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魔狼の襲撃を退け、ヴェイン達は射掛けられる矢を掻い潜りながら山腹の急坂を駆け上がる。登山道と呼ぶには甚く険しい、凹凸の多い山肌の陰や地形の高低差に巧みに身を忍ばせた盗賊共が次の矢を継ぐより速くヴェインは斜面を登り切り、慌てて弓から剣へと持ち替えようとする賊に向かって長剣を振るった。
仲間が上げた断末魔にたじろいだ別の一人の胸をクロアの槍が貫く。刺した瞬間に引き抜くような手際の良さで身体を返したクロアは背後から忍び寄っていた盗賊の腹に石突きを突き込んだ。呻いて身を折る賊の背にヴェインが止めの一撃を振り下ろす。
「思ったよりも数が少ないですね」
辺りに目を配るクロアが怪訝に言って槍を握り直す。クロアが事前に入手していた情報によればノルディス山脈を根城にしている盗賊の一団とやらはそれなりの人数がいる筈なのだが、ヴェイン達がこの山腹に辿り着くまでに相手にした数は物の五、六人程度。勾配きつく続いてゆく斜面を見上げれば矢を番えて此方へ狙いを定めようとする男の姿が幾つか窺えるが、それにしても数が少ない。
「自分の仕入れた情報に誤りがあったんでしょうか?」
ヴェインの目配せを受けてクロアが魔術で上方の賊に炎を放つ。炎の矢は賊の手にある木製の弓を焼き、燃え上がった弓を悲鳴を上げて放り出した賊が腰の引けた体勢で短剣を構えた。
「さあな。首領の許にでも行けば判るだろう」
どちらにせよ、道を阻む敵は排除して進む他無いのだ。数が多かろうと少なかろうとそれは同じ事。此処の盗賊達の首領が聖骸の一件に関わっている可能性もあるので、こうして向こうから襲って来た以上は相手をするつもりであるが、その他の詮索は今は無用だ。
配置は疎らながらも盗賊共が待ち伏せている方角へと進めば、恐らく彼等を束ねる首領のいる場所へと辿り着けるだろう。気になる事はその時首領本人に問い質せばいい。
自棄になった気勢を上げて斜面を駆け下りて来る賊の男をヴェインは擦れ違い様に斬り捨てた。斬られて急斜面を転がり落ちて行く男を振り返りもせず、切り立った九十九折りの山道の向こうを見据える。
道程でヴェインが斬り捨てた盗賊の数は五人。クロアが倒した人数と合わせても総勢にして十人にも満たなかった。それなりの数、という事で倒して来た者達は斥候や見張り役の人間であり、この地に住み着いていると聞く盗賊の大半は帝国軍の軍服を纏った闖入者に備えてその首領の許に集結しているのではと疑っていたのだが、意外にもそうでもなかったらしい。
高く聳えて遠く何処までも続くような、国境の山脈の鋭角な稜線が蜷局を巻いているような山間の一角。盆地と呼ぶには面積の狭過ぎる、だが天嶮ノルディスにしては驚く程勾配に乏しいほとんど平地といってもいいような開けた場所にその人物は立っていた。
標高高い山地を行く気流が轟々と唸りを上げる。騒ぐ凛冽な風に紛れるようにして涼やかな声が明瞭に徹った。
「どうかお力を貸しては頂けないでしょうか?」
風にはためく松葉色の外套を纏った長身の人物は、向かいに立つ鳶色の髪をした若い男にそう言った。この寒空でありながら身に着けた衣服は着古されたシャツ一枚と皮の胸当て。足首まで剥き出しの丈が短めの脚衣。それから毛皮の腰巻きのみという寒々とした出で立ちの男は何を頼まれたのかは知らないが、まず乗り気ではなさそうな雰囲気でざんばら髪の頭を掻いた。
「悪ぃが其処まで面倒見てやる理由は無いんだよ。その辺はそちらさんの事情であってオレの知ったこっちゃないんでね。そんなに人が入り用なら、さっき運んでやったここに屯してたあの野郎共でどうにか賄ってくれ」
言って、男は血のように赤い眼を山肌の陰に潜んで彼等の様子を窺っているヴェイン達へと向けた。残念ながら既に気取られているようだ。此方は風下で、気配だって殺しているというのに、やたらと聡い男だ。流石にルーネスの知覚は侮れない。
「なあ、出て来いよ」
笑い混じりに声を掛けられ、ヴェインはすっと其方へ進み出た。次いでクロアが槍を携えてヴェインの傍らに立つ。例の松葉色の外套の人物の方はヴェイン等の存在にはまだ気付いていなかったらしく、驚いたような様子で此方を見た。
