職人の道具
王都近郊――
古びた借家の一室。
薄暗い室内で。
アルフレッドとセシルは、
無言になっていた。
その視線の先。
そこには。
くるり――
赤髪の少女が、
嬉しそうに回っている。
「どうですか?」
満面の笑み。
いつもの豪奢なドレスではない。
白いブラウス。
動きやすいスカート。
少しくたびれた革靴。
どこにでもいる、
町娘の格好。
だが。
問題はそこではなかった。
「……殿下」
アルフレッドが、
遠い目をする。
「これ、
バレたらまた謹慎ですか?」
「いや」
セシルが真顔で首を振る。
「今度こそ首でしょう」
重たい沈黙。
だが。
当の本人は、
全く気にしていなかった。
「見てください!」
ミレイユは、
赤い髪を一房摘まむ。
「これ、
花で染めたんです」
「まぁ、
二日ほどで戻ってしまいますけど」
楽しそうだった。
本当に。
心の底から。
アルフレッドは、
頭を抱える。
「王女が、
その辺の町娘みたいな顔で笑わないでください……」
「失礼ですね」
ミレイユが頬を膨らませた。
「今日は町娘です」
「問題はそこじゃないんですよ」
セシルが、
死んだ目で呟く。
その時だった。
部屋の奥から、
低い声が響く。
「準備できました」
全員が振り向く。
そこにいたのは、
いつもの騎士服ではないレオンだった。
黒いシャツ。
長めの外套。
無駄に顔がいい。
アルフレッドが、
ぼそりと呟く。
「……なんで普通の格好の方が怖いんですかね」
「威圧感でしょうか」
「聞こえてますよ」
レオンは、
盛大にため息を吐いた。
すると。
ミレイユが、
ぱぁっと顔を輝かせる。
「まぁ!」
とてとてと駆け寄る。
そして。
当然みたいに、
レオンの腕へ自分の腕を絡めた。
アルフレッドとセシルの顔が死ぬ。
「ではあなた」
ミレイユが、
にこにこ笑う。
「王都へ行きましょう」
「まだその設定続いてるんですね……」
レオンの声は、
もう疲れ切っていた。
だが次の瞬間。
ミレイユが、
ふと思い出したように立ち止まる。
「……あ」
「どうしました」
ミレイユは、
真面目な顔で言った。
「指輪がありません」
空気が止まる。
アルフレッドが、
ゆっくり顔を覆った。
セシルが、
天を仰ぐ。
レオンだけが、
静かに息を吐いた。
そして。
無言のまま、
ポケットへ手を入れる。
取り出したのは、
細い銀の指輪だった。
装飾は少ない。
だが。
光を受けて、
静かに輝いている。
ミレイユが、
ぱちりと瞬きをした。
「……用意していたのですか?」
「夫婦設定なので」
即答だった。
「疑われると面倒です」
いつもの、
事務的な声。
だが。
レオンは、
ミレイユの前へ片膝をつく。
その瞬間。
アルフレッドとセシルが、
同時に固まった。
「手を」
低い声。
ミレイユが、
少しだけ目を丸くする。
けれど。
差し出された手へ、
そっと自分の手を重ねた。
レオンの指先は、
驚くほど丁寧だった。
壊れ物でも扱うみたいに。
細い指へ、
ゆっくり指輪を通していく。
かちり――
薬指へ収まった瞬間。
なぜか。
部屋が静かになった。
ミレイユは、
じっとその指輪を見る。
銀色の輪。
自分の薬指。
そして。
それを嵌めた男。
「……どうしました」
レオンが顔を上げる。
ミレイユは、
数秒遅れてはっとした。
「い、いえ」
珍しく、
少しだけ声が揺れる。
だが次の瞬間には、
いつもの笑顔へ戻った。
「完璧ですね!」
立ち上がる。
ぱっとレオンの腕を抱き寄せた。
「行きましょう、あなた!」
「その呼び方やめません?」
「嫌です」
即答だった。
アルフレッドは、
遠い目で呟く。
「……なんか、
普通にお似合いなの腹立ちますね」
「わかります」
セシルも頷いた。
そして――
王都。
石畳の大通り。
賑やかな市場。
焼きたてのパンの匂い。
果物を売る声。
笑い声。
その全てへ。
ミレイユは、
目を輝かせていた。
「見てください、あなた!」
「あれ、
揚げ菓子ですよ!」
「こっちは串焼きです!」
「わっ、
いい匂い……!」
完全に、
初めて祭りへ来た子供だった。
屋台を覗いてはしゃぎ。
買い食いをして。
目をきらきらさせる。
レオンは、
その姿を横目で見ながら。
ふっと小さく笑った。
「……楽しそうですね」
「楽しいです!」
即答だった。
「本で読むのと、
実際に来るのでは全然違います」
ミレイユは、
焼き菓子を頬張りながら歩く。
だが。
その足が、
ふと止まった。
視線の先。
小さな質屋。
店先に並ぶ、
古い工具類。
木槌。
鉋。
鑿。
どれも、
丁寧に磨かれていた。
ミレイユが、
そっと近づく。
指先で、
静かに撫でた。
「……綺麗」
ぽつりと呟く。
「すごく丁寧に、
手入れされていますね」
店主が、
目を丸くした。
「お嬢ちゃん、
わかるのかい?」
「はい」
ミレイユは、
工具を見つめたまま頷く。
「大事に使われていた道具です」
「……あぁ」
店主が、
少しだけ眉を下げる。
「王都一の木工職人の娘が、
売りに来たんだ」
「親父さんが倒れたらしくてな」
「治療費が必要なんだと」
ミレイユの表情が、
静かに変わる。
そして次の瞬間。
ぐいっと、
レオンの腕を引いた。
「あなた」
「これ、
買ってください」
「はい?」
突然すぎた。
レオンが、
完全に固まる。
店主が苦笑する。
「いやぁ、
これは高いぜ?」
だが。
ミレイユは、
ふわりと笑った。
そして。
するりと、
店主との距離を縮める。
「実は――」
小さな声。
どこか寂しそうな顔。
「私の父も、
木工職人だったんです」
レオンが、
すっと目を細める。
始まった。
「でも先日、
病に倒れてしまって……」
「治療のために、
道具を全部売ってしまったんです」
「そしたら」
ミレイユが、
少しだけ俯く。
「父、
もっと元気がなくなってしまって」
店主の顔が曇る。
「だから、
これを渡したら」
「きっと、
また笑ってくれると思うんです」
そして。
ミレイユは、
にこっと笑った。
「お願いします」
「どうか、
買わせてください」
数秒の沈黙。
店主は、
がしがし頭を掻いた。
「……ったく」
「本当は、
常連に回す予定だったんだがなぁ」
「しゃーねぇ」
「持ってきな」
ぱぁぁっと、
ミレイユの顔が輝く。
「ありがとうございます!」
その笑顔に。
店主まで、
つられて笑っていた。
そして。
店を出た後。
工具を抱えたミレイユへ、
レオンがじっと視線を向ける。
「……殿下」
「はい?」
「大嘘つきですね」
ミレイユは、
くすくす笑った。
「でも」
「少しだけ、
本当です」
「……?」
ミレイユは、
工具を見つめる。
その目は、
どこか優しかった。
「大事な仕事道具を失うのは」
「きっと、
とても苦しいことですから」




