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第25話: 魂の選択 (I Want Out)

初めての爆音セッションを終え、更生センター地下の紗江のラボに戻った4人の間には、心地よい疲労感と、それを遥かに上回る興奮が満ちていた。


「最高だヨ……! 本当に脳が爆発するかと思った!」

ノアが長髪をかき上げながら笑うと、タケルもスティックを握り直して深く頷いた。

「杏さんのソロ、鳥肌が立ったよ。鉄心さんのレスポールが、完全に喜んでいた」

杏は赤く腫れた自分の指先を見つめながら、小さく、けれど確かに微笑んだ。

「……楽しかった。もっと、メタルやロックの音を自分の物にしたい」

それぞれがポジティブな熱気に包まれる中、紗江が「次からは週1回、木曜日に練習を固定しましょう」と提案し、全員が力強く同意した。


その歓声の輪から少し離れた場所で、沢江のデバイスが静かに震えた。

画面に表示されたのは、楽団のリーダー・石田からの通知だった。


『上層部の審議が終わった。結果は――楽団残留だ。これまでの功績と貢献度、反映された一時的な精神的疲労による乱れと判断された。来週水曜日の定期演奏会、期待しているぞ』


ホッと胸をなでおろす感覚はある。しかし、沢江の心には、重く冷たいおりのような違和感が残った。

(……俺は、本当にこれで嬉しいのだろうか)

心が曖昧なまま、沢江は来週の水曜日に控えた、国立マーチング・フィルハーモニーの演奏会への出場を決めた。


沢江は心の迷いを吹っ切るためにも、自分から皆に向けて告げた。

「みんな。来週の水曜日なんだけど、僕のステージを観に来ないかい? 普段、僕がどんな環境で演奏をしているか知ってもらいたいんだ。まあ、ロックやメタルではないけれど、少しは勉強になるはずだから」


「確かに、エリートぶってる沢江さんの演奏を観るのも悪くないね」

杏が冗談交じりにからかうと、続けてノアも畳みかける。

「演奏中にトイレに行かないでくださいよ」


沢江はむきになって反論しながらも、楽団とは違ったこの居心地の良さに、どこか暖かい感覚を覚えていた。

だからこそ余計に、心の奥にある葛藤が、沢江を深く苦しめていた。


演奏会当日は、まるで沢江の内面を映し出すかのように、どんよりとした重い曇り空が東京の空を覆っていた。


コンサートホールには、JASAの理念に調律された「お行儀の良い」聴衆が静かに席を埋めている。

タケルたちもJASAのコンサートということで、いつもとは違う正装で会場に着いた。

だが、ノアは何を間違えたのか、長髪を綺麗に結わえ、立派な羽織袴姿で現れた。


「あれ、これが日本の正装ではないのですか?」

「いや、まあ、そうなんだけど……普通のスーツとかでよかったんだよ」


タケルは額を押さえてノアに突っ込むが、周りの観客からは「外国の方が日本の伝統着を着ている」ということで、珍しそうに少しちやほやされていた。ノアもまんざらではない様子で胸を張っている。

タケルはちやほやされるノアを少しだけ羨ましく思いながら、杏、ノア、紗江を客席へと誘導した。


開演までの静かな時間を埋めるように、会場にはクラシックミュージックが流れていた。しかし、そこからは人の演奏が持つ、あの生々しい躍動感は一切感じられない。クラシックまでもがJASAによって厳重に管理され、必要以上の感情を込めた演奏は完全に禁止されていた。


音楽が持つ無限の可能性を極限まで削り切った、機械的な音の羅列。それを聴くために、観衆たちは高い金を払ってやってくるのだ。


開演時間ぴったりに、演奏が始まった。前半は無難に、いつも通りの完璧なメトロノームとして沢江はベースを刻んでいた。石田のドラムと完璧に同期し、AIが算出した「最も平坦で心地よい周波数」を維持していく。


客席からステージを見つめる杏が、小さく呟いた。

「これが、沢江さんの演奏……」

「さすが楽団員。基礎のレベルが明らかに違うわ。譜面通りとは言え、ここまでくると職人ね」

紗江と杏は、普段は見せない沢江の真剣な眼差しと圧倒的な技術に、いつの間にか引き込まれていた。


しかし中盤、沢江のベースソロのパートが訪れた時、事件は起きた。


スポットライトを浴びた沢江の脳裏に、あの地下室での爆音、杏の狂気的なソロ、タケルの怒涛のドラムが鮮烈にフラッシュバックした。

指先が、楽団の譜面を拒絶するように跳ねる。


――トゥルルルル!