「おたく等だろ、さっきから下を騒がしてたのは。人の縄張りで随分と好き勝手に暴れ回ってくれたみたいだなあ?」
「見たところ貴方が噂に聞く盗賊の首領ですね。お仲間は全て排除させてもらいましたから、残るは貴方だけですよ」
挑発的な笑みを浮かべる賊の首領にクロアが毅然と、降伏勧告めいて告げる。首領の男は高らかに哄笑した。愉快げな表情の中で、だがその赤い瞳だけがさっきから少しも笑っていない。
「仲間ぁ?あの人間達の事かい?あんなのは仲間なんかじゃねえよ。オレの仲間は元からコイツ等だけさ」
男が示すように目線を周囲に一巡りさせると、数匹の魔狼が現れて男の傍へ駆け寄る。ヴェイン達を威嚇して低く喉を鳴らす魔狼の頭を撫で、男は尖った八重歯を覗かせてせせら笑う。
「つっても、下に置いといた連中もソイツに貸してやった奴等も、おたく等が皆ご丁寧に殺してくれたみたいでな。お陰でもうこれだけしかいなくなっちまったよ」
敵意を湛えて危険な感じに光る真紅の眼にクロアが幾分気圧された風に唾を飲み込む。ヴェインはルーネスの男を冷たく一瞥し、視線をその隣にいる松葉色の外套の方へと移した。
昨夜と変わらず頭まですっぽりと外套を被ったその人物はヴェインの視線を受け止めつつ、隣の男に声を掛ける。
「生憎と彼方の少年は存じませんが、其処の女性は恐らく強敵ですよ。宜しければ手をお貸ししましょう。その代わりと言っては何ですが、見返りに王女殿下の捜索に力をお貸し願えると有難いのですが」
「だから知ったこっちゃないって言ってるだろ。オレにとってはそんな王女なんてどうでもいいんだからさあ。お前にくれてやった魔鳥でも使って地道に捜せよ。オレより懐いてんだから何でも言う事聞くだろ?」
「お言葉ですが王女の所在が判らない今、リィだけでは心許無いのです。この後で気が変わりましたら、どうぞ宜しくお手伝い下さい」
慇懃に頼んで外套の前をはだけ、すらりと腰の長剣を抜く。目深な頭巾の向こうにある双眸は真向かいにいるヴェインだけを捉えていた。
今の話で確認出来たが、相手方はリーファがいなくなった事は知っているものの、現在の所在までは摑んでいないようだ。逃亡の発覚直後からあの少女が単身で逃げ出したとは考えていなかったヴェインだが、となると此処に来て初めから考慮していたある一つの線が濃厚になってきた。同時にヴェインの胸中に嫌な感覚が広がる。嫌な感覚、ではなく、ざわめくような予感、と言い換えてもいい。
「…?何故リーファ王女がいなくなった事を知っているんですか?」
性根が真っ直ぐな故だろうか。クロアが問う。外套の人物は何も語らず、長剣を構える事を答えとした。
ルーネスの男は腰に纏めていた金属の刺が付いた鞭を手にはしたが、自ら動こうとする素振りは無い。
男が顎をしゃくって魔狼を嗾ける。それが戦いの開始を告げる合図になった。吠え猛る魔狼が俊敏な動きで襲い掛かって来る。
「其方は任せた」
「了解です」
一人で魔狼三匹を果敢に相手取るクロアの返事を後ろに魔狼達の間を滑り抜けたヴェインは、間合いを測るように長剣の切っ先を彼女へ向けて半身の姿勢を取った外套の人物へと迫る。
打ち合わさる鋼鉄の刃が火花を散らす。鍔迫り合いになる前に相手がすっと一歩、大きく跳び退った。透かさず前進するヴェインに、どういう訳か相手の口角が僅かに笑むように上がった。
牽制のように横薙ぎに振るわれた相手の剣を体勢を低くして躱し、逆にその足下を刃で払う。回避の後退に遅れて翻った外套の裾が切り裂かれ、松葉色の切れ端が視界に舞う。
緩急を織り交ぜて繰り出される相手の攻撃を時に受け流し、払い除け、彼我の振るう剣と剣とが激しく鬩ぎ合う。刃を交える前からその立ち居振る舞いで相手の実力の程は窺えていたが、見立て通り、強い。だがヴェインの内面は凪いだ水面の如く冷静沈着だった。
ヴェインは目まぐるしく攻守を入れ替え立ち回りながらも、視界の片端で首領の動向を盗み見る。首領は一先ず観戦の構えを決め込んでいるらしく、目の前でクロアの操る槍の穂先が魔狼の一匹の腹に吸い込まれても当面動きそうな雰囲気は無かった。
「戦いの最中に余所見ですか?」
