第1話 FIREしたいZ世代、2000年に飛ばされる
「……はぁ。今日もタイパ悪すぎだな」
令和8年、11月の夜8時。
街灯とネオンが冷たく照らし出すオフィス街の雑踏を歩きながら、俺――佐藤拓也(26歳)は、ポケットから取り出したスマートフォンの画面を無感情に指で叩いた。
バイブレーションとともに画面上部にポップアップしたのは、会社で使っているビジネスチャットアプリからの通知だ。差出人はチームリーダーの嫌味な上司。
『佐藤くん、今日の資料提出、要点が絞られすぎてて情熱が伝わらないよ。Z世代はこれだから困る。タイパばかり気にして、泥臭く汗をかくプロセスを省こうとするんだから』
「ハッ……プロセスねぇよ。結果が同じなら最短ルートで終わらせるのが当たり前だろ……」
昼間に会議室でネチネチとお説教された上司の顔が脳裏をよぎり、俺は小さく毒を吐いた。
タイパ? コスパ? 当たり前だ。
今年で社会人3年目の26歳。手取り20万円ちょっとの給料から、限界まで『オルカン』こと全世界株式インデックスファンドに毎月毎月定期積立でブチ込み、日々の食費や交際費を極限まで削り落とす「NISA貧乏」な生活を送っている俺にとって、時間もお金も無駄にする余裕なんて1ミリもないのだ。
冷たい夜風に首をすくめながら、駅から徒歩15分のアパートへ向かう。
狭いワンルームの部屋に帰り着き、電気もつけずにそのままベッドへ倒れ込んだ。
スマホを充電スタンドに置くと、カチッと心地よい電子音が鳴って急速充電が始まる。
暗闇の中、天井のLED照明をぼんやりと仰ぎ見ながら、俺は深い溜め息とともに本音を漏らした。
「あーあ……大学時代に戻りてぇなぁ。泥臭く働くとかマジでタイパ悪すぎ。新NISAで放置して、ソッコーでFIREするのが人生の最適解なんだよ……ふぅ」
仕事のストレスと日々の疲労、未来への漠然とした不安に押し潰されるように、俺の意識はそのまま深い眠りの中へと吸い込まれていった。
◆
――暗闇の中。
荒野を吹き抜けるヒュードロドロという風の音とともに、夢とも現ともつかない意識の底で、空間がゆらりと歪んだ。
どこからともなく、まるでゲームのイベントシーンのような、無駄に荘厳で神聖な『神の奏律(声)』が脳内にズシンと重厚に響き渡る。
《……聞こえるか、時代の果てを歩む幼き魂よ。汝、苦世(社畜)の枷を逃れ、悠久の平穏(楽なキャンパスライフ)と、求める力を渇望せし者よ……!》
(おお……!? なんだこの声……!? 夢か? いや、なんか知らんけど、異世界転生特有の最強チート能力くれる流れか!?)
《よかろう! 荒ぶる平成の風の中、己が牙を研ぎ澄ますのだ……!!》
(いや『牙を研ぎ澄ます』とか泥臭い精神論はいいんで! ほったらかしで資産が100倍になる最強の投資チートだけください……!)
《いざ行かん! 汝の真価が試される、試練の地へ――!!》
◆
「おい拓也! 起きろって、いつまで寝てんだよ! 2限の講義始まるぞ!」
ガシガシと、脱臼しそうなほどの力加減で肩を揺すぶられ、俺は弾かれたように目を覚ました。
カーテンの隙間から差し込む眩しい朝日に目を細める。
視界が焦点を結ぶと、目の前に見覚えのない――いや、なぜか記憶の奥底に引っかかる若い男の顔があった。
「……誰だお前……? つーか、ここどこだ……!?」
「は? 何寝ぼけたこと言ってんだよ、俺だよ!木村健太! お前大丈夫か?ほら、生協の食堂が混む前に頼まれてたやつ買ってきたぞ」
親切そうに笑うその男――健太がドサッとデスクの上に置いたのは、ビニール袋に入った購買の焼きそばパンと、見たこともない分厚く黄色い紙の冊子だった。
黄色い表紙には、どこかレトロで無骨なフォントでこう印刷されている。
『2002年卒対象 就職情報誌 RIKUNABI』
……2002年卒?
「なんだよこれ……平成レトロのインテリアか何かか……?」
「お前が昨日『買っといてくれ』って頼んだんだろうが! もう11月中旬だぞ? もうハタチなんだから少しは進めとけよ。2002年春卒の俺たちの就活、実質もう始まってんだからな!」
ハタチ……? 俺、2000年生まれの26歳だぞ……!?
