諦めなかった職人
王都の外れ――
人気の少ない路地。
古びた木の家の前で、
ミレイユは立ち止まった。
看板は、
半分剥げ落ちている。
窓ガラスには薄く埃。
だが。
軒先へ積まれた木材だけは、
雨避けが丁寧だった。
ミレイユが、
静かに扉を押す。
ぎぃ……
鈴も鳴らない。
店の中は、
ひどく静かだった。
木屑の匂い。
削りかけの木材。
壁に並ぶ工具跡。
そこには確かに、
“店だった面影”が残っていた。
「すみませーん」
返事はない。
ミレイユが、
もう一度声を上げる。
「すみませーん」
しばらくして。
奥の暗がりから、
足音がした。
現れたのは、
一人の若者だった。
茶髪。
目の下には濃い隈。
着古したシャツ。
細い腕。
だが。
袖から覗く前腕には、
硬く潰れた豆がいくつも並んでいた。
レオンが、
わずかに目を細める。
若者は、
気怠そうに壁へ寄りかかった。
「……なに?」
ぶっきらぼうな声。
男にも見える。
だが。
ミレイユは、
静かに口を開いた。
「こちら、
木工店と伺いました」
「依頼しに来ました」
若者が、
鼻で笑う。
「見りゃわかるだろ」
「店ならやってない」
「そうですか」
ミレイユは頷く。
そして。
「では、
依頼をお願いします」
沈黙。
若者が、
ゆっくり眉を寄せた。
「あんた、
話聞いてた?」
「やってないって言ったんだけど」
「聞きました」
ミレイユは、
にこりと笑う。
「その上で、
依頼しに来ました」
空気が止まる。
若者の眉間へ、
苛立ちが浮かんだ。
「親父が病気なんだよ」
「職人はもう動けねぇ」
「だから他当たれ」
だが。
ミレイユは、
一歩も引かなかった。
「わたくしは、
ここへ依頼しに来ました」
その瞬間。
若者が、
机を叩いた。
「しつけぇな!!」
怒声が、
店内へ響く。
「だから無理だって言ってんだろ!」
「誰もできる奴なんかいねぇよ!!」
息が荒い。
疲労。
苛立ち。
焦燥。
全部が、
滲んでいた。
だが。
ミレイユは、
静かだった。
「では」
一歩前へ出る。
「貴方がやってください」
「……は?」
「教材千枚分です」
若者の思考が止まる。
「はぁ!?」
「俺にできるかよ!!」
その瞬間。
ことり――
ミレイユが、
カウンターへ何かを置いた。
若者の目が、
見開かれる。
そこにあったのは。
数日前。
自分が売った、
工具一式だった。
大事に。
大事に使ってきた、
父の道具。
「……なんで、
それを」
掠れた声。
ミレイユは、
静かに答える。
「必要な材料はこちらで用意します」
「期間は三日」
「急ぎの依頼ですので、
報酬も弾みます」
そして。
まっすぐ、
若者を見る。
「どうですか?」
若者は、
唇を噛んだ。
視線が揺れる。
「……信用できない」
当然だった。
突然来た、
身なりのいい女。
大金。
大量依頼。
怪しすぎる。
だが。
ミレイユは、
静かに懐へ手を入れた。
そして。
どさり――
革袋を机へ置く。
重たい音。
じゃらりと、
硬貨が鳴った。
若者が、
息を呑む。
ミレイユは、
真剣な目で言った。
「これで、
信用していただけますか?」
その瞳は、
一切揺れていなかった。
まるで最初から。
“できる”と、
確信しているみたいに。
若者は、
言葉を失った。
店を出た後。
石畳を歩きながら、
レオンが低く言う。
「……殿下」
「はい?」
「父親は病気なのでしょう」
「誰が作るのですか」
「金を持ち逃げされて、
終わりです」
ミレイユは、
ふふっと笑った。
「そうでしょうか?」
「……妙に自信がありますね」
ミレイユは、
前を向いたまま答える。
「職人の手でしたから」
「……?」
「あの方」
「手に、
木屑が残っていました」
「指の豆も、
古いものだけではありません」
「最近できた傷もあった」
レオンが、
目を細める。
ミレイユは、
静かに続けた。
「それに」
「道具が売られていたのに、
店を閉めていなかった」
「木材も、
乾燥状態が維持されていました」
「つまり」
金色の瞳が、
細められる。
「諦めきれていないんです」
「まだ、
作っている」
レオンは、
小さく息を吐いた。
この人は。
本当に、
よく見ている。
そして――
三日後。
再び、
二人は木工店を訪れた。
扉を開けた瞬間。
ふわりと、
木の香りが広がる。
前よりも濃い。
生きた工房の匂いだった。
そして。
店内に並ぶ、
大量の木板。
文字が刻まれた教材。
積み上がる数。
千枚。
本当に、
作り切っていた。
レオンが、
目を見開く。
ミレイユは、
静かに教材を手に取った。
指でなぞる。
木肌は滑らか。
角も丁寧に落とされている。
文字は、
読みやすいよう深さまで揃っていた。
手を抜いた跡が、
一つもない。
ミレイユの瞳が、
ゆっくり細められる。
嬉しそうに。
本当に、
嬉しそうに。
「……最高です」
その声は、
心からのものだった。
店の奥。
若者が立っていた。
三日前より、
隈は濃い。
腕には細かな傷。
指先には、
新しい豆。
それでも。
その目だけは、
死んでいなかった。
「……どうだ?」
不安そうな声。
強がっているのに、
少し震えていた。
ミレイユは、
教材を抱きしめるみたいに持ちながら。
満面の笑みを浮かべた。
「素晴らしいです」
「文字の深さも均一」
「角処理も丁寧」
「怪我をしないよう、
全部磨かれています」
若者が、
目を見開く。
ミレイユは、
嬉しそうに続けた。
「貴方」
「本当に、
木工がお好きなのですね」
その瞬間。
若者の喉が、
ひくりと震えた。
誰も。
誰一人。
“自分が作った”ものを、
見てくれなかった。
父の代わり。
半端者。
女なのに。
できるわけがない。
ずっと、
そう言われてきた。
なのに。
目の前の少女だけは。
最初から。
自分の手を見ていた。
自分の豆を見ていた。
自分が、
諦めきれていないことを。
全部、
見抜いていた。
若者の目から。
ぽたりと、
涙が落ちた。
慌てて顔を逸らす。
「……っ、
うるせぇな」
掠れた声。
ミレイユは、
ただ優しく笑った。
「次の依頼も、
お願いできますか?」
その言葉に。
止まりかけていた店の時間が、
少しだけ動き出した。




