第二話 お茶会の作法
「こちらがお部屋になります」
案内された部屋を見た瞬間、リディティーナは言葉を失った。
広い。
とにかく広い。
自宅の客間なら三つは入りそうな広さだ。
大きな窓には薄いレースのカーテンが揺れ、壁には見事な刺繍のタペストリーが飾られている。
天蓋付きのベッドなど、本の挿絵でしか見たことがない。
「ここが私の部屋ですか?」
「お気に召しませんでしたか?」
「いえ! 広すぎて落ち着かないだけです!」
思わず本音が飛び出した。
侍女のメアリーは、くすりと笑う。
「殿下のお客様が、リディティーナ様のようなお嬢様で安心いたしました」
目尻に優しい皺が寄る。
王城へ来てから初めて、少し肩の力が抜けた気がした。
「その件なんですけど……」
リディティーナは謁見の間で起きた出来事を説明した。
求婚した覚えがないこと。
できれば誤解を解きたいこと。
そして、何より。
「殿下に申し訳ないんです」
スカートの裾を握る。
「私は辺境の娘ですし。きっと、もっと相応しい方がいらっしゃるでしょう?」
メアリーはしばらく黙ったままリディティーナを見つめていた。
やがて小さく首を傾げる。
「そうでしょうか」
メアリーは穏やかに微笑んだ。
「少なくとも殿下は、そのようにはお考えではないと思います」
それでも。
「お願いします」
(こっちもそのようには考えてないんです)
藁にもすがる思いで頭を下げる。
「協力してください」
メアリーは少し考えるように目を伏せた。
「リディティーナ様のお考えは理解いたしました」
その言葉にほっとする。
やっと味方が見つかった。
そう思ったのも束の間。
「それでは早急にお茶会の準備をいたしましょう」
「はい?」
「まずはお着替えです」
「はい?」
話が繋がらない。
「お茶会には、お茶会の作法がございますので」
「作法?」
「ええ。ですが、ご安心ください」
メアリーはにこりと微笑んだ。
「リディティーナ様は、いつも通りになさってくださいませ」
「それで大丈夫なんですか?」
「ええ。殿下もきっと、お喜びになりますので」
そのまま、短く手を叩く。
すると侍女たちが次々と入室してきた。
布地が運ばれ。
靴が運ばれ。
宝石箱が運ばれる。
嫌な予感しかしない。
「あの、これは……?」
「お茶会の準備です」
「お茶会?」
「はい」
メアリーは真面目な顔で頷いた。
「残念ながら、求婚の事実そのものは消えません」
「ですよね……」
「ですが。殿下のお気持ちは変わる可能性があります」
リディティーナの目が輝いた。
「ありますよね!?」
「ございます」
メアリーは優雅に微笑む。
「なので、お茶会を開きましょう」
そっと人差し指を立てた。
「後は――お分かりですね?」
リディティーナはハッと息を呑む。
「そこで嫌われればいいんですね!」
メアリーは微笑んだ。
とても優しく。
けれど、どこか意味深に。
リディティーナは気づかない。
メアリーは、肯定も否定もしていないことも。
お茶会の作法について説明していないことも。
⸻
二時間後。
鏡の前で、リディティーナは別人になっていた。
淡い桃色のドレス。
胸元には小粒の真珠。
結い上げられた髪には貝細工の髪飾り。
辺境の舞踏会でも、こんな装いは見たことがない。
「すごい……」
思わず呟く。
メアリーが満足そうに頷いた。
「殿下は見る目がおありですね」
「なぜそこで殿下の手柄になるんですか」
「お召し物一式、殿下からの贈り物ですので」
危うく椅子から転げ落ちそうになった。
「……え?」
「リディティーナ様のためにお選びになりました」
「私のために?」
「はい」
胸の奥が少しだけ温かくなる。
鏡の中の自分を見る。
辺境娘には不釣り合いなほど綺麗だった。
(……本当に何を考えているのかしら)
ますます誤解を解かなくてはならない。
そう決意を新たにした。
と、同時に。
このドレス一着で、領地の子供たちに冬服を何枚買えるだろう。
そんなことを考えていた。
◇
薔薇のアーチをくぐる。
「来たか」
しまった。
今回こそはこちらのペースで進めるつもりだったのに。
先を越されてしまった。
「……はい」
なぜか緊張しているように見える。
王子なのに。
お客様なのに。
たかがお茶会なのに。
耳が少し赤い気もする。
(慣れてないだけよね)
そういうことにしておく。
席につくと、
香り高い紅茶が運ばれてきた。
そしてリディティーナは立ち上がった。
辺境には昔から伝わる慣習がある。
「アレクシス殿下、お茶をお注ぎしてもよろしいですか?」
「ああ」
――作戦開始。
内容は、とにかくカップを空にしないこと。
紅茶を注ぐ。
その時だった。
「そうだ」
アレクシスが小さな箱を差し出した。
「君に」
「私にですか?」
両手のひらで受ける。
ピンクのリボンを解くと、
中に入っていたのは――白いハンカチーフだった。
絹糸で丁寧な刺繍が施されている。
右下には二人のイニシャル。
そして青紫色の小さな実。
「ブルーベリー?」
思わず呟く。
アレクシスが一瞬固まった。
「……違う」
「違うんですか?」
「違う」
なぜか少し落ち込んでいる。
「ギンバイカだ」
「銀梅花?」
聞いたことがない。
首を傾げると、アレクシスは視線を逸らした。
耳が赤い。
「……実を結ぶようにと願いを込めた」
ぼそりと呟く。
(実?)
