第三話 こちらの作法でやり直そう(完)
それは、三日目のお茶会の時だった。
二日目に贈られた白絹の手袋を整えながら、リディティーナは席についた。
「今日はこれを」
アレクシスが差し出したのは、少し大きめの白い箱だった。
蓋を開けた瞬間、リディティーナは思わず声を上げる。
「まあ、ブルーベリータルト!」
瑞々しい果実がたっぷり乗った、大好物のタルトだ。
嬉しい。
とても嬉しい。
そして――
「殿下。 実は、私もお礼が……」
メアリーから受け取った包みを差し出す。
中に入っているのは、小さなガラス瓶。
「ブルーベリージャムです」
もらってばかりでは申し訳ない。
だから、お返しを作った。
本当はタルトを焼きたかったのだけれど、残念ながらそこまでの腕はない。
私にできたのは、ブルーベリーを煮詰めて瓶に詰めることくらいだった。
「君が作ったのか?」
「はい。お口に合うといいのですが……」
そっと差し出す。
アレクシスは瓶を受け取ると、しばらく無言で見つめていた。
まるで宝石でも眺めるように。
「……ありがとう、リディティーナ嬢」
優しい声だった。
どうやら喜んでもらえたらしい。
ほっと胸を撫で下ろす。
するとアレクシスは、その瓶を大切そうに自分の隣へ置いた。
「……式が終わったら、二人で食べよう」
「え?」
思わず首を傾げる。
「今食べないんですか?」
クラッカーまで準備したのに。
(……やっぱり、昨日の贈り物)
一瞬、眉を顰める。
あれ?それより今……
「式?」
その瞬間だった。
今まで壁のように立っていた騎士が口を開く。
「三度のお茶会を受け」
メアリーが続ける。
「三度の贈り物をお受け取りになり」
アレクシスが静かに言う。
「……私にジャムを贈った」
嫌な予感がした。
ものすごく嫌な予感が。
「以上をもちまして」
騎士が一礼する。
「――婚約成立となります」
あやうく、クラッカーの皿を落としそうになる。
リディティーナは瞬きをする。
一回。
二回。
三回。
「……はい?」
理解が追いつかない。
「求婚を受けた相手とのお茶会に三度応じ、贈り物を交わす。それが婚約成立の証です」
騎士は真面目な顔で説明した。
「聞いてません!」
「常識かと」
そんなわけあるか!
思わず立ち上がる。
メアリーを見ると、彼女は微笑ましそうに頷いた。
「最初にお話を聞いた時は驚きましたが、お茶会の様子を見て安心しました」
「何に安心したの!?」
リディティーナが叫ぶと、アレクシスが軽く咳払いをした。
「……あそこまで引き留められれば、さすがに分かる」
「……引き留め?」
「嬉しかった」
嫌がらせが!?
「殿下!」
「どうした」
これもう、無理だ。
「婚約の件ですが!」
「成立したが」
「してません!」
「した」
即答だった。
「してません!」
だがアレクシスも譲らない。
「した」
追撃。
会話にならない。
リディティーナは額を押さえた。
もう、はっきり言うしかない。
「私は、あの日、求婚してません!」
その言葉に、アレクシスは意外にもあっさり頷いた。
「ああ。知っている」
「……はい?」
「調べた。あの国にそのような慣習はない」
「知っていたんですか!?」
「ああ」
「じゃあ、どうして私を呼んだんです!?」
アレクシスは一瞬だけ黙った。
「慣習はなかったが」
青い瞳が真っ直ぐこちらを見る。
「君の振る舞いは、私の国では求婚そのものだった」
今度こそ思考が止まる。
「手を取った」
「そ、それは挨拶です!」
「両手で包んだ」
「それも挨拶です!」
「名を告げて微笑んだ」
「挨拶です!!」
「私にはそう見えなかった」
珍しくアレクシスが視線を逸らす。
少しだけ迷うような沈黙のあと、
「だから……君ともっと、話したかった」
リディティーナは固まった。
騎士が肩を震わせる。
メアリーが微笑む。
「それだけだ」
しばらく言葉が出なかった。
気づいたら口にしていた。
「……なんで?」
アレクシスは少し考えるように黙った。
「分からない」
正直な声だった。
「ただ、帰国したあとも君のことばかり考えていた」
「え?」
「何度も思い出した」
青い瞳が真っ直ぐこちらを見る。
「だから、もう一度会いたかった」
嘘をついている顔ではない。
それが余計に困る。
「それに婚約に関しては、君の意思も尊重するつもりだった」
アレクシスは続ける。
「だから三度目の茶会までは何も言わなかった」
いや、言えよ。
「途中で嫌なら断られると思っていたが……」
思い出したように目元を和らげた。
「だが、あれだけ引き留められたからな」
私は慌てて手を振った。
「殿下!」
「どうした」
「違うんです!」
「?」
「あのお茶!
――私の国では、たくさん勧めると早く帰れって意味なんです!」
沈黙が訪れる。
今度はアレクシスが固まった。
「……そう、だったのか」
あ、あれ?
アレクシスの瞳が揺れる。
「私は、帰れと……言われていたのか」
雰囲気が、明らかに変わった。
(……もしかして、落ち込んでる?)