叱責するような冷えた声。意識を他方に向けた僅かな一時に目と鼻の先へと肉迫していた外套の色が、戻した目線の内に映り込んだ。
首筋に突き出された剣を頭を大きく傾けて避ける。剣を突き出して踏み込む動作をそのまま身体を翻す勢いに変換し、外套の人物がその場で一回転しつつ斜めに大きく刃を振り下ろす。剣速の鋭さに思わず舌を巻きながらもヴェインは咄嗟に飛び退いてその一撃から逃れる。
「っ!」
逃れた先の足下には窪みめいた些かの起伏があった。躓き、慌てて片手を地に突いて転倒を踏み留まる。日常に於いては些細な、だが戦いの中にあっては決定的な隙。頭巾の下から覗く相手の口許が嘲りを刻む。
瞬きの速度で距離を詰めて外套の人物が剣を振り被る。標高故に近くなった陽光に白刃が煌めいた。
相手の剣が己に向かって容赦無く振り下ろされる。その瞬間、ヴェインは彼女にしては珍しく、目に見えて判るくらいの笑みを浮かべた。けれどもそれは訪れる死への歓喜ではない。
ヴェインは轟然と地へ落ちる雷の如く振り下ろされた相手の剣を利き腕一本で逆手に掲げた己の剣の刀身を滑らせるような形でいなし、反対に相手の懐に躍り込んだ。攻撃をいなされ伸び切った腕を相手が引き戻そうとするが、もう間に合いはすまい。ヴェインは左手で敵の腹部に思い切り拳を叩き込む。
「かはっ…!」
嵌めている頑丈な籠手を武器として用いた拳での一撃であったが、めり込む寸前で若干腰を引かれてしまった所為で意識を奪うまでには至らない。ヴェインは剣を右から左へほぼ水平に薙いで蹌踉く外套の人物に追い打ちを掛ける。ヴェインの一閃を躱そうと強引に上体を逸らした相手は仰け反った身体を支え切れず、くぐもった苦しげな呻きと共に傾いで転がり、地面に膝を突いた。
「……体勢を崩したのは誘い…ですか。やはり、お強いですね…」
降ろしていた頭巾が剣圧に飛ばされて、感嘆と口惜しさの混在したその細面が露わになる。彼女は、剣先をすいと突き付けるヴェインを見上げた。
「お前達が盗み出した聖骸は今何処にある?答えろ」
冷淡に相手を見下ろしてヴェインは言う。相手が女である事は声で察していた。女の秀でた額に滲んだ汗を拭うような冷たい風に、首の横で束ねられた長い髪の幾本かが糸のようにそよぐ。女は視線を逸らさず、彼女を見据えるヴェインの温度の無い瞳をじっと見返していた。
不意に既視感のようなものがヴェインの心中を過った。膝を突いて此方を見上げる淡い茶の瞳。其方へ向けた剣の切っ先に映る、賞賛と悔しさの入り混じった敗者の表情。
「――?…お前、何処かで……」
思わず零れた問い掛けの言葉に女が仄かな笑みを見せる。躊躇うように女の唇が動く。
その瞬間、突如としてけたたましい女の怒声が響き渡った。
「イレーナ!お前、今何処で何をしているの!?」
しかし、この場に声の主らしき者は存在しない。イレーナという名らしい女は目線を自身の胸元に遣って答えた。
「ご命令通り、王女の捜索を…」
「本当に役に立たないわね、お前は!リーファなら向こうからやって来たわ。何処で油を売っているのかは知らないけれど早く戻って来なさい!!」
ヴェイン等が携帯しているのと同じような通信用の魔具でも所持しているのだろうか。感情のままに怒鳴り付けるような女の声はそう言い残すとそれきりぷつりと途絶えた。
「…申し訳ありませんが、ブランクーゲル殿のお相手は此処までのようです」
女は困ったように小さな吐息を吐き出し、教えてもいないヴェインの姓を口にする。
先程感じた妙な既視感といい、この女はヴェインの事を知っているのだろうか。ヴェインは女の正体を求めて記憶を探るが、忘れてしまった事柄をどうにか思い出そうとする時のもどかしい引っ掛かりを覚えるだけで、この女と会った事があるのか、だとしたら何処で会ったのか。それすらも判らない。
気にならないと言えば嘘になる。だが、そんなものは後回しでいい。ヴェインは差し出した剣の切っ先を女の喉元に添わせた。
「それは其方の都合だろう。漸く得た聖骸の手掛かりだ。今度は逃がしはしない」
喉に触れる刃の冷たさを感じていない訳ではないだろうに女は動じた風も無く、少しだけ微笑んだ。
「彼方の少年は、放っておいて宜しいのですか?」
「何?」
