第2話 存在しないネット証券とダイヤルアップの恐怖
「ふっ……哀れだな、平成の就活生どもは」
2000年11月下旬。アパートの四畳半の部屋で、俺――佐藤拓也(中身は2000年生まれの26歳、身体は2000年当時の20歳)は、腕を組みながら不敵な笑みを浮かべていた。
目の前のローテーブルには、同居同然の友人たちが持ち込んできた「平成の就活ツール」が山積みになっている。
タウンページ並みに分厚い『就職ジャーナル』や『リクナビブック』、そして各企業から送られてきたハガキサイズの資料請求用紙だ。
「なぁ拓也、お前さっきから何ニヤニヤしてんだよ? ほら、俺なんかもうハガキ50枚目書いてんだぞ。この住所と名前、手書きで1枚ずつ書くのどれだけ大変か分かってんのか?」
同じ学部の木村健太が、腱鞘炎になりそうな手で黒のボールペンをカリカリと走らせながら呆れたように言った。その隣では、お調子者の井上翔太が缶コーヒーを片手に、自分が書き終えた束をパンパンと叩いている。
「そうだぞ、拓也! 俺のこの50枚のハガキがポストに入ればな、2週間後にはダンボールいっぱいの会社案内パンフレットがドカンと届くんだよ! あの箱を開ける瞬間、なんかプレゼントみたいでテンション上がるだろ!」
【説明しよう!】
2000年当時の資料請求ダンボール!
当時は就職情報誌に付いている「一括資料請求ハガキ」に手書きで住所氏名を書き、ポストへ投函! すると約2週間後、エントリーした企業数十社分の「辞書並みに分厚い会社案内パンフレット」「募集要項」「大量のエントリーシート」が一括梱包され、みかん箱サイズの巨大なダンボールで自宅にドカンと届くのだ! 氷河期世代の就活生の部屋は、この「企業資料のダンボール」で足の踏み場がなくなるのが冬の風物詩であった!
「ハガキ50枚に手書き……? 届くのに2週間……!?」
俺はこめかみを押さえ、心底あきれ果てた溜め息をついた。
「タイパが悪すぎるだろ!! 2週間あったら、現代――いや、これからの時代なら内定の1つや2つ出てるっつの! 21世紀を迎えたばかりのこのデジタル革命期に、なんでそんな紙とペンと郵便局に頼った泥臭い作業をしてるんだよ!」
「タイパ……? またお前、わけのわかんない略語使って……。紙とハガキ以外にどうやって企業に連絡すんだよ」
健太が怪訝な顔で首を傾げる。
俺は待ってましたと言わんばかりに、立ち上がって人差し指をバッと天井に向けた。
「フフッ……教えてやるよ。時代は『IT』『インターネット』なんだよ! ネットを使えば、企業の情報検索から応募、日程調整まで、すべて画面上でスマートに完結する。お前らが必死こいてハガキを何十枚も書いてる間に、俺はネットで100社一括Webエントリーして、ついでに未来のネット証券大手の株でも買ってサクッと元手を作るのさ!」
「お、おい拓也……! ネットで株とか就活って、そんなことが本当にできるのか……!?」
翔太が目を輝かせて身を乗り出してきた。翔太は根っからの新しいもの好きで、これからのITやネットという時代に本気でワクワクし、夢を見ている男だ。
「当たり前だろ! 21世紀のスマートワークってやつを、今からお前らに見せてやる! 俺はな、昨日、店頭でプロバイダの無料CD-ROMをもらってきて、オンラインサインアップで入会手続きを済ませたんだ! 月額料金がたった250円の一番安いプランにな! ネットなんて基本料が安けりゃ安いほどコスパ最強だからな!」
「え……月額250円……?」
翔太の笑顔が、一瞬で固まった。
「ふっ、驚くな翔太。これがスマートな現代人の節約術だ!」
俺はドヤ顔で、机の上に鎮座する巨大なCRT(ブラウン管)モニターの電源を入れた。
「ブゥン……」という重苦しい低音とともに、分厚い画面が静電気を帯びて発光する。
「よしよし。昨日の夕方17時にネットに繋いでから……あ、そういえば朝起きたとき、繋ぎっぱなしだったから回線切ったんだったな。よし、気を取り直してもう一回接続だ!」
俺がマウスで接続ボタンをカチッとクリックすると――
PCの内部から「カリカリ……カラカラ……」とシーク音の重奏が響き、スピーカーからあの独特な通信音が鳴り響き始めた。
『ピポパポパ……ピーーーガガガガガ、ピーーガーガー、プツン』
【説明しよう!】
ダイヤルアップ接続の謎の音!
