユは黙る。


 


褒められている。


 


はずなのに。


 


嫌な予感しかしない。


 


そして案の定だった。


 


「ですが」


 


ルシアンは続ける。


 


「貴方は第一王女です」


 


静かな声。


 


重い声。


 


「王位継承権第一位」


 


「未来の王」


 


「この国の未来そのものです」


 


ミレイユの指先が、

僅かに動いた。


 


ルシアンは見逃さない。


 


「民を知ることは大切です」


 


「自分の目で見ることも大切です」


 


「報告書だけでは、

分からないこともあるでしょう」


 


そこまでは肯定する。


 


だから逃げられない。


 


「ですが」


 


再び。


 


その一言が落ちる。


 


「命を賭けるべきではない」


 


沈黙。


 


ミレイユが口を開く。


 


「ですが」


 


「現場を見なければ――」


 


「違います」


 


遮られた。


 


初めてだった。


 


ルシアンが。


 


ミレイユの言葉を遮った。


 


「貴方は勘違いをしています」


 


深緑の瞳が細められる。


 


「王の仕事は」


 


「全てを自分でやることではありません」


 


ミレイユが息を呑む。


 


ルシアンは続けた。


 


「見るべきです」


 


「知るべきです」


 


「学ぶべきです」


 


「ですが」


 


「地下牢へ一人で降りる必要はありません」


 


「人身売買組織と戦う必要もありません」


 


「誘拐される必要もありません」


 


優しい声だった。


 


だが。


 


一つ一つが重い。


 


「貴方が死ねば」


 


「教育改革も」


 


「備蓄政策も」


 


「識字事業も」


 


「全て止まります」


 


ミレイユが黙る。


 


ルシアンはさらに続けた。


 


「十人助けるために」


 


「百万人の未来を失う選択をしてはならない」


 


静寂。


 


部屋が静まり返る。


 


「それが」


 


「王です」


 


ミレイユは反論しようとした。


 


けれど。


 


言葉が出ない。


 


なぜなら。


 


ルシアンは一度も、


 


「行くな」


 


とは言っていないからだ。


 


「知るな」


 


とも。


 


「民を見るな」


 


とも言っていない。


 


むしろ。


 


全部肯定している。


 


その上で。


 


「死ぬな」


 


と言っている。


 


それだけだった。


 


ミレイユは、

ゆっくり視線を落とす。


 


ルシアンは静かに息を吐いた。


 


そして。


 


ほんの少しだけ。


 


困ったように笑う。


 


「殿下」


 


「はい」


 


「私は」


 


一拍。


 


「貴方が民を助けることに反対したことはありません」


 


「……」


 


「ですが」


 


深緑の瞳が、

真っ直ぐ向けられる。


 


「貴方まで助ける側から消えてしまっては困ります」


 


その言葉だけは。


 


政治でも。


 


論理でもなく。


 


少しだけ。


 


婚約者の声だった。






長い沈黙。


 


ミレイユは、

静かに紅茶を見つめた。


 


悔しい。


 


だが、反論はできない。


 


ルシアンは正しい。


 


だからこそ腹が立つ。


 


やがて。


 


ミレイユは顔を上げた。


 


「ルシアン様」


 


「はい」


 


「一つ伺っても?」


 


「どうぞ」


 


ミレイユは首を傾げる。


 


「もし」


 


「地下へ降りたのが私ではなく」


 


「普通の少女だったら」


 


ルシアンが黙る。


 


「その子供はどうなっていましたか?」


 


静かな声だった。


 


「売られていたでしょうね」


 


ルシアンは即答した。


 


迷いなく。


 


ミレイユは頷く。


 


「そうですね」


 


「私もそう思います」


 


そして。


 


金色の瞳が向けられる。


 


「では」


 


「誰が助けたのでしょう」


 


沈黙。


 


「騎士団?」


 


「普通あんな場所へ騎士は来ません」


 


「王城?」


 


「動く理由がありません」


 


「孤児院?」


 


「その孤児院が売っています」


 


静寂。


 


ミレイユは続ける。


 


「ルシアン様は正しいです」


 


「私は軽率でした」


 


「死ねば全て終わります」


 


「それも正しい」


 


小さく笑う。


 