頭の中に強烈な違和感と不協和音が吹き荒れる。
俺は慌ててズボンのポケットを探った。
指先に触れたのは、見慣れたツルツルとした板状のスマホではなく、ゴツゴツとした硬いプラスチックの感触。
手の中に引っ張り出したのは、頭から銀色のアンテナがニョキッと伸びた、無骨なグレーの物体だった。
プラスチックの表面に埋め込まれた小さな長方形の『モノクロ液晶』が頼りなく光り、荒いドット文字で信じられない数字を浮かび上がらせている。
2000/11/15 (水) 09:42
「……は? なにこれ……折りたたみケータイ……? 画面小っさ……っていうか、2000年……!? 俺が生まれた年じゃねぇか!!」
パカッとどうやって開くのか一瞬戸惑い、プラスチックのフタを恐る恐る押し開くと、中にはボタンがぎっしり並んだテンキーと、小さな画面が姿を現した。
【説明しよう!】
西暦2000年のメイン通信ツール『折りたたみ式ガラケー』!
当時は画面を開かなくても時刻や着信が確認できる「サブ液晶」がトレンド! 電波の入りを良くするために「アンテナを手でビヨンと伸ばす」という独特の動作が日常風景であったのだ!
意味のない(?)後付けの光る延長アンテナや、尻尾などのモフモフストラップをつけるのも大流行していたのだ!(※令和の女子高生がカバンにつけている「マスコットチャーム」や「バッグチャーム」と同じ文化の先祖である!)
(これ、昔ネットのレトロ特集とかで見たガラケーってやつじゃね……? えっ、頭のアンテナ引っ張ったらマジで伸びるんだけど!? どんなアナログ仕様だよ……っ!!)
俺は跳ね起き、部屋の中を見回した。
壁掛けの薄型液晶テレビなんてどこにもない。部屋の隅に鎮座しているのは、奥行きが異様に深い灰色の巨大なブラウン管テレビ。
デスクの上にあるのは、スタイリッシュな薄型モニタではなく、奥行きが半端ない重厚な『CRT(ブラウン管)モニター』。
その横では、アクセスランプの赤いLEDをチカチカと点滅させながら「カリカリ……カラカラ……」と細かなシーク音を響かせる巨大なタワー型PC。
【説明しよう!】
西暦2000年当時のデスクトップPC環境!
当時のモニターは薄型液晶ではなく、静電気を帯びやすい重厚なCRT(ブラウン管)が主流! 電源を切ると「バチバチッ」と音が走ることもあったのだ! またデータを読み書きするHDDは内部のディスクが回転するため、「カリカリ……カラカラ……」というノスタルジックな動作音が部屋に響き渡っていたのである!
(液晶じゃない……!? モニターの後ろにドカンと巨大なタケノコが生えてるみたいじゃねぇか!!)
不安に駆られて洗面所に駆け込み、鏡を覗き込んだ。
そこに映っていたのは――紛れもなく俺自身の顔だった。
だが、令和で疲れ切っていた26歳の俺ではなく、肌にハリのある若い頃の俺の姿。
なぜかはわからないが、とにかく自分自身の大学3年生の時代、2000年の世界にまるごと引き戻されてしまったのだ。
ちがーう! 俺が望んだ楽なチートと時代はそこじゃねええええええええ!!
俺は2000年生まれのリアルZ世代だぞ!?
スマホも、今みたいにどこでもつながるWi-Fiもない時代に放り出されてどうすんだよ!
一瞬パニックで眩暈がしたが、次の瞬間、俺の脳裏に電撃のような閃きが走った。
(待てよ……これ、怪我の功名ってやつか!? 令和の投資知識があれば、2000年の世界でこれから何が起きるか大体わかって勝てるんじゃね!? あの『放置しておけば勝手に増える最強の投資』で速攻FIREできるんじゃないか……!?)
よーし、勝ち組の投資知識を引き出すぞ! と意気揚々と記憶の引き出しを開けた……が。
(……あれ? あの神制度、なんて名前だっけ……? ニー……ニート……? いや、それ俺が無職になるやつだ! ニー……ニーハオ? 中国語!? オル……オルガン!? 楽器かよ!! そもそも何を買えばいいんだ!? どの企業が伸びてどこが倒産するのか、銘柄も株価も具体的に何ひとつ思い出せねぇ……!!)
脳内に霧のような濃いモヤがかかり、具体的な制度名や株価、企業の歴史がまったく思い出せない!
そもそも2000年生まれの俺にとって、当時の史実なんて「なんか昔そんなことあったらしい」程度の教科書の知識だ。自力での未来知識無双は、開始わずか数分で完全消滅した!
(……はっ!? 待てよ……!? 仮に奇跡的に楽な投資法を思い出せたとしても……そもそも『種銭(元手)』がなきゃ投資なんて1円も始められねぇじゃねぇか!!)
令和で資産運用をやろうとしていたからこそ、俺はその冷酷な現実を嫌というほど知っていた。毎月給料をもらって安定したキャッシュフロー(種銭)を確保して初めて、投資というゲームのスタートラインに立てるのだ。
(だ、ダメだ……『楽な方法があった』こと以外何ひとつ思い出せねぇ上に、今の俺は無収入の大学生……! 状況は1ミリも理解できないが、まずは就職して『種銭』を確保しないと詰む……!?)