訝りヴェインが片眼を細めたのと時を同じく、まるで示し合わせたかのように首領の男が動く気配がした。ヴェインは即座に反応して其方を見遣るが、男の発した攻撃の気配はヴェインに対してのものではない。
地面の草を散らして振るわれた鞭が虎落笛に似た音を発する。鞭は最後の魔狼に止めを刺そうとしていたクロアの顔面へと奔った。鞭の刺に危うく眼を引っ掻かれそうになってクロアが止めを諦めて回避に専念する。
咄嗟の反応で避けに動いて不安定な姿勢になったクロアに、主人によって命拾いをした魔狼が飛び掛かった。魔狼は残さず殺された仲間の恨みを晴らさんとするかのような咆哮を上げ、猛烈な勢いでクロアに突進する。
「くっ…」
横にした槍を魔狼の顎の両端に食い込ませるように正面に持ち上げ、クロアは唾液を滴らせる尖った牙を懸命に押し止めている。せせら笑う首領の男が鞭をしならせた。組み付いている魔狼諸共に鞭の刺でクロアの首筋を切り裂くつもりなのが、その嘲るような表情から察せられた。
一瞬の逡巡。助けに入るか、果たすべき目的を優先してクロアを見捨てるか。取るべき行動を決断する思考は僅かに揺れたが、ヴェインは女に突き付けた剣先を緩める事はしなかった。だが女には仮令一瞬でもヴェインの意識が別の方へ向けられただけで充分であったらしい。
女はその場から素早く後転してヴェインの剣を靴の裏で跳ね上げて距離を開けた。昨夜にも聞いた魔鳥を呼ぶ指笛が空に響く。
「それでは、失礼致します」
「――っ!」
上空から強襲するように魔鳥が飛来する。地表近くを猛烈な速度で翔て滑り抜ける魔鳥の足を掴んだ女は、あっという間に高度を上げる魔鳥にぶら下がって天へと舞い上がった。最早どう足掻いてもヴェインの剣が届く事の無い高さだった。
己の判断の甘さに舌打ちをしてヴェインは長靴の中に隠し持っている短刀を首領の男の方へ投げる。大体の狙いで投げたので投擲は難無く躱されたが、目的は首領にクロアを狙う鞭を振るわせない事だ。
「おお、おっかないねえ」
戯けたように言って首領は芝居染みた仕草で首を竦める。その腹を蹴り上げて魔狼を振り払ったクロアが回転させた槍を肩に担ぐように構え、体勢を立て直している魔狼へと投擲槍のように力の限りに投げ付けた。的中した槍は魔狼を貫き通し、苦痛に跳ねるその身体を地に縫い付ける。
魔狼を片付けたクロアが乱れた息を整えるようとする。ヴェインが視線を遣るとクロアは申し訳無さそうに小さく頭を下げた。
「すみません、副長」
「お前の所為じゃない」
外套の女に逃げられたのを自分の不甲斐無さの所為だとして謝罪を述べるクロア。ヴェインは首領の男を目線に据えてそう答えた。あの女に逃げられたのはヴェインの手落ちだ。クロアが謝る必要などは無い。
「やれやれだなあ。結局こうやって手助けさせられる訳か。まあ、お前等みたいなのだけなら別に構わないけどな」
鞭を持っていない方の腕を呆れたように広げ、首領は蒼空を仰ぎ見た。その喉から耳鳴りめいた高音の響きが発せられる。
棚引く雲に太陽が隠れたかのように、突如辺りが暗くなった。
「っ、副長!」
クロアが息を呑んで空を指差す。主の呼び掛けに応じ、くねる蛇体が頭上の空を覆い隠すように山陰から姿を現していた。
「コイツがオレの手勢の最後の一匹だ。ガキの頃から一緒の相棒なんでな、あんまり虐めてくれるなよ?」
翼蛇を背にざんばら髪を逆立たせて首領は酷薄に笑い、鞭で風を切った。上下に生やした細長い牙を剥く翼蛇の小山のような頭に睨まれながら、その巨大さに怯んでいるクロアにヴェインは言った。
「援護しろ」
何を前にしても平生の態度を崩さず動揺の欠片も見せないヴェインを窺い見て、クロアも気構えを固めたようだった。すう、と息を大きく吸い込んでクロアは決然と顔を上げる。
「ゼラ様のような援護は期待しないで下さいよ」
「解っている」
片眼鏡を直して魔力を喚起するクロアを背にしてヴェインは剣先を地に向け、柄を握り直す。
応戦の意志を見せるヴェイン達を一族特有の鮮血のように赤い瞳で睥睨してルーネスの男はにやりとする。それは勝てる筈の無いものに挑む愚か者を哀れむような嗜虐的な笑みであり、主人の嘲笑に同調するように翼蛇の洩らす威嚇音が山中に谺した。