当時のインターネットは「電話線」をそのまま使って通信していた! パソコンがモデムを使って指定のアクセスポイントへ「実際に電話をかける(ダイヤルする)」ため、接続のたびにピポパポというプッシュ音や、データ信号を音に変換した「ピーーガガガガ」という怪音波が部屋中に響き渡ったのだ! ちなみにネット接続中は家の固定電話が完全に「話し中」になるため、家族から「長電話するな!」と激怒されるのも日常茶飯事であった!
「よし、繋がった! これで世界中の情報と繋がったわけだ!」
ブラウザが立ち上がり、当時のポータルサイトが開く。
俺はキーボードを叩き、検索バーに文字を打ち込んだ。
『ネット証券 口座開設』『Webエントリー 就職』
「ふっ、これで検索ボタンをポチッとな……」
しかし、画面の文字がパラパラと出た後、ページのヘッダー画像やバナー広告が上からゆっくりと「すだれ」のようにじわじわ描画されていく。
(……くそっ、光やWi-Fiがあれば一瞬なのに……! なんで画像数枚でこんな待たされなきゃいけないんだよ……!)
昨日一度体験したとはいえ、やはり現代の爆速回線に慣れきった身としてはじれったくてたまらない。
健太と翔太の「まだか?」という視線を感じながら、俺は冷や汗を流して平然を装った。
【説明しよう!】
当時の回線速度とWebサイト事情!
2000年当時の一般的な通信速度は「56kbps(0.056Mbps)」! 現代の1Gbps級の光回線と比べると、約1万8千分の1という驚異的な遅さ! 画像が1枚入ったWebページを開くだけで上からじわじわと「すだれ」のように表示され、数分待たされるのは当たり前! そのため当時のWebサイトでは、回線の遅さを考慮して画像を抑え、テキスト中心の軽量なページも多く作られていたのだ!
俺が必死にドヤ顔を維持しようとしている横で、翔太が険しい顔で俺のデスクの上をガサガサと漁り始めた。
「おい拓也……お前が契約したって言ってたプロバイダのパンフレット、これか……?」
翔太が広げたのは、@niftyの契約書類だ。
「そうそう! それの『お手軽1コース』ってやつ! 月額250円でめちゃくちゃ安かったんだよ! 賢い選択だろ?」
「バカ野郎!! お前、コース内容ちゃんと読んだのか!?」
翔太が声を荒らげた。
「これ、月額250円に含まれてるのは1時間分の通信だけで、1時間を超えたら1分ごとに5円ずつ従量加算されるコースだぞ!! おまけにアクセスポイントまでの『NTTの電話代』だって別で、接続時間に応じてかかってんだぞ!!」
「……え? 従量……加算……? 電話代も……?」
俺の脳内で、ガラガラと音を立てて何かが崩壊し始めた。
【説明しよう!】
恐怖の従量課金システム!
現代の「Wi-Fi」や「定額無制限」とは違い、当時は「接続していた時間」に応じて料金が果てしなく跳ね上がる従量課金制! 深夜の定額時間帯(テレホーダイ:23時〜翌8時)の契約や対象番号の設定をしていない状態でネットへ繋ぐと、「NTTの電話代」と「プロバイダの通信料」が別々にかかり、接続時間に応じて料金が加算! 常時接続の感覚で繋ぎっぱなしにすると、翌月に高額な請求が届くこともあり、青ざめる利用者がいたのだ!
(え……? 繋いでるだけで……金が減る……? データ容量の上限が来て速度制限がかかるだけじゃないの……!? パケット代どころか、リアルな電話代としてお金が直接削られていくの……!?)
