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第五章 制服の檻 1

 第五章 制服の檻


   1


 朝は、誰にでも平等に来る。


 官憲に追われている少女にも。  

 一晩じゅう地下鉄の旧ホームで身を縮めていた人間にも。

 そして、足元で丸くなっていた三匹の猫にも。


 ただ、その朝が万人に対して優しいとは限らない。


「来たわね」


 閉鎖ホームのベンチに腰かけた白峰玲子が、黒匣の画面を睨んだまま言った。

 蛍光灯の死んだ薄暗い空間で、黒匣の表示だけが青く光っている。


 美緒は、殆ど眠れなかった目をこすって、隣から画面をのぞきこんだ。


「何が」


「学校」


 玲子が画面を二回叩く。

 表示が切り替わる。


 帝国青少年教導局/校内臨時観察対象

 朝比奈夏希

 聞き取り予定時刻 08:10

 協力拒否時、強制保護観察移送を検討


 美緒の眠気が一気に吹き飛んだ。


「……夏希」


 声が、思っていたより低く出た。


 玲子はさらに別の画面を開く。


「それだけじゃない。学校の南棟に、A-17の派生ノード反応がある」


「A-17って、昨日の……」


「私への接触プロトコル。たぶん謙三が学校にも予備の口を作ってた」


 美緒は画面に映る校舎見取り図を見つめた。

 南棟。旧放送準備室。

 赤い点がひとつだけ、静かに点滅している。


「学校なんて、いちばん監視がきつい場所なのに」


「だからよ」


 玲子はあっさり答えた。


「人は"危険な場所には秘密がある"って思い込む。

 でも実際は逆。

 毎日みんなが当たり前に出入りして、当たり前に目を逸らす場所の方が、長く隠せる」


「REVI:たしかに」

「BUCHA:学校きらい」

「NOAH:同感」


 美緒は小さく息を吐いた。


 学校。

 そこは勉強する場所のはずだった。

 でも今の学校は違う。


 忠誠を教えこまれ、記録され、従順さを測られる場所。

 制服を着て、列に並んで、口を揃えて同じ言葉を言う。

 檻に名前があるなら、たぶんそれは校舎だ。


「行く」


 玲子が顔を上げる。


「即答ね」


「夏希は放っておけないから。それに、父さんのノードも回収したい」


「危ないのは知ってる?」


「もう毎日危ないよ」


 そう返してから、美緒はバッグを開いた。

 中から取り出したのは、丸めて入れてあった制服のブレザーだった。


 玲子が眉を上げる。


「持ってたんだ」


「捨てられなかっただけ」


 ブレザーを羽織る。

 白いシャツの襟を直す。

 スカートのしわを手で整える。


 制服なんて、ただの布だ。

 なのに着た瞬間、呼吸が少しだけ変わる。


 学校の中で一番目立たないのは、制服を着た生徒。

 それがいちばん腹立たしい事実だった。


 玲子はポケットから小さな金属片を取り出した。

 飴の包み紙くらいのサイズ。


「これ」


「何ですか?」


「近距離用のパルスビーコン。二十メートル以内しか届かない。

 帝国の感応屋にはまず拾われない。

 猫たちとの位置同期通信に使って」


 美緒が受け取ると、玲子はもう一つ、古びたIDカードケースを差し出した。


「あと、南棟の保守用通行証。

 期限は三年前に切れてるけど、学校の設備担当はだいたい怠慢だから、意外と通る」


「雑」


「現場はいつだってそんなものよ」


「REVI:好きになってきた」

「BUCHA:ちょっとだけ」

「NOAH:油断するな」


 玲子は黒匣をたたみ、肩をすくめた。


「私は外で待機。

 正門から百メートル圏に入れないときは、学校の北側で短距離受ける。

 ノードが生きてたら、そこから補助できる」


「わかりました」


「あと、美緒」


 玲子の声が少しだけ真面目になる。


「助けに行くのはいい。

 でも、"助ける"と"抱えて逃げる"は別物よ。

 朝比奈夏希が何を選ぶかは、あの子に決めさせなさい」


 美緒は一瞬だけ黙ってから、うなずいた。


「……はい」


 校門前は、朝から息苦しかった。


 帝国旗。

 識別ゲート。

 校舎壁面の巨大モニター。

 整列する生徒たち。

 巡回する警備ドローン。


 何も変わっていないように見える。

 けれど、昨日より明らかに人が多い。


 生活指導の教師。

 見知らぬスーツの大人。

 青少年教導局の腕章をつけた男が、昇降口脇に二人立っていた。


「……増えてる」


 美緒は帽子を外し、制服の襟を正しながら列へ混ざった。

 顔認証ゲートの前では、一人ずつ立ち止まって識別タグを読ませている。


「NOAH:西側カメラ、古い」

「REVI:三秒なら切れる」

「BUCHA:おれは正面突破でもいい」


「ブチャ、それはだめ」


 小声で返す。


 自分のアカウントは、もうとっくに危険視されているはずだ。

 正面認証を通れば、その時点で校内警報が鳴るかもしれない。


 列が進む。

 あと五人。

 四人。

 三人。


 その時、昇降口の反対側で、いきなり女子生徒の悲鳴が上がった。


「きゃっ、猫!」


 黒い影が、花壇から勢いよく飛び出したのだ。


 ノアだった。


 しかも、その直後に三毛猫レビが正門横の旗ポールを駆け上がり、頂上近くで器用にぶら下がる。

 さらにブチャが、なぜか教導局職員の足元へごろりと転がって腹を見せた。


「な、なんだこの猫!」

「誰か捕まえろ!」

「旗に登るな!」


 一気に視線がそっちへ集まる。


「……ほんと器用」


 美緒は呆れながらも、その隙に列を外れ、昇降口横の清掃用ドアへ滑り込んだ。

 玲子にもらった古い通行証をかざす。


 反応しない。

 やっぱりだめかと思った瞬間、レビがどこからか校内端末へ割り込みをかけたのか、ロック表示が点滅し、扉が開いた。


「REVI:どうぞお客様」

「BUCHA:あとで缶詰」

「NOAH:急げ」


 薄暗い用務通路を抜け、南棟へ向かう。


 校舎の中は、外より静かだった。

 朝礼前のざわめきはある。

 でも、その上からずっと何かが覆いかぶさっている。


 監視。

 従順。

 言わないことが先に決まっている空気。


 教室前を通ると、担任がモニターの前で「臣民誓詞」の練習をさせていた。


『秩序に服し、監督に感謝し――』


 声はそろっている。

 でも、気持ちはどこにもない。


 美緒は足を止めない。

 自分の教室の前を通った時、ふと中を見た。


 夏希の席が空だった。


 胸の奥が冷たくなる。


「NOAH:急げ」


「……うん」


 南棟は古い。

 廊下の床は少し沈み、壁の塗装も剥げている。

 いまはほとんど使われていない旧放送準備室は、立入禁止の札まで下がっていた。


「いかにも、って感じ……」


 ドアノブを回す。

 当然、開かない。


 美緒は父の古いドライバーを取り出して、プレート下の隠しネジを探った。

 なぜわかったのか、自分でも少し不思議だった。

 でも父の作るものって、こういう妙に意地悪な隠し方をする。


 二本目のネジを回したところで、カチ、という音がした。


「当たり」


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