「……う、嘘だろ……まずは泥臭く働いて『種銭』稼ぐしかないのかよ……っ!!」
頭を抱えて頭痛に悶える俺を見て、親友の木村健太が心底呆れたように溜め息をついた。
「なぁ拓也、ブツブツ変なこと言ってないでハガキ書き始めろよ。早く出さないと手書きの応募用紙すら届かないんだぞ」
健太は手際よく机の上の就職情報誌をめくると、巻末のハガキをミシン目に沿ってペリペリと手慣れた手つきで切り離していく。そして引き出しから取り出した黒の油性ボールペンを、俺の前にトンと置いた。
「……官製はがき? なんでハガキ?」
「企業に資料請求するんだよ! 就職情報誌の巻末についてるハガキ切って、自分の住所と名前書いて送るんだろ! 志望先にハガキ出さないと、会社案内も応募用紙すら送られてこないんだから!」
「Webで……ボタンぽちー、じゃなくて……? 企業のマイページから一発送信できないの?」
「お前マジで頭大丈夫か? Webで直接応募できる先進的な会社なんてまだごく一部だろ! 基本は資料請求のハガキか、電話で『会社案内を送ってください』って頼むんだよ!」
【説明しよう!】
主人公・拓也が放り込まれた西暦2000年の就活インフラ事情!
当時はスマホなど存在せず、ネットはダイヤルアップや初期のISDNが主流!
就職活動の第一歩は「企業にハガキを出して会社案内や応募用紙を郵送してもらう」という、超・アナログな作業が一般的であったのだ!
「……え? 届いた後も……手書き? パソコンのWordで作成してPDF送信とかじゃなくて?」
「当たり前だろ! 俺が狙ってる大手メーカーなんて、指定の応募用紙が3枚セットのやつが送られてくるんだぞ。何十社も資料請求して書類が届いたら、何百枚って手書きしなきゃいけないんだ。学歴から志望動機、自己PRまで全部黒のボールペンでな!」
「げ……手書きで何百枚……。ま、まあミスったら修正テープでサッと直せばいいか……」
俺が気楽な調子で答えると、健太はギョッとしたように目を見開いた。
「バカお前、正気か!? 先輩たちから聞いた話だと、大手の厳格な企業だと修正テープ使った時点で『誠意がない』って判断されて即落とされることもあるらしいんだぞ! 途中で1文字でも誤字ったら、その用紙は最初から全書き直しだ!」
「はぁ!? 修正テープ不可!? ざっけんなよ、何その謎のマナー!! 効率悪すぎだろ!!」
俺は半信半疑のままボールペンを握り締め、健太から渡されたハガキに自分の名前を書こうとした。
――『佐藤拓也』。
久々に握るボールペンの重みに手が震え、最後の「や」のハネがわずかにかすれてしまった。
(うわっ、かすれた……! 令和ならBackSpaceキー一発なのに……! これ1枚書くだけで神経すり減るぞ!?)
冷や汗をかく俺の横で、健太は慣れた手つきでスラスラと何枚ものハガキに自分の住所と名前を書き進めていく。その真剣な表情には、時代の重圧が滲み出ていた。
「効率とか言ってる場合かよ! 数年前の先輩たちの時なんて、求人倍率が1倍を切るレベルまで落ち込んだんだぞ! 俺たちの代だってどうなるか分かんねぇんだ。100社ハガキ送って、実際に面接までたどり着けるのが数社かもしれないんだぞ!」
「100社に資料請求して……面接まで数社しか進めないかもしれない……!?」
「当たり前だろ! 超・就職氷河期なんだからな! ほら、文句言ってないでハガキ書くぞ!」
俺は震える手で、デスクの上に山積みされた大量のハガキとボールペンを再び見つめた。
スマホもない、Wi-Fiもない、投資の記憶もあやふや。
「ミスったら修正テープで消せばよくね?」という俺の常識は一瞬で打ち砕かれ、目の前には大量のハガキと、その先に待ち受ける手書きエントリーシートの山――そして就職氷河期という理不尽すぎる現実。
(手書きハガキ……ミスったら即死……修正テープで落ちるとか、どんな初見殺しダンジョンだよ……っ!!)
俺はまだ知らなかった。
この世界では、未来の投資知識より先に、就職という名の最初のダンジョンを生き残らなければならないことを。
【次回予告!】
大量のハガキと手書きESの未来に打ちのめされる拓也!
楽して稼ぐために証券口座を作ろうと試みるが、そこに立ちふさがるのは「存在しないネット証券」と「パケット代数万円の恐怖」であった!
次回、『存在しないネット証券とパケット代数万円の恐怖』!
君は、平成の通信事情を生き残ることができるか!?
(つづく)