俺の額から、だらだらと冷や汗が吹き出し始めた。
「拓也……お前、昨日の夕方17時に繋いでから、今朝の7時に切るまで……丸々14時間(840分)も放置してたよな……?」
翔太が血の気の引いた顔で、手元の電卓を素早く叩き始めた。新しいIT機器やネット料金体系に誰よりも敏感な翔太の指が、恐ろしい速度でキーを打ち込んでいく。
「無料枠の1時間を引いた780分×5円で、プロバイダ超過料が3,900円……基本料250円を足してプロバイダ料金は4,150円。……だが、もっとヤバいのはNTTの電話代だ! 拓也、お前アクセスポイントの電話番号、間違えて隣の市外エリア(20km以内)の番号を設定してただろ! 市内APなら昼夜3分10円で電話代は2,400円程度で済んだのに、隣接市外だと昼夜90秒20円・深夜120秒20円になるんだぞ! 昼夜6時間で4,800円、深夜8時間で4,800円……電話代だけで税抜9,600円だ!」
「ひっ……!!」
「プロバイダ料金4,150円とNTT電話代9,600円を合わせると、税抜小計1万3,750円! 端数切捨ての消費税5%を足すと……」
翔太がカチッと電卓のイコールを押すと、その液晶画面を俺の目の前に突きつけた。
『14,437円』
「ひ……1万4,437円……!?」
【説明しよう!】
2000年ごろの大学生のお金事情!
1990年代後半の景気後退以降、実家からの仕送り額は減少傾向にあった! 仕送りだけでは生活費や就活費用が足りず、アルバイトで食費や生活費を補う学生も多かったのだ!
さらに就活生には「リクルートスーツ一式(約3万円)」「証明写真」「手書き履歴書や郵送代(切手代)」という重い出費が重くのしかかる! 昨日、家賃と光熱費が引き落とされた直後で「一番口座がスカスカなタイミング」で発生したこの通信費トラブルは、文字通り「即死レベルの致命傷」なのだ!
(ま、待てよ……! 通帳にあったあの1万7,860円の残高って……俺じゃなくて、この身体の元の拓也が居酒屋のバイトで夜遅くまで皿洗いして血汗流して貯めたお金だぞ……!?)
(しかも今月は、就活用のリクルートスーツ一式を買ったばかりで、昨日ちょうど家賃と光熱費が引き落とされた直後だった……! 次のバイトの給料日(25日)まであと数日あるとはいえ、そこにこの1万4,437円の請求が来たら……財布の残金が本当に3,423円になっちゃうじゃねえか!!)
(俺、他人の口座の残高を勝手に溶かして即死寸前に追い込んだのか……!?)
「フハハ……嘘だろ……。元の拓也が残してくれた貴重な資金が……俺の今月の食費が……。ただ検索ボタンを押そうとしただけで……1万4千円オーバー……!?」
さっきまでのドヤ顔は見る影もなく消え去り、俺は絶望のあまり視界が歪んでいくのを感じた。
「拓也……お前、ネットでスマートに就活する前に、自分の生活費をスマートに吹き飛ばしてどうすんだよ……」
呆然とする健太。
「ひ……膝から……力が……」
俺は翔太が突きつけてきた電卓の液晶画面を見つめたまま、ガクガクと膝を震わせ、畳の上に崩れ落ちた。
「拓也ーっ!! しっかりしろ拓也ーっ!!」
「おい健太、水持ってこい! 拓也の目が完全に死んでるぞ!」
現代のZ世代の「イキり(スマート就活)」を振りかざし、平成のシステムを見下していた男の哀れな末路。
残されたのは、スカスカになった銀行口座と、これから手書きで書かなければいけない山のようなエントリーシートだけであった――。
【次回予告!】
通信費の惨劇により、財布の残金がわずか3,400円に追い詰められた拓也!
藁にもすがる思いで早期選考に応募するも、待っていたのは「早期選考3社全滅」という厳しい現実!
そこへ現れた伝説の氷河期先輩・城ヶ崎賢治が語る、圧迫面接と不採用の罠とは――!?
次回、『早期選考3社全滅!面接2分で不採用の罠』!
君は、氷河期の嵐を生き残ることができるか――!?
(つづく)




