職人街の新しい縁
その日――
再び、
木工店の扉が勢いよく開いた。
「リゼ!」
ぱぁっと明るい声。
店の奥で木材を削っていたリゼが、
うんざりした顔で振り返る。
「……なんで名前知ってるんだよ」
「わたくしの情報網舐めないでください!」
ミレイユは、
胸を張った。
完全に常連になっていた。
しかも厄介な方の。
「次の依頼です!」
「また!?」
リゼが、
思わず声を上げる。
前回の依頼が終わったばかりだ。
腕は痛い。
寝不足だ。
なのに。
目の前の赤髪女は、
今日も元気だった。
「えぇ!」
ミレイユは、
得意げに紙を広げる。
そこに描かれていたのは。
木枠。
そして、
並んだ丸い玉。
リゼが眉を寄せた。
「……なんだこれ」
「玉?」
「そろばんです!」
「そろ……?」
聞いたこともない単語だった。
ミレイユは、
目をきらきら輝かせる。
「これさえあれば、
計算がとても楽になります!」
「足し算引き算も早いですし、
数も覚えやすいんですよ!」
「子供でも使えます!」
完全に早口だった。
レオンが、
後ろで小さくため息を吐く。
始まった。
リゼは、
紙をじっと見つめる。
木で作ること自体は、
難しくない。
だが。
発想が意味不明だった。
「……あんた、
何者なんだよ」
ぽつりと零れた声。
すると。
ミレイユは、
にこりと笑った。
どこか悪戯っぽく。
「わたくしは」
そこで、
少しだけ顎を上げる。
赤髪が、
ふわりと揺れた。
「くせものです」
意地悪そうな笑顔だった。
リゼが、
ぽかんと口を開ける。
レオンは、
頭を抱えた。
「そこは普通、
商人とか研究家とか言いません?」
「つまらないでしょう?」
「問題発言の方が困るんですよ」
ミレイユは、
ふふっと笑った。
そして次の瞬間。
くるりと振り返る。
そのまま当然みたいに、
レオンの腕を掴んだ。
「では!」
ぐいっ――
「行きましょう!」
「……どこへ」
「王都デートです!」
レオンが、
真顔になる。
「しましたよね?」
「足りません」
即答だった。
「前回は市場しか見ていません」
「今日は職人街!」
「その次は下町にスラム街」
「さらに孤児院!」
「あと港!」
「やることが多すぎません?」
「デートですもの、当然でしょう?」
ミレイユは、
きらきらした目で言う。
その姿はもう、
王女というより冒険者だった。
リゼは、
ぽかんと二人を見ていた。
変な女。
無茶苦茶な依頼をしてくる。
なのに。
不思議と、
嫌じゃない。
ミレイユは、
店の入口で振り返った。
「リゼ!」
「……なんだよ」
「そろばん、
期待していますね!」
太陽みたいな笑顔。
そう言い残して。
ミレイユは、
再びレオンを引っ張っていく。
「ちょ、
引っ張らないでください」
「夫婦でしょう?」
「いやいやー
ここ店の中ですよ?」
「いいじゃない?夫婦円満」
騒がしい声が、
遠ざかっていく。
店の中へ、
静けさが戻った。
リゼは、
しばらく呆然と立ち尽くしていた。
やがて。
手元の紙へ視線を落とす。
描かれた、
奇妙な道具。
丸い玉。
木枠。
そして、
走り書きされた文字。
“子供でも使えます!”
リゼは、
小さく吹き出した。
「……なんだよ、
あいつ」
そう呟きながら。
気づけばもう、
木材を選び始めていた。
その時だった。
ふと、
リゼの手が止まる。
「……あ」
ぽつりと零れた声。
さっきまで騒がしかった店先は、
もう静かだった。
リゼは、
扉の向こうを見ながら眉を寄せる。
「そういや」
「あいつ、
名前なんだ?」
その瞬間。
ぴたり。
店の外で、
足音が止まった。
数秒後。
勢いよく扉が開く。
ばんっ――!
「聞きましたよ!」
「うわっ!?」
リゼが飛び上がる。
そこには、
満面の笑みのミレイユ。
「わたくし、
ミレイユです!」
なぜか得意げだった。
リゼは、
ぽかんと固まる。
その後ろでは、
レオンが死んだ目をしていた。
「……地獄耳かよ」
「聞こえたんです」
ミレイユは、
悪びれもなく言った。
そして。
ぱっと、
花が咲くみたいに笑う。
「これからもよろしくお願いしますね、
リゼ!」
その笑顔に。
リゼは、
一瞬だけ言葉を失った。
変な女だ。
うるさいし。
距離は近いし。
無茶苦茶だし。
でも。
不思議と、
嫌じゃない。
リゼは、
ふっと笑った。
「……よろしくな」
「ミレイユ」
「はい!」
返ってきた声は、
びっくりするほど嬉しそうだった。




