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長い時間同じ体勢で執務机に向き合っていた所為で身体中が凝ってしまっていた。大きく伸びをすると全身がばきばきと鳴る。椅子に腰掛けたまま一通り身体を解してフェルキースは心地好く溜め息をついた。
執務室の北面の窓は暖炉によって暖められた室内と外気との温度差で白く曇っている。今日は朝から雪が降っていたが、さてどれだけ積もっただろうか。休憩がてら窓辺に立って掌で窓の曇りを拭うと、外では降り続く粉雪が絶え間無く舞っていた。
灰色の曇天から舞い降りて来る粉雪は窓から見える景色を煙るような真白に塗り変えてゆく。一度降り始めてしまえば、アルトナージュの国は雪解けの春までの長い間、冷たい白雪に鎖される。冬の期間、太陽が顔を出す晴れの日は数える程しか訪れず、空はどんよりとした鈍色に包まれて昼だというのに薄暗い日々が続くのだ。
北面の窓は嵌め殺しで開ける事は出来ない。フェルキースは外気との寒暖の差ですぐに曇ってしまう窓硝子越しに、もう飽きる程見慣れた冬景色を見下ろした。
冬が始まり雪が降り出せば、それだけで何か楽しかった幼い頃をふと思い出す。大地を覆い隠した雪を燥ぎながら踏み締め、足跡一つ無い新雪の上を疲れて動けなくなるまで走り回った。
ゼラと二人で雪だるまを作った想い出もある。フェルキースがうっかり頭の方を大きく作り過ぎてしまい、胴と重ねた途端に頭が落ちて壊れ、泣いた事もある。今にして思えばただ作り直せばいいだけの話だが、あの時はそれも考えられないくらい本当に悲しかったのだろう。人には誰しも純真無垢な幼少期があるものだとしみじみと感傷に浸る。
雪は全く止む気配を見せないが、フェルキースに外へと出掛ける用事は無い。聖骸が盗まれてからは霊廟へ詣でる事も無くなり、外出の回数もめっきりと減った。霊廟へは気慰みに出掛けていたようなものだったが、それが無くなって始めて自分が結構な引き籠もりだったという事を知ったフェルキースである。昔は室内でじっといるのは退屈で仕方が無かった質だったのだが、変われば変わるものだ。
もしもこのまま聖骸が戻らないなどという事があれば自分は外へ出る機会が減ったままになり、屋内に籠もり続け過ぎて、その内黴でも生えてしまうのではなかろうか。笑えない冗談である。フェルキースは聖骸を取り返しに出掛けた者達の顔を思い浮かべ、こきこきと首を鳴らして椅子へと踵を返した。
まだ少し残っている決裁の署名捺印を行わなければならない書類を睥睨し、頬杖を突く。何となくやる気が出ないのは聖骸の行方が気になるからだという事にしておこう。
「…さて、今頃どうなっている事やら」
もうじきお茶の時間だな、などと暢気に考えつつフェルキースはそろそろ聖骸を奪還する目処が立つ頃だろうかと思考に耽る。万事上手くいけばいいのだが、やはりそう簡単にはいかないだろうか。
片手で羽ペンを回して弄びながら、目の前の仕事とは無関係の事柄に思案と時間を割く事暫し。知覚に触れたぴりりとした感覚にフェルキースはその髪と同じ銀色の眉を片方顰め、机の抽斗に目を遣った。
手ずから魔術で施錠を施してある抽斗の上から三段目。真鍮の取っ手をなぞるように鍵の術式を解除して抽斗を開く。抽斗の中身は少々ごちゃごちゃしている。万一ゼラ辺りに見付かれば少しは整頓したらどうだと注意されるだろうが、抽斗を開けるのは周りにフェルキースを叱るような人間がいない時と決めてあるので、未だにこの惨状は発覚の憂き目を見てはいない。
フェルキースは抽斗の中身を掻き回して先程彼の知覚に触れた物を探す。人からは乱雑に物が押し込めてあるように見えるだろうが、フェルキースの中では抽斗内の物の棲み分けは出来ているのである。
探していた小さな金属板の束を見付け、フェルキースはそれを引っ張り出した。一カ所に纏めてしまってあった所為で絡まっていた細い銀鎖を解いて目当ての一枚を手に取る。全体が腐食したように黒ずんではいるが、表面に刻まれた文字はまだ辛うじて読み取れた。
――シェリスタ・コーディエ。
机の抽斗にしまってあるのはディオールの面々に持たせてある認識標の写しだ。写しと言っても認識標は始めから二枚で一組。フェルキースが纏めて所有している方もディオール達が持っている物と全く同じ作りをした、言わば双子の片割れのような物だ。
黒ずんでいる認識標はシェリスタの名が記されたこれ一枚限りであり、他の者の認識標は相も変わらず冷たい金属の輝きを宿している。フェルキースはシェリスタの認識標を摘んで頬杖を突いた目線の高さに合わせ、その表裏を眺める。
少しして、フェルキースは認識標を机上に置いた。そしてその意味するところを思い、笑う。ゼラがそうするように。艶を含んだ嘲弄を交えて。
フェルキースは抽斗を閉じ、元通りに施錠の魔術を掛けた。布が張られ、内側に少量の綿が詰められた柔らかい椅子の背凭れに寄り掛かり、ゆったりと足を組んで瞑目する。
天井から吊り下げられた瀟洒な室内灯の明かりがフェルキースの端麗な面に光と影を落とす。フェルキースは結んでいた口許を仄かな笑みに綻ばせた。
今日の茶菓子は何だろうか。たっぷりのクリームを添えたしっとりと柔らかな生地のケーキか、甘酸っぱい果物をぎっしりと詰め込んだパイだといい。それにすっきりとした味わいのお茶を合わせて、のんびりと一息入れたいものだ。
やがて執務室の扉を控えめに叩く音がして、穏やかに年を取った女官が手押し車に茶器と埃を被らないよう蓋をされたお菓子の皿を乗せてやって来た。
手際良く用意されるお茶から温かい湯気が立ち上る。仕事中のフェルキースが執務机でお茶をするのを心得ている女官は切り分けたお菓子を乗せた皿を、そっと丁寧に彼の前に置いた。
出されたお菓子は、そうだったらいいと望んだ通りの美味しそうなケーキだった。
聖骸やそれに纏わる事柄も、こんな風に願ったように上手く運べばいいのだが。フェルキースはまた少し笑って、手にした銀のフォークでケーキに添えられた蕩けるように甘いクリームを掬った。