一瞬、言葉に迷った。
そして。
「少し傷ついた」
「すみません!」
即座に頭を下げる。
「だが」
アレクシスは続けた。
「嬉しかった」
「え?」
「話したいと言われていると、思っていたから」
耳が赤い。
今までで一番赤い。
「だから毎日楽しみだった」
つられて、リディティーナの顔も熱くなる。
「……すみません、それは勘違いです」
(なに、この感じ)
妙に心がざわつく。
アレクシスは小さく頷いた。
「そうだな」
その声が少しだけ寂しそうで、
なぜか胸が痛んだ。
「……勘違いして、すまなかった」
アレクシスが踵を返す。
話は終わった。
(……これでいい)
一瞬、そう思った。
(来なくなる)
けど――
「待ってください!」
気づけば、手が伸びていた。
咄嗟に、王子の腕を掴む。
周囲が静まり返った。
騎士が目を見開き、メアリーが小さく息を呑む。
「……リディティーナ嬢?」
アレクシスが振り返る。
必死に言葉を探す。
求婚は誤解だった。
お茶会も誤解だった。
婚約だって成立していない。
全部、間違いだったはずだ。
――本来ならここで、終わる話だった。
「……違います、アレクシス殿下」
それなのに。
胸の奥が苦しい。
どうしてだろう。
「あなたが嫌いなわけではないんです」
その言葉を口にした瞬間、自分でも驚いた。
求婚は誤解だった。
婚約も成立していなかった。
それなのに――
少しもほっとしていない自分がいた。
「ですが……」
思い出す。
毎日のお茶会。
贈り物を選んでくれたこと。
耳だけ赤くして視線を逸らしたこと。
不器用なくせに、誰より真面目だったこと。
それでも。
「……手袋が」
(どういうつもりで渡したの?)
私は彼が来るのを待っていた。
会話を楽しみにしていた。
それなのに、肝心なことだけは分からない。
「手袋?」
アレクシスの視線が私の手元に落ちる。
「よく似合っている」
その一言が、私を混乱させる。
「私は行動より、言葉でやりとりしたいです」
アレクシスはそんな私を見つめ、それから少しだけ目を細めた。
そして、
「今のは、君の国ではどういう意味だ?」
柔らかな声で尋ねる。
そこでようやく、
自分から王子の腕を掴んだことに気がつく。
「……話を聞いてください、です」
「そうか」
アレクシスが小さく笑う。
初めて見るような穏やかな笑顔だった。
「言いたいことは分かった」
ゆっくりと片膝をつく。
「では、私の想いを伝える」
騎士もメアリーも、息を潜めて見守っていた。
「リディティーナ・エヴァンズ嬢」
名前を呼ばれただけなのに、胸が高鳴る。
まっすぐ見上げてくる青い瞳から目が離せない。
「今度は私からいかせてもらう」
アレクシスはそっと私の手を取った。
「改めて名乗ろう」
真剣な声だった。
誤解ではない。
冗談でもない。
ただ真っ直ぐな想いだけが、そこにあった。
「――私は、アレクシス・ディガードという」
真っ直ぐな青い瞳が私を見つめる。
「今度は誤解ではなく――
私と結婚してくれないか」
あの日。
私が何も知らずに差し出した手を。
今度は彼が、同じ作法で取った。
沈黙が落ちる。
数秒。
いや、もっと長かったかもしれない。
(……何が起きてるの?)
リディティーナは何度か瞬きをした。
頭の中が真っ白だった。
私は嫌いではないけど。
でも結婚したいかと聞かれれば、まだ分からない。
けれど。
苦しさの正体に、今さら気づいた気がした。
(嬉しい)
素直にそう思った。
私は、この人といる時間が好きだと思う。
もっと知りたいとも思う。
だから――
「……少し考える時間をください」
アレクシスが目を見開いた。
騎士が吹き出し、メアリーも堪えきれず笑う。
「殿下」
騎士が肩を震わせる。
「初めて即答されませんでしたね」
「そうだな」
アレクシスが、笑った。
初めて見る表情にドキドキが止まらない。
王城の窓から差し込む夕日が、金色の髪を照らしていた。
その横顔を見ながら、リディティーナはそっと胸元を押さえる。
――どうやら私は。
思っていたよりもずっと、この人を気に入っているらしい。
さっきまで胸を締めつけていた不安が、いつの間にか消えていた。
「……お茶会、いつですか?」
「明日だ」
即答だった。
思わず吹き出す。
返事はまだしていない。
けれど。
この人となら――
「……実は、刺繍が苦手なんです」
うまくやっていけるかもしれない。
そう思った。
「それなら私が教えよう」
即答だった。
リディティーナは思わず笑う。
夕日に染まる青い瞳を見つめながら、小さく微笑んだ。
――まずは、ちゃんと。
この人を知るところから始めよう。
「ところでアレクシス様」
気づけば、そう呼んでいた。
「なんだ?」
私のことも知ってもらおう。
二日目に頂いた、白絹のレースの手袋。
もちろん、今もつけている。
「私の国で手袋を贈るのは――『触れられるのが嫌なほど嫌い』という意味なのですが」
静かに目を細める。
「どうしてプロポーズなのに、外してくださらないのかしら?」
アレクシスが固まる。
騎士も固まる。
メアリーも固まる。
そして。
「……すまない」
青ざめながら頷き、急いで手袋を抜き取った。
勢い余って、地面に落とす。
(……決闘の合図)
――次のお茶会は、一筋縄ではいかなそうだ。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
勘違いから始まった二人ですが、少しずつ相手を知りたいと思える関係になってくれていたら嬉しいです。
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ありがとうございました。