正直、華やかではないけれど。
何やら実であることに意味があるらしい。
それより……
「ありがとうございます」
刺繍を見つめる。
(うまい)
上手だった。
驚くほど丁寧で、糸の始末も完璧。
領地で一番器用な仕立て屋でも敵わないかもしれない。
「殿下が縫ったんですか?」
「……一応」
ぷい、と横を向く。
図星らしい。
「でも、どうして急に?」
お茶会のお礼にしては、手が込みすぎている。
なんならこれ、一日二日で完成するものではない。
「……茶会の礼だ」
アレクシスは言葉を濁すように、ティーカップに口をつけた。
◇
気づけば、話題はブルーベリーになっていた。
好きな食べ方。
収穫の時期。
父がよくタルトを買ってきてくれること。
アレクシスは静かに聞いていた。
そして。
「そうか」
アレクシスは小さく頷いた。
「ブルーベリータルトが好きなんだな」
「え?」
「覚えた」
それだけ言って紅茶を口に運ぶ。
◇
ふと気付く。
カップが空になっている。
(危ない)
作戦を忘れるところだった。
「おかわりはいかがですか?」
「ああ」
注ぐ。
また空になる。
注ぐ。
三杯目。
四杯目。
アレクシスの視線が落ち着かない。
(気づいたかしら)
客人に何度もお茶を勧める。
私の国では、『そろそろお帰りください』という意味だ。
けれど。
(ポットが先に空になりそうだわ)
喉乾いてたのかしら?
これだと、作戦が……
そう思った時だった。
アレクシスが、五杯目を飲み終える。
そのまま、静かに視線を逸らす。
「……そんなに急がなくてもいい」
「はい?」
「明日も来る」
「え?」
「まだ二回ある」
リディティーナは瞬きをした。
「何がです?」
「いや」
アレクシスは首を振った。
「なんでもない」
立ち上がる。
「そろそろ公務だ」
去っていく背中を見送る。
リディティーナは首を傾げた。
(二回って何のことかしら)
⸻
「どうでした?」
メアリーがすぐに近寄ってくる。
リディティーナはハンカチーフを見せた。
「まあ」
メアリーの目が丸くなる。
「ギンバイカですわ」
「有名なんですか?」
「ええ、とても」
意味ありげな笑みを浮かべる。
「花言葉は――」
そこまで言って、口を閉じた。
「花言葉は?」
「いえ、何でもございません」
絶対に何かある。
だが、教えてはくれないらしい。
リディティーナは首を傾げた。
それにしても。
(こういうの作るんだ)
――王子様なのに。
刺繍をする男性に会ったのは、初めてだった。
少しだけ、意外だった。
(明日も来るのよね)
ハンカチーフを見つめる。
(……何かお礼を考えないと)
そんなことを考えていた。
その頃。
アレクシスは執務室で、静かにハンカチと同じ図案の見本帳を閉じていた。
一回目は無事に終わった。
あと二回。
そうすれば正式に受理されたことになる。
明日渡す予定の手袋を箱に入れ、青いリボンを結ぶ。
アレクシスは誰にも聞こえないよう、小さく息を吐いた。
「……昼を抜いて正解だったな」
そう、小さく安堵しながら。
読んでいただきありがとうございます。
お茶会の作法は国によって違うようです。
リディティーナは全力で誤解を解こうとしていますが、果たしてうまくいくのでしょうか。