沢江が刻んだのは、譜面には存在しない、電撃のような高速タッピング。Helloweenの『Eagle Fly Free』の、あの印象的なベースソロのワンフレーズだった。


「っ……!?」

背後でドラムを叩いていた石田の目が驚愕に見開かれた。

もちろん、客席にいた4人にも一瞬で緊張が走る。


沢江は我に返った。やってしまった。ほんの2拍。だが、ここで止まれば完全な演奏事故になる。

沢江は持ち前の卓越した技術と音楽理論を総動員し、瞬時にスケールを調整。即興の高等ソロとしてJASAの楽曲のキーに強引にアジャストさせ、嵐のようなベースプレイでその場を完璧に乗り切ってみせた。


客席からは、規律を忘れたかのような、地鳴りのような拍手と歓声が沸き起こった。JASAの「平坦な音」に慣らされ、感情を去勢されていたはずの観客たちが、沢江の放った一瞬の「熱」に、本能的に揺さぶられたのだ。


演奏会はいつものように大盛況のまま幕を閉じたが、舞台裏に戻った瞬間、石田の感情が爆発した。


「沢江!! お前、何のつもりだ! あんなフレーズはどこにもないはずだ!!」

石田が沢江の胸ぐらを掴み、激しく揺さぶる。

「お前は楽団の規律を、JASAの調律を汚したんだぞ! 分かっているのか!?」


沢江は胸元を締め付けられ、苦悶の表情を浮かべながらも、石田を真っ直ぐに見つめて告げた。

「……すみません。ただ、指が動いてしまって……。ふと思いついたフレーズを、どうしてもあのステージで試してみたくなった……それだけです」

「嘘をつくな! お前の音はそんな――」


「そこまでにしなさい、石田くん」


低く、けれど絶対的な威厳を持つ声が、楽団の楽屋口に響いた。

深く刻まれた皺と、白い髪を持つ老人がそこに立っていた。国立マーチング・フィルハーモニーの最高責任者であり、JASAの音楽部門の重鎮――松木秀成(92歳)だった。


「最高責任者……!」

石田が慌てて手を離し、直立不動になる。松木はゆっくりと沢江の前に近付き、その濁りのない優しい眼差しで沢江を見つめた。


「沢江くん。先ほどのベースソロ……あれは、どこかで聴いたフレーズかね?」


沢江の背中に冷や汗が流れた。

「……いえ、あれは私の思い付きで……ただの即興です」

緊張で震えながらも、何かを必死に隠そうとしている沢江を見て、松木は小さく微笑んだ。

「石田くん。少し、沢江くんと二人だけで話がしたい。席を外しなさい」

石田は不満げな表情を浮かべたが、「……失礼します」と一礼し、足早にその場を去っていった。


最高責任者の執務室。窓の外には相変わらず重い曇り空が広がっている。

松木はクラシックな革張りの椅子へと身体を預けると、静かに息を吐いた。


「沢江くん、先ほどのベースソロ……あれは、Helloweenの『Eagle Fly Free』だね?」


「……!?」

沢江の心臓が跳ね上がった。松木は沢江を横目でちらりと見ると、ニヤリと不敵に笑った。

「驚いたかね。なぜ、楽団の最高責任者であるこの私が、50年以上前の、それもJASAが禁止したヘヴィメタルの曲名を知っているのかを」


沢江は言葉を失い、ただ黙って立ち尽くしていた。


「……私もね、昔は君と同じだった。いや、君以上に、あのうるさくて、泥臭くて、最高に愛おしい音楽に狂わされていた男だよ」

松木は遠い目をしながら、自分の節くれ立った両手を見つめた。

「2026年まで、私はスタジオミュージシャンとして活動していた。ロック、メタル、ポップス、ジャズ……魂を削って、誰かの心に届く音を毎日探していた。だが、JASAがこの世界を支配し、すべての『感情を揺さぶる音』は悪だと断じられた。……私は、怖かったんだよ。音楽を奪われることが、自分の生きる場所を失うことがね」


松木の言葉は、静かに、深く、沢江の胸に染み込んでいく。


「だから私は、自分の好きな音楽を捨て、JASAに魂を売った。彼らが望む『平坦な音』を大量生産し、管理する側に回ることで、音楽家としての命を長らえさせた。……最低の裏切り者さ。年老いて、その時の激しい後悔すらも、脳内チップの静寂の中で消えかけていた。……だがね」


松木は顔を上げ、沢江を真っ直ぐに見つめた。その目には、大粒の涙がたまっていた。


「さっきの君の演奏を聴いて、消えかけていた火種が、一気に燃え上がった。……久しぶりに、涙が出たよ。脳内信号に操られていない、生身の人間が、魂が叫んでいる音が、確かにあのホールに響いていたんだ」


松木は椅子から立ち上がろうとするかのように、グッと身を乗り出した。


「沢江くん。自分のやりたいことをやりなさい。システムの奴隷になってはいけない。……魂の宿った音楽だけが、人の心を熱くさせるんだ。私のようになってはならない。君には、まだ選ぶ権利がある」


JASAの頂点に立つ老人から手渡された、あまりにも重く、あまりにも温かい免罪符。


沢江の目から、堰を切ったように涙が溢れ出た。

エリートとして、JASAの歯車として生きるために必死で押し殺してきた本当の自分が、旧時代の音楽を奏でてきた本物のミュージシャンの涙によって、完全に解放された瞬間だった。


「……ありがとうございます。……ありがとうございます……!」


沢江は何度も何度も頭を下げ、涙を拭うこともせず、執務室を飛び出した。

彼の背中を見送る松木の顔には、50年ぶりに、本物の音楽家としての誇り高い微笑みが浮かんでいた。

読んでいただきありがとうございます。

メタル音楽の素晴らしさを伝えたいと思い稚拙ながら執筆いたしました。

今回はHelloweenの名曲「I Want Out」をタイトルにしました。

「Eagle fly free」と並ぶHelloweenの名曲ですので、是非聴いてみください。

少しでも面白いと思っていただけたら、高評価やブックマークをお願いします。

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