「ですが」




「誰かが動かなければ」


 


「助からない人もいます」


 


ルシアンは黙って聞いていた。


 


「私は次期王です」


 


「だから生きます」


 


「ですが」


 


「民を見捨てることもしません」


 


金色の瞳が真っ直ぐ向けられる。


 


「ですので」


 


一拍。


 


「死なない方法を考えるのは」


 


「次期宰相であるルシアン様のお仕事では?」


 


沈黙。


 


部屋が静まり返る。


 


数秒。


 


数十秒。


 


やがて。


 


ふっ――


 


小さな笑い声が漏れた。


 


ミレイユが目を瞬く。


 


ルシアンが笑った。


 


本当に、

心の底から可笑しそうに。


 


「……参りました」


 


深緑の瞳が細められる。


 


「悔しいですが」


 


「その理屈は嫌いではありません」


 


ミレイユが少し得意げになる。


 


すると。


 


ルシアンは続けた。


 


「ならば尚更です」


 


「はい?」


 


「次期王と次期宰相は」


 


「手を組むべきではありませんか?」


 


ミレイユが首を傾げる。


 


ルシアンは静かに言った。


 


「貴方は現場を見る」


 


「私は情報を集める」


 


「貴方は民の声を聞く」


 


「私は制度を整える」


 


「貴方が前へ出るなら」


 


「私が後ろを固める」


 


その言葉には。


 


冗談も。


 


皮肉もなかった。


 


純粋な提案だった。


 


「知識を出し合いたいのです」


 


「この国を変えるために」


 


ミレイユが少し黙る。


 


ルシアンはそこで紅茶を口にした。


 


そして。


 


何でもないことのように言う。


 


「それに」


 


嫌な予感がした。


 


ミレイユは本能で察する。


 


今から何か来る。


 


「私としては」


 


「そろそろ婚約者らしい立場をいただきたいのですが」


 


沈黙。


 


ミレイユが固まる。


 


ルシアンは続けた。


 


「辺境公爵家嫡男から求婚され」


 


「王都では近衛騎士副団長と夫婦になられ」


 


「私は婚約者なのですが」


 


一拍。


 


「現在何番目でしょうか」


 


ミレイユの額に汗が浮かぶ。


 


まずい。


 


ものすごくまずい。


 


笑顔だった。


 


完璧な笑顔だった。


 


だが。




怒っている。


 


この人。


 


かなり怒っている。


 


「ジーク様の件は事故です」


 


「なるほど」


 


「レオン様の件も事故です」


 


「夫婦設定でしたね」


 


「そうです」




「王都で腕を組む事もですか?」


 


「それは……

夫婦設定なので……」


 


ミレイユの言葉が止まる。


 


ルシアンは紅茶を飲む。


 


優雅に。


 


実に優雅に。


 


「安心しました」


 


「……何がです?」


 


「いえ」


 


深緑の瞳が細められる。


 


「私だけが婚約者だと思っていたわけではないと分かりましたので」


 


沈黙。


 


痛い。


 


ものすごく痛い。


 


ルシアンは続ける。


 


「殿下」


 


「はい」


 


「私は」


 


一拍。


 


「貴方の理想に追いつくため努力してきました」


 


「……」


 


「貴方の隣に立てるよう勉強もしました」


 


「……」


 


「貴方が辺境を変えていた十年」


 


「私は王都で」


 


「貴方が帰ってくる日を待ちながら」


 


「この国を学んでいました」


 


沈黙。


 


ミレイユが目を見開く。


 


ルシアンは静かに笑う。


 


少しだけ寂しそうに。


 


「ですので」


 


「ジーク様にも」


 


「レオン様にも」


 


「負けるつもりはありません」


 


深緑の瞳が真っ直ぐ向けられる。


 


「ですが」


 


一拍。


 


「まずは婚約者として扱っていただきたいのです」


 


ミレイユが固まる。


 


完全に固まる。


 


ルシアンは肩を竦めた。


 


「婚約者なのに」


 


「求婚した方と競争し」


 


「夫婦役の方にも警戒しなければならない」


 


「流石に少々理不尽ではありませんか?」


 


初めてだった。


 


ルシアンが。


 


本当に少しだけ。


 


拗ねたのは。